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1話『鮫島君と江ノ水トリーター』

1話『鮫島君と江ノ水トリーター』

江の島の人口362人のうち、26人は半魚人である。

 この物語の主人公、鮫島君も半魚人だ。それも中国の清の時代に書かれた、かの『諧鐸(かいたく)』に出てくる鮫人(こうじん)の子孫だ。髪はもじゃもじゃで、目は青く、流す涙は真珠になるというあの鮫人である。普段は人間の姿だが、勿論鮫の姿にもなることができる。

 江の島の青銅鳥居をくぐって目抜き通りを通り過ぎ、弁財天へと至る階段の手前を右に曲がった細い道に面して建つ、とある民家の二階が彼の住処である。ことの発端は、彼がある日、江の島の岩礁に打ち上げられていているのを、サザエを獲りに来たおばちゃんに発見されたことだ。十年前に夫に先立たれたおばちゃんは、鮫島君の気の毒な身の上に同情して、自宅の二階を間借りさせてくれたのだった。

鮫島君は、仕事はしていない。普段、昼間は自室でコソコソとタコせんべいをしゃぶったり、貝最中をほお張ったり、ミステリー本を読んだりして過ごしている。夜は岩屋洞窟の辺りから、海に飛び込んで海水浴を楽しんでいる。鮫の姿で遊泳していたら江の島に鮫注意報が出てしまったため、仕方なく人間の姿で泳いでいたら今度は「全裸の男が泳いでいる」と通報されたので、最近は服を着たまま泳ぐことにしている。

早い話が、ニートだ。

なぜ彼がこそこそニートなんかやっているかを説明するには、彼の気の毒な身の上話をしなければならない。


鮫島君はある事件から、竜宮城をクビになってしまったのだ。これについては後々語ることにして、竜宮城を追放された彼は、行く当てもなく海を泳いでいるうちに、東京湾に打ち上げられてしまった。

「やあ、どうしよう。ついに打ち上げられてしまった…。服はないし、金もないし、どうしようもない…。」

 幸い、彼が打ち上げられたのは夜半だったため「全裸の男が海辺に転がっています」という通報は受けなかった。途方にくれていると、派手な身なりの男が声をかけてきた。

「よお、にいちゃん。いったいどうしたんだい。」

「僕は仕事でヘマをして、仕事も住むところも友達も何もかも失くしてしまいました。それで気が付いたら、ここにいたんです。」

「ははあ。にいちゃん、辛いことがあったのかもしれないが、やけ酒くらって海で全裸で寝るのはいけねえよ。そんなに、困ってるなら俺の仕事の手伝いをするか?」

「仕事をくれるんですか?」

「丁度、人手が足りなかったところだ。まず服を貸してやろう。それから飯をおごってやるよ。定食屋だけどな。」

 男は、鮫島君に服を着せて暖かいご飯を食べさせてくれた。

「ありがたい、ありがたい。あなたは命の恩人です。」

 感動のあまり、鮫島君の頬を大粒の涙が伝った。すると、たちまちそれらは真珠に変わって、コロコロとテーブルに転がった。それを見た男の目の色が変わった。

「どうしたことだ。あんたの涙が真珠に変わりやがった。」

「僕は鮫人ですから、僕の涙は真珠になるのです。この真珠は心ばかりのお礼に差し上げます。」

 それがいけなかった。男はたちまち鮫島君を、縛り上げて倉庫に軟禁してしまった。男はヤクザだったのだ。

「おい、もっと泣け。もっと泣いて真珠を出せ。」

「それは出来ないんです。私たち鮫人は、人間と違って本当に悲しいときや嬉しいときにしか泣けないんです。」

「なにが、コージンだ。意味がわからねえ。やい、役立たず目!お前ら、こいつを袋叩きにしろ。こいつが大泣きして詫びるまで、ボコボコにしろ!」

 男は手下共に命じた。しかし、彼はどんなに痛めつけられても涙を流すことはなかった。一週間も経つと男は諦めた。

「役に立たねえな。どうせどこの誰とも知れないやつだ。もういらねえから、簀巻きにして海に捨てろ。」

 諦めて、彼を海に捨てた。

 しかし、そこは鮫人。彼は鮫に変身すると、簀巻きからまんまと逃げ出して、力の限り遠くへ泳いだ。そうして打ちあがったのが、江の島なのである。

 そういう訳で、鮫島君は悪人に見つからないように、コソコソと隠遁生活を送っているのである。また彼は、生来の全くの怠け者であったから、この生活は正に水があっていた。つまり、ニート生活を満喫していた。

