1 引きこもり、外に出る
眼前に舞うのは四、五ヶ月前に書いた研究成果。
確か、属性の性質と魔術構成の多様性に関する成果だったは…ず…
目の前の光景とそれが何なのか、頭のなかでカチリと合わさる。途端に顔から血の気が失せた。
「ぎゃあああああ!!」
寝不足ので掠れた悲鳴が口から飛び出た。だが、優秀なボクの身体は本能で理解していたようだ。このままでは大切な研究成果がほこりまみれの床にダイブしてしまう、と。
阿鼻叫喚のボクの形相とは別に、身体は柔らかいソファを足蹴に宙へ飛び出した。
一閃。
頭に付いた羽でふわりと床に着地する。
空中を揺れていた紙は全て両手に収まっている。紙束は乱雑に手の中へ収まっているが、折れているものは一切無い。
「セ、セーーーフッ」
危ない危ない
もう少しで汚れてしまうところだった
きれいに角を揃え、取りこぼしがないか確認する。そして、憮然とした表情で立つ妹をキッと睨んだ。
「なんてことしてくれる!一枚でも落ちたら汚れて使えなくなるところだったぞ!?他人のモノは丁寧に扱えと親に教わっただろうが!」
「ドアの目の前という通行路にそんなものを置くお姉様が悪いのですよ!?通路を妨げるモノを道に置くなとお母様がおっしゃいましたこと、もうお忘れですか?こんな狭くて薄暗い汚い密室で生活して……」
毛を逆立てて威嚇するボクに対し、レイチェルは呆れたようにボクの楽園を見回した。
「数年も使っていないドアなどもはや通路ではないだろう」
「何年経とうがドアの前ならそこは永久に通路です」
どっちも正論といえば正論である。
「うう、ボクの妹はいつまで経ってもがさつな乱暴者だ……。これ一枚埋まるだけ内容がどれほどの時間を使って解明したと思っているんだ……」
正気の沙汰じゃない、なんたる退廃的思考だと呟いて研究成果を守るようにレイチェルに背を向けた。
「はぁ、全く。そんなことよりお姉様。わたくし、お姉様に良い話を持って参りましたの」
「じゃ、ボクは部屋に戻る今後一切非常時を除き声をかけないでくれたまえ」
ニコリと威圧感を感じさせる笑みを浮かべたレイチェルに嫌な予感を察知し、足早にドアに近づき閉めようと動いた。しかし、レイチェルもそれを予期していたかのように素早く動いた。
ガッ
ドアに差し込まれたレイチェルの手によりドアが閉まるのを阻止される。
「あらまあお姉様。話さえ聞いてくれないだなんて冷たいですわ。今回の話は一考の価値はあると思いますのに」
「残念なことに、君の持ってくる話の多くはあまり良い話ではないのでね。話を聞くより有意義なことがしたいんだ」
ドアをこじ開けようとするレイチェルに負けないよう押し返しながら険悪な空気を撒き散らす。
「今からする話はとても有意義なモノになりますわ。ふふ、お姉様……爪が甘いですわ!」
「は?……え……」
何を言っている、と言おうとした矢先にレイチェルの手元に白いモノが視界を掠めた。
「なっ、それはまさかっ、人質とは卑怯な!」
「ふふん。交換条件ですよ、お姉様。この紙を返す代わりに身嗜みを調え家族で昼食を取り家族と共にわたくしのお話を聞くのです!」
「くっ……」
得意気な顔で要求を述べるレイチェルにボクは苦汁を飲まされたような顔になった。
甘かった
前に押し掛けてきた時のように迅速に追い出せば良かったんだ
まさか、まさか、よりにもよって人質を取られるなんて……!
