なにせHPが1なのだ。慢心より検診が大事なのだ。
「「「緊急医療!!」」」
「ちょっ……!? みんな~~っ!?」
またしても勇者に訪れた絶対絶命の危機。
だが、
そんな状況にもかかわらず一人平静を保つ少女が居た。――僧侶アリア。彼女はこんな事態にもかかわらず、冷静に仲間たちに指示を出していく。
「戦士さんは、生命維持を最優先に人工呼吸をお願いします……!」
「――! 了解したっ!」
「魔法使いさんは、すでに勇者様が瀕死になっている可能性を考慮して心臓マッサージを」
「……りょ……なの……」
「私が目の異物を除去します。さあ勇者様は、頭を私の膝の上へとお乗せ下さい」
「いやいやいや!? ぼく目のゴミぐらいどうってことないから! 絶対大丈夫だから!?」
「「「散開――ッッ!」」」
勇者の言葉は無視され、戦士が勇者の顎を持ち上げながら頭を後ろにそらす。さらに鼻を掴んだ後、ゆっくりと勇者の口元へ唇を近づけていく。
「……ちょっ!? うそ嘘ウソ……待っ――!?」
「生きるんだっ、勇者あああああああああああああああ――っ!」
ちゅっ……ちゅちゅっちゅうううう。
二人の唇が隙間なく重ねられる。
――人工呼吸。
それは誰もが一度は習ったことのある行為であろう。――だが、それは正しく適量を吸わせなければ逆効果になりかねない。具体的には胸腔内圧が上昇して血液の循環が悪化する。さらには血中のCO2濃度が下がり、脳の血流を低下させるのだ。
「……ん、ちゅ、……はぁ……んんっ……ふー、ふー……んんぅ……」
その適量かどうかの判断は、胸部の膨張を参考にする。適量がしっかり入っていれば胸は膨張し、膨らんでなければそれは適量には達してないということだ。ちなみに適正回数は、大人の場合5秒に1回、子供は3秒に1回である。
「……じゅるっ……ぷふぁ……ゆーしゃ、ぁ……はぁ、はぁ……んむぅ、ちゅるるぅ……」
アリアファン平原に淫らな水音が鳴り響く。これは一見キスをしているように見えるが、紛れもなく救命行為である。決してベロチューなどという淫らな行為ではないのだ。
そして、
「……ゆーしゃ……死んじゃ、め……」
その献身さは戦士だけでは留まらない。
「ちょっ、レニャ、待っ……んんんんンン!」
――心臓マッサージ。
さらに専門的な技術を要するのが、胸骨圧迫(心臓マッサージ)である。性質上、マッサージ中にかかる肋骨への負担は計り知れず、熟練した医師であっても、胸骨をへし折ってしまうという医療事故は後を絶たない。
よって、
魔法使いはそんな愚は犯さない。手ではなく、もっと柔らかな唇と舌を用いて、勇者の胸骨を圧迫していたのだ。
「……ズブゥ……ズブブゥ……ズヂュ、ズヂュ…ズヂュ、ヂュ……!」
心臓マッサージのポイントはとにかく圧迫作業を素早く行うことである。毎分100回以上、5秒の間に8回以上の刺激を与えなければ効果は薄い。よって魔法使いは、自身に素早さ増大魔法を発動させ、高速化させた舌先を断続的に叩き込んでいたのだ。
「……グチュッ! ズブゥッ! ズチュッ! グチュッ! ズブズブゥ……ッ!」
アリアファン平原に淫らな水音が鳴り響く。これも一見乳首を舐めているように見えるが、間違いなく救命行為である。決してペッティングなどという淫らな行為ではないのだ。
そして、
「主よ、どうか哀れな子羊をお救いください……!」
僧侶がいよいよ異物除去へと動きだす。
本来、目の異物除去には食塩水を使用するか、患者自身に涙を流させることで異物を浮き上がらせるのが理想であったが、今はそんな設備も時間もなかった。
よって、
「……れろぉ……れちゅるるぅ……」
彼女が選んだのもやはり負担の少ない舌だった。ゆっくりと勇者の瞼の中へ、なめらかな裏舌を侵入させていく。
「……れろぉ、んちゅっ……れるう、れるるぅ……」
だが、
(……そ、そんな……!? 異物が見あたりませんわ……!?)