 

 いくらニート生活を満喫していても、ただでは生きていけない。おばちゃんの好意に甘えているとはいえ、家賃と食費は必要だ。

 そういう時、鮫島君は、臨時の江ノ水トリーターになる。つまり江ノ島水族館でバイトをする。有り金が底をついた彼は、本日も早速、アルバイトに出かけていった。

「あ、鮫島君だ!おはよう。」

 ペンギンの水槽の前を通ると、魚の沢山入ったバケツを持った新人飼育員の鵠沼さんが挨拶をしてくれた。

「お、おはようございます。」

 鮫島君はキョドキョドした。彼は、ショートカットにえくぼが映える鵠沼さんが、密かに気になっている。

「水槽の掃除と、餌やり。それと弱った魚がいれば、個別に水槽に移して様子を見てください。」

 鮫島君は、先輩飼育員に仕事をいいつけられると、道具一式を持って早速デンキウナギの水槽に向かった。

『よう、兄弟。久しぶりだな。相変わらずしけた顔してんなぁ、元気か?外はどんな調子だ?』

 水槽に手を突っ込んで掃除をしていると、中のデンキウナギが話しかけてきた。

「久しぶりだね、マルコス。僕は、まあまあだよ。江の島は外国人観光客がまた増えたかな。最近はテレビの影響かシラスコロッケが流行ってるよ。」

 マルコスはアマゾン原産のデンキウナギで、鮫島君の親友だった。

 そう、鮫島君は魚及びあらゆる海の生物と話すことが出来るのである。その仕組みは、多分、鮫の鼻面にあるロレンチーニ瓶という水流や電波を感じ取る器官で、魚が出す微弱な電波を受信しているとかそういう感じである。これはまことに便利な器官で、鮫の鼻のあたりには、細かい穴が無数に開いており、ゼリー状の物質で満たされている。実は鼻は鮫最大の弱点でもあるのだが、この器官によって鮫は魚の位置を特定したり、一億分の一に薄まった血液でもかぎ分けたりできるのだ。

『お前がいない間に来たバイトのやつが、最悪だったよ。俺はイカよりもカツオが好きなのに、そいつと来たら、イカばっかり食わすんだよ。』

 水槽の中のキンメダイが言った。

「わかってるよ。(キム)さんの飯はカツオのハラモを用意しているよ。」

『お前はわかってるな!』

 鮫島君は、いつもこのような調子で魚と話しているのだが、魚の声が聞こえているのは鮫島君だけであるから、他の人間からすると、水槽に向かって一人でブツブツ話しかけている、ただのやばい奴である。しかし、各魚の要求に細かに対応したケアのおかげで、彼が世話をした魚は極めて長生きをする。このため彼の魚人(ひと)としての評判はともかく、バイトとしての評判はすこぶる高い。


 鮫島君が昼飯を取りに休憩室に入った時、事件は起こった。休憩室に置いてある背の低い書類棚には、飼育員たちが買ってきた旅行の土産物などが置いてあるのだが、二人の先輩男性飼育員がふざけあっているうちに、飾ってあるスノードームを落として割ってしまった。

「どうしよう。これ、先輩が買ってきたやつだ。」

「大丈夫。普段、誰もお土産なんか見てないんだから、皆で黙っていればわからないよ。」

 鮫島君も同意を求められたので、曖昧に微笑んでおいた。二人の飼育員はそそくさとスノードームの残骸を片付けると、置いてある土産物同士の間隔を動かして、最初からそこにスノードームなど存在しなかったかのように調整した。その瞬間ドアが開いて、正に件の先輩が扉のところに立っていた。