「要求を、飲もう…。ただし、人質は解放しろ……」
「久しぶりに家族で食事ができそうで嬉しいですわ」
悲痛な面持ちのボクに満足そうな勝ち誇ったドヤ顔を浮かべ、手に持っていた研究成果を近くの紙束の上に置いた。
「さて」
「あ?」
ひょいと脇に腕を通し、持ち上げられる。ボクの足が宙に浮いたところで呆けた顔でレイチェルを見上げた。
「まずは身嗜みを整えるためにお風呂に入りましょう」
ボクは今、過去最高に機嫌の悪い顔をしている
断言できる
ボクは苛立ちげに頭の羽をバサリと羽ばたいた。
「シルヴィア様」
頭上から嗜める響きを含む侍女の声にぷいっと顔を背けた。
ボクの背丈はこの屋敷で最も低い。レイチェルが簡単にボクを持ち上げることができたのはこのせいだ。もちろん成長不良ではない。ボクが子供の容姿をしているのは、始祖族が五十年ほどかけてゆっくりと大人になるからだ。ゆえに、始祖族であるボクは常に見下ろされる立場にある。たとえ一般的な人族なら成人済みにあたる25歳であったとしても、兄弟の中で一番年上であったとしてもだ。
正直に言おう
不愉快である、ええ実に不愉快ですとも
些細な問題すら機嫌を降下させることに協力している。カラトリーよりペンを握りたい。これは重症だ。なるほど、引きこもりの原因はここにもあったのかと妙な関心をしながらお淑やかに引かれた椅子に座る。
「五年ぶりかしら?シルヴィア。久しぶりに貴女の顔を見た気がするわ」
団子にされていた髪をほどかれ、お貴族様然といった髪型になった頭から垂れる横髪をくるくる弄っていると、横から声がかかった。
ほんわかとしたやわらかい雰囲気を纏うお母様だ。
「ええ、お久しぶりですお母様。自室に籠っている間はドレスなんて着なかったので、少し落ち着きません」
ヒラヒラした袖口を振りながら苦笑すると、あらまーとお母様は笑った。
お母様もボクと同じ始祖族であり、家族の中で一番の良き理解者であり、多くの奴等が模範にすべき人格者だ。趣味の魔術研究にのめり込んで何年も快適な引きこもりライフが送れたのも、お母様の協力があってこそだ。
お母様いわく、「極力他人に迷惑をかけず最低限の義務を果たせば好きなことに打ち込むくらい良いんじゃない?」という理解ある方針によって、楽園への侵入者が最低限まで減っていたのだ。部屋から一歩も出ずに本を出版できたのもお母様のおかげだ。
やはり、持つべきは良き理解者である。
続いて到着したのは、ボクを楽園から引きずり出したレイチェルと長男のクラレンだ。
「やあ、お久しぶりクラレン。随分背が伸びたのね」
ちょっと見ないうちに長身になっているクラレンを見て驚いた。クラレンの方も、まさかボクが自発的に外へ出て昼食を食べにくるとは思っていなかったようだ。珍しいものを見るような表情で席に着いた。
「姉上はおかわりないようですね。まさか姉上が食事に出てくるとは思いませんでした」
「レイチェルに引きずり出されたの。食事が終わったらすぐ戻るわ」
「相変わらずぶれませんね、姉上」
そこでお父様と末の弟パーシヴァルが到着した。
家族揃って和やかな昼食の始まりである。
すでに温かい湯気が昇る昼食テーブルに並び、カラトリーも準備されている。
「じゃあ、みんな揃ったことですし、冷めないうちに頂きましょうか」
お母様の声を合図に食事が始まった。
ボクは瑞々しいサラダにフォークを刺し、口に運んだ。
新鮮な野菜を食べるのは何年ぶりだろうか。こんな無駄に時間を潰す食事も久しぶりである。美味しいのは認めるが。
ん?
なぜレイチェルの話をすぐ聞かないのかって?
それは、一口も食事を口にせず会話を始めるのはマナー違反だからだ
行儀がどうのと言われるか素直にマナーに従うかと言われたら、当然マナーは守る。叱られるのは時間の無駄でなにより面倒だ。
本来ならここで楽しく会話が始まるのだろうが、ボクはそんなことのためにわざわざ昼食に参加したわけじゃない。面倒事は手早く済ませるに限る。
「では早速だがレイチェル。ボク……わたくしの研究を邪魔するほど有意義であると主張する貴女のお話……、聞かせて頂きましょうか?」
サクッ、とサラダにフォークを突き刺し、レイチェルに視線を送った。
だがしかし、返答は予想すらしなかった場所から返ってきた。
「そうだわ、忘れていたわ。大事なことなのに。
……ねえ、シルヴィア。貴女、先生をやってみない?」
「…………は?」
……いや、出てないじゃん、外。
先生に就職するのは3、4話あたりを予定してます。二日三日に一度くらいで投稿できればいいなと思ってます。予定が決まったら後から後書きに書き込んでおきます。
※追記:次の投稿は11/11になります。