「なにか物音がしたようだけど、なにがあったんだ?」

 誰も答えないものだから、先輩は一番下っ端の鮫島君に再度尋ねた。

「なにか壊れたような音がしたけど、どうしたんだ?」

「あ、えと、あのう。長谷さんと石上さんが先輩の買ってきたスノードームを落として壊しました…」

 そう、鮫島君は嘘がつけない。鮫島君は、竜宮城で嘘をついてクビになったため、罰として現在、全く嘘がつけないのだ。

 今日のようなことがままあるため、彼は仲間から激しく浮いた存在だ。


 しかしそんな彼にも話しかけてくれる職員はいる。魚人仲間だ。なにも水族館で働く魚人は、鮫島君だけではない。彼らは正体を隠しているが、きっとあなたの近所の水族館にもいる。そんな魚人の中で、鮫島君と親しくしてくれるのは、シャチ魚人の黒斑(くろぶち)君だ。黒斑君は優秀なイルカの調教師である。鮫族を小賢しくからかうイルカたちも、シャチ魚人である彼のいうことはよく聞くのである。

「やあ、鮫島君。元気がないね。どうしたんだい?」

黒渕君が話しかけてくれた。実をいうと、鮫島君は黒斑君に話しかけられるとドキドキしてしまう。それというのも、黒斑君はリア充だからだ。日に焼けて引き締まった身体に、短髪で爽やかな顔立ち、話し上手な性格の彼は、鮫島君とは対局にある。魚類と哺乳類の違いなのだろうか。

「僕はまたやってしまったよ。嘘をつかなきゃいけない場面で、嘘がつけずに、皆が秘密にしたいことをバラしてしまった。皆、僕がいなくなれば良いと思っているに違いないよ。」

「それは、しようがないさ。君は嘘がつけないんだから。」

「そうだけどさ…。僕なんて死んだ方がいいよ、本当。皆に迷惑かけてるし、馬鹿だし、竜宮城はクビになるし、ヤクザにはボコボコにされるし、フリーターっていうか殆どニートだし。生きていてもなんにもいいことないよ…。」

「そんなこと言うなよ。そうだ!今日、鮫島君のためにコンパを開いてやるよ!女の子も招いて楽しいやつにしよう!七時に茅ケ崎の『えぼし』に来てよ。」


  定時になると鮫島君は水槽の掃除を終え、更衣室に引っ込んだ。ダサい英字入りの黒いパーカーに着替えたものの、七時までまだ時間があったので、下宿に戻って御洒落を凝らしてみたが、結局最初と同じ服装に落ち着いた。

片瀬江ノ島駅から小田急線に乗り混んだ時、鮫島君は非常にワクワクしていた。『コンパ』は魚生初であるからちょっと緊張していたが、あの(・・)黒渕君が自分のためにコンパを開いてくれることが嬉しかった。

「やあ、ついた。あ、黒斑君。」

「よう、こっちだよ。」

 テーブルに着くと、そこには男女5人がいた。なんと鮫島君が気にしている、笑顔がチャーミングな新人飼育員の鵠沼さんもいた。しかし気まずいことに長谷さんと石上さんもいた。あとは知らない人だった。

「バイトの鮫島君。みんな仲良くしてあげてよ。」黒斑君が言った。

「はじめまして、鮫島です。」

「俺は和田塚。よろしく。」日に焼けた青年が言った。

「柳小路っていいます、よろしくね。」茶髪の女性が言った。

 酒が入るとコンパは結構盛り上がった。

鮫島君は一人ぽつねんと、イワシのつみれ揚げをほじっていたが。小さな焼き鳥屋から、一代でチェーン店を持つほどになったというえぼしの料理は、どれも非常においしい。鮫島君は、特にここのかぼちゃプリンが好きだ。

「鮫島君てさー。目、青くね?髪の毛も天パだし、ハーフ?」

 柳小路さんが鮫島君に話しかけてきた。

「いえ、僕は鮫人です。」

「え?何人?」

「鮫人です。半魚人なんです。鮫なんです。」

 黒斑君が「まずい」という顔をした。それというのも、魚人は皆、正体を隠して生活しているからだ。正体がばれれば、研究所か台所送りは免れないだろう。

「コウジンてなんだよ?スマホで調べてみよっと…なになに『中国で、南海に住む人魚に似た生き物。その涙は真珠になるという』?ウケる。冗談だよね?」和田塚君が馬鹿にしたように言った。

「本当です。僕は鮫人です。」

 鮫島君は嘘をつけない。

「プッ。じゃあ、鮫に変身してみてよ。」

「水がないと出来ません。」

「嘘じゃん。」

「本当です。」

 場の雰囲気が怪しくなってきた。鮫島君を馬鹿にした空気が漂っている。人類とはテンポの違う鮫島君には、人の嗜虐心を煽るところがあった。

「じゃあ、証明してみろよ。泣けよ。」石上さんが意地悪く言った。

「本当に悲しくないと泣けません。」

「じゃあ悲しくてしてやるよ。」

 長谷さんがそう言って、鮫島君の頭を思いっきり叩いた。ドンッ。酔った和田塚君が、鮫島君を笑いながら突き飛ばした。よろけると隣の柳小路さんが避けて、座敷の畳に転んだ。黒斑君をちらりと見ると、気まずそうに視線をそらした。彼としては、鮫島君に関わって正体がバレることは、万が一にも避けたいというところだろう。鮫島君が、のろのろと起き上がると、石上さんにビールを頭から掛けられた。

「これで、鮫に変身できるだろ。」

「ギャハハ。マジウケる。」柳小路さんが赤い顔で笑った。

 鮫島君は、身体を拭くために、トイレに行くことにした。トイレにあるペーパーナプキンで身体を拭いているとノックの音が聞こえて、扉が開いた。

「大丈夫?」

 鵠沼さんが入ってきて、ハンカチでビールを拭いてくれた。

「助けてあげられなくて、ごめんね。私、コンパとか苦手なんだ。ハイ、これで大丈夫。このハンカチあげるね。…あのね。私、鮫島君が鮫人っだっていうの信じるよ。私、子供の頃にアンデルセンの童話を読んでから、いつも人魚と友達になれたらなあって思ってたの。実は水族館に入ったのも、人魚はいるかもしれないってちょっと思っていたからなんだ。」

 鵠沼さんが、ニッコリ笑ってハンカチを差し出した。

 その瞬間、鮫島君にデンキウナギを間違ってブラシでこすって、感電した時のような電撃が走った。つまり、鮫島君は恋に落ちたのだった。


 さて、恋に落ちたはいいものの、そういったことに滅法弱い引っ込み思案の鮫島君は、自称アマゾン一のこまし屋であるマルコスに相談した。

「まるで電撃に打たれたみたいだったよ。そういう訳で僕はすっかり鵠沼さんが好きになってしまったんだ。」

『そういうときは、押しの一手だよ。女とは往々にして押しに弱いものだ。『デート』ってやつに誘うんだ!』

「でも…どうやって…僕なんかとても…」

『ハンカチをもらったんだろ。そのお礼に飯をおごるとかいって、連れだしゃいい。最後はなんとかいって水族館に連れてくれば、俺たちみんなが協力してやるよ。』

「そうか。マルコスって頭がいいね。ありがとう。」

 マルコスは、自慢げに目を細めた。

 館を出て、デッキを下っていって、亀のビーチをデッキブラシで掃除していると、アオウミガメの甲造爺さんが話しかけてきた。

『好きな女子(おなご)が出来たのかい。お前は、いつもいつも報われないから、今度こそはうまくいくといいねえ。』

 この爺さんは実は、鮫島君と一緒に竜宮城で働いていた。かの浦島太郎を竜宮城に送迎したという、五色の亀とは彼のひい爺さんである。

「鵠沼さんはとてもいい人だよ。もっとも鮎美ちゃんだって悪い子じゃなかったと思うけど。」

『お前は、どこまでお人よしなんだろうねえ。あんなことがあって、竜宮城にもいられなくなったのに。』


 『あんなこと』とは。

 鮫島君がまだ竜宮城で乙姫様の送迎係をしていた頃の話である。

皆さんもご存知の通り、乙姫様はいつも肩にふわふわと浮く布をかけている。それが一枚失くなった。しかも乙姫様お気に入りのシャネルのオートクチュールの一品がである。

そして同じ衣装係で、鮫島君が思いを寄せていた鮎美ちゃんが疑われたのだった。鮎美ちゃんは、いつも笑顔で優しい女の子だった。

鮫島君は、泣きはらした目をした鮎美ちゃんに「私が失くしてしまった」と相談されて、つい皆に「自分が盗んだ」と言ってしまったのだった。鮫島君は、みんなに責められた。

結局、スカーフは男子禁制の御殿で見つかったため、鮫島君の嘘はばれてしまった。しかし鮫島君は、真犯人を聞かれても決して話さなかった。鮎美ちゃんは最後まで知らんぷりをした。実を言うと「ラッキー」くらいに思っていた。

真犯人が見つからなかったため、乙姫様の怒りを鮫島君は一身に受けた。そうして、鮫島君は嘘をついた罪で竜宮城を追放されてしまったのだった。


 現在に戻って。

 鮫島君は、亀のビーチを掃除した後、ペンギンの水槽に立ち寄った。リサーチのためである。

「すみませんが、ペンギンさんたち。聞きたい事があります。」

「グエッ。」

 フンボルトペンギンが返事をした。

「いつもあなたたちを世話している鵠沼さんの好きな色はなんですか?」

「灰色!グエッグエッ。」

「灰色ですね!どうもありがとう。」

 鮫島君は元気よく、水槽の掃除に戻っていった。

 ここで注意しておかなければならないのは、ペンギンは色盲だということである・・・。


閉館後の江ノ島水族館では、その晩、緊急魚会議が開かれた。「議題はいかにして鮫島君のデートを成功させるか」である。

『みんな、鮫島と鵠沼さんの『デート』に協力してくれ。』マルコスが会議の音頭を取った。

『だけどどうやって協力するかな。』キンメダイの(キム)さんがいった。

『うーん、私たち魚には、人間の恋とか『デート』とかっていうのはよくわからないわね。』シマスズメダイの縞子が言った。

『ふうむ。そういえば、鮫島が『恋に落ちると体に電撃が走ったようになる』とか言っていたな。とすると俺の出番ということになるな!』マルコスがさも良案を思いついたという風に言った。

『『恋は盲目』ともいうぞ!』マダコの八っつあんが言った。

『他にも『恋のキューピッドに胸を射抜かれる』とかいうな。』金さんが言った。

『キューピッドがなんだかは知らねえが、なんだかこの俺様が役に立てそうだな。』とは太刀魚。

『運命の男女は『赤い糸』で結ばれているのよね。』縞子が言った。

『そういうことなら私に任せてくれ。』糸のような体を震わせてテヅルモヅルが請け負った。

『えー。次に。メスにどうアピールするかだ。鮫島にしてやれるアドバイスはないだろうか。』マルコスが咳払いして、周りの気をひいた。

『女を口説く時にはうまい飯にかぎる。』金さんがいった。

『メスの気を引くには派手に着飾るのが一番だな。』オスが色鮮やかな体色を持つ、グッピーが言った。

『人間の女は光モノが好きだっていうな。』タカアシガニがいった。

『そりゃいい、俺たちが一肌脱いでやろう。』アジの群れが合唱した。

『だけど光るものって本当にロマンチックだわ。江の島から夜光虫が消えてしまったのは残念ね。』縞子が言った。

『それなら俺に妙案があるぜ。』マルコスが自信ありげに意見した。

 喧々諤々、江ノ島水族館の夜は更けていった。

 

 翌日。

「あ、あの。鵠沼さん。この前はどうもありがとう。これ、新しいハンカチです。よかったら使ってください。」

 そういって、鮫島君は灰色のハンカチを差し出した。

「えー!ありがとう。別によかったのに。」

「(ああ、やっぱり笑った鵠沼さんは可愛い…。)そ、それで!よかったら、お礼に!一緒に、え、江の島とかに、あの、でか、出かけませんか?ご飯おごりますから。」

「そんな、申し訳ないよ。でも、江の島は楽しそうだね。いいよ、今度の日曜日に一緒に行こう。」

「ああありがとう!ありがとう!行きましょう!」

「うふふ。ちょうど、弁天様にお参りに行きたいなーって思ってたから。」

 鮫島君、天にも昇る気分である。掃除のついでに、マルコスにも報告した。

「よかったじゃねえか、兄弟!俺たちもいろいろ協力してやるから、安心しろよ。もう成功間違いなしだぜ。」

 その日一日ルンルン気分で仕事を終えて、帰宅するとおばちゃんによって急に現実に引き戻された。

「鮫島ちゃん、悪いんだけど、そろそろ家賃を払ってくれるかしら?」

「あ、はい。すみません。」

 自分の部屋の貴重品を入れているシャコガイの中を見たが家賃を払うほどのお金はなかった。慌てて財布を見ると、デート代くらいはなんとかありそうだった。


 そして迎えた日曜日。魚たちのアドバイス通り鵠沼さんを惹きつけるべく派手な格好でデートに臨んだ。少ない金をはたいて買った白のツーピースのスーツとアロハシャツと金のネックレスである。

(家賃も払わず、ごめん、おばちゃん…)おばちゃんには、心の中で謝っておいた。

「お待たせ。あれ、鮫島君、私服だと感じ違うんだね。」

 鵠沼さんは、チュニックに七分丈ジーンズだった。可愛かった。

 デートの滑り出しはなかなか好調だった。鮫島君は暇に飽かせて江の島中の店を食べ歩いているため、食に関してはなかなか自信があった。まず目抜き通りにある、鮫島君お気に入りの井上総本舗で餡入り最中を買って食べた。これは餡とアイスを挟んだ最中である。鮫島君は抹茶と漉し餡を、鵠沼さんはバニラと粒あんを選んだ。気に入ってくれたようだった。

そして、二人で弁財天にお参りに行った。

(鵠沼さんともっと仲良くなれますように。)鮫島君は恋の女神である弁天様に祈った。

(鵠沼さんはなにをお祈りしているんだろう。)隣で祈っている、鵠沼さんを盗み見たがわかるはずもなかった。

 その後高台に上がって、屋台でたこを一匹まるごとプレスして作る、たこせんべえと飲み物を買って、海を見ながら食べた。

「おいしいね。」

「本当だね。」

「食べたら灯台に上ろうよ。」

 チケットを買うと、二人でサムエル・コッキング苑に入場した。花盛りの季節のため、色とりどりの花が咲いており、美しかった。

 灯台に上がると、海風が気持ちよかった。

「遠くまで見えて気持ちがいいね。」

「うん。」

「鮫島君は人魚なんだよね。どんな海に住んでたの?ここら辺の海とは全然違う?」

「僕は昔、竜宮城で働いてたんだ。竜宮城は沖縄の近くにあったから、ここら辺の海とはだいぶ違うよ。い、いつか鵠沼さんを案内したいな。」

「えー、嬉しい!私、ダイビングが趣味だから結構深くまで潜れるよ!」

 鵠沼さんはガッツポーズを作った。

「でも僕はこの辺の海も好きだな。昆布がいっぱいあって昼寝するのに丁度いいんだ。」

「へええ。私も人魚になって泳いでみたいなあ。」

 鮫島君は幸せだった。人間界に来て鮫島君が鮫人だと信じてくれたのは、鵠沼さんが初めてだった。

 灯台を降りるとそのまま、島の反対側まで行って、岩屋洞窟を探検した。ろうそくに仄明るく照らされる鵠沼さんは美しかった。鮫島君の記憶にはそれしか残っていない。鵠沼さんは、第二洞窟のパチ物臭い龍に大喜びして、置いてある太鼓を叩いたりしていた。入口のところまで、戻ってくると鵠沼さんは、かつて夜光虫がいたという触れ込みで、今はただ蛍光塗料が塗ってあるだけの池をのぞき込んで言った。

「夜光虫見たことある?」

「あるよ。海のなかからだけど。」

「いいなあ。私も見てみたい。」

 そんな他愛もない会話をしていると、日が暮れて来たので、日没を見ながら遊覧船とは名ばかりの漁船のような小さな船に乗って弁天橋に引き返した。

鮫島君はディナーは弁天橋を渡った所にあるイタリアンレストラン、Garbsに行くことを事前の調査で決めていた。食べ歩いたなかで一番ロマンチックな感じで、かつ鮫島君にも払える値段のレストランを厳選しておいたのだ。

「いい感じのお店だね。私、初めて来たかも。」

「料理も美味しいんだ。」

 鮫島君はカニとトマトのクリームパスタを頼み、鵠沼さんは悩んだ末、キンメダイのグリルを頼んだ。

「わー。おいしそう!鮫島君、私の一口あげるよ!」

「え…いいの?。」

キンメダイはおいしかった。

(ああ…金さんの仲間を食べてしまった…ごめん金さん…)

「この前のお礼に僕がおごります。」

「いいよ、申し訳ないもん。」

「そういう約束で誘ったから…。」

「うーん。じゃあお願いしちゃおっかな?どうもありがとう。ご馳走様。また今度お礼させてね。」

 二人分のグラスワインと食事代を払うと財布はほぼ空になった。

(おばちゃんごめんなさい…。家賃はもう一か月待ってください…もう二か月払ってないけど…。)


「この後、どうしよっか?」

「あ、あの。水族館行きません?」

「いいけど、もう閉館してるよ。」

「え、江ノ水の伝説で閉館後の水族館でするといいことが起こるっていうジンクスを聞いて…その聞いて…」

 魚たちの入れ知恵である。

「うふふ。変なの。いいよ、行ってみよう。」

 二人は関係者入り口から館内に入り込んだ。鮫島君は魚たちに言われた通りにメモした紙を見た。関係者用のドアから水槽の裏手に回ってまずマダコの水槽の前に行けと書いてある。

「タコ見るの?」

「うん…そうしろって…。」

 ピュッ。

「きゃ!墨吹いた! 」

『お嬢さん、盲目になったかい?!』

 鵠沼さんの顔に墨がかかってしまったので、鮫島君は慌てて拭いた。八っつあんに言い返したいのは山々だが、鵠沼さんの前では話せない。

「だ、大丈夫?」

「大丈夫だよ。ちょっとかかっただし。それより、私、タコが墨吹いたの初めてみたよ。驚いた。」

 若干の不安を抱えつつ、二人は次に熱帯魚の水槽に手を突っ込んだ。

「手を入れるといいことがあるの?」

「そう…らしい。その、ジンクスでは。」

『お嬢さん、あなたとこの男は今、赤い糸で結ばれましたよ。』

 鮫島君が、その声にギョッとして手を引き上げると、鮫島君の小指と鵠沼さんの小指を繋ぐように、赤いテヅルモヅルが巻き付いていた。

「きゃ。なんだテヅルモヅルかあ。これがいいこと?」

 酔っているせいか、鵠沼さんはクスクス笑って済ませた。

「そ、そうみたい。アハハ…。つ、次は大水槽みたい。」

指示通り、次に二人は大水槽の中に入り、模造岩の上に立った。

「今度はなにが起こるの?」

 ビターン!鵠沼さんが言い終わらないうちに、鵠沼さんの胸に太刀魚が激しくぶつかってきた。

『この俺様がお前のハートを射貫いてやったぜ。』

「げほっ。え?今、何があったの?」

 すると間髪入れずに、大量の鯵が模造岩の上に打ち上がってきた。

『俺たちゃ光モンだぜ!とっくと拝みやがれ!』

 鮫島君は慌てて、鵠沼さんの腕を引いて大水槽を出た。

「びっくりしたねえ。今夜の水族館はどうなっちゃったんだろう。」

 メモを見ると最後は、デンキウナギのマルコスの水槽だった。

「(マルコスなら多分大丈夫だろう…。)つ、次は大丈夫だと思うよ。デンキウナギの水槽に行こう。」

 デンキウナギのセクションに行くと、閉館後なので当然薄暗かった。

 すると。

「わあー!なにこれイルミネーション?」

 マルコスが他の魚人に賄賂を渡して、どこからか引っぱり出したらしい、改装前の江ノ水でデンキウナギの水槽で使用されていた、放電に反応して光る電灯を改造してハート型に並べ直したものが設置してあった。それをマルコスが放電して光らせているようだった。

『兄弟!俺の力の限り光らせてやる!男を見せろ!』

「きれーい!本当にいいことがあったね!」

「ほ、本当に綺麗だね。でも、その、鵠沼さんの方がき「本当に綺麗だなあ。和田塚君にも見せてあげたいな!」

「え?和田塚君?なんで?」

「あれ?言ってなかったけ?私、和田塚君と付き合ってるんだよー。」

 バチン。イルミネーションが消えた。鮫島君の恋も消えた。

 その後のことは記憶にない。鵠沼さんを片瀬江ノ島駅まで送って行った気がするが、気が付いたら、一人でサムエル・コッキング苑を彷徨っていた。鮫島君はとぼとぼと江の島シーキャンドルに登った。昼間はあんなに遠くまで見渡せたのに、今は何故だか滲んでよく見えない。

 ぽろり。鮫島君の頬を大粒の涙が一粒伝った。それを手で受け止めると、涙は大粒の真珠へと変わった。

「これで、おばちゃんに家賃三か月分払えるや…。」

鮫島君は、一言呟いた。


ホームページでも連載しています

→http://mitsunaritoneko.jimdo.com

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