僧侶は念入りに舌先を滑り込ませて、下瞼や上瞼の裏を調べていく。――だが、どこを探しても異物の存在が確認できない。
となると、
(……す、すでに舌では届かないとこまで入り込んでますの……!?)
僧侶は戦慄する。
(……ああぁ、これはまさか……っ!?)
――瞼結膜異物。
それは瞼内の瞼結膜の溝(瞼板溝)に異物が入り込んでいる状態のことである。もはや舌や指では除去することはできず、必然的に眼輪筋によって圧迫され瞳に傷がついてしまう。一度傷がつくと細菌が付着し、そこから眼内炎、白内障、網膜剥離などの数多くの合併症が発生する。
「―――~~~~ッッ!」
少女に迷っている時間はなかった……!
「――来たれ。三大天使の一角、水を司どりし大天使よ……!」
「……ちょっ!? 僧侶さん……!?」
僧侶は素早く手指を動かして、簡易的な魔方陣を大地に描く。さらにそこにルーン文字を刻み込み、古代の呪文を唇に乗せる。
「――私が名はアリア・フランチェスコ。どうか我が願いを聞き届けたまえ……!」
刻まれた術式が、十重二十重の光芒を放ちながら燦々と煌めき、魔方陣の中心から神々しい爆光が膨らんでいく。
『ぴ、ぴぎぃぃ……!?』
発光の中から、人型の化身が浮かび上がる。大地が戦慄き、雲が飛び散り、海が割れた。だがそんな奇跡が霞むほど――召喚された少女は美しかった。
そこに現れたのは――、
大天使――ラファエル。
ミカエル、ガブリエルとともに三大天使に数えられる大天使であり、ヘブライ語で『神は癒される』を意味する回復の天使である。その姿は青く透き通るような碧眼に、スッと伸びた鼻筋に引き締まった桜色の唇。神聖で清らかな雰囲気に加え、神々しいまでの優美さが全身から溢れていた。美しいという表現さえ拒むほどの完璧な美少女であった。
僧侶が恭しくその大天使へと膝を折る。
「――主よ。どうか偉大なるその御力で、勇者様の涙腺を緩めて下さいませ」
大天使ラファエルは薄く微笑み――光輝く己の羽を一枚毟ったかと思うと、人ならざる美しい所作でそれを勇者へとあてがった。
そして――、
こちょこちょこちょこちょこちょ。
「きゃははははっ! ちょっ!? やめ、くすぐった……ひゃっはっはははっ!」
絶妙なフェザータッチで勇者をくすぐるラファエル。
三人の少女たちが、顔を見合わせ頷き合う。――脇、おへそ、内腿。感度が高い部位に彼女たちは殺到する。
「……ゆーしゃ……死なせない……」
「勇者様……生きて……生きて下さい……っ!」
「勇者リュカ・アスタロトの為なら、全てえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッ!!」
……れるぅ、れるるぅ……。じゅるっ、ちゅるっ、じゅるぅ! ちゅぱぁ、ちゅぱぱぱぱぱぱぱあああああああ――っっ!
「ひゃっははっはっはっ♪ ……も、もう! みんなのっ馬鹿ああぁあぁ――ッッ!!」
――ぶわわわっ!
掻痒感を刺激され、涙腺を崩壊させる勇者。
(――今ですわ……っ!)
その好機を僧侶は見逃さい。来るべき日のために特訓を重ねてきた秘技をいま解き放つ。
「――圧倒的吸引力!!」
ぶぼっ! ぶぼぼぼぼぼっぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼっ! ばふぅ!
醜く頬を窄めながら、強烈なバキュームで涙を吸引する僧侶……!
そしてついに――、
「……ゃ、……ぁ、ぁあ、あああ、うあああああああああぁあああああああああああああああぁああああああアアアアア――ッッ!!」
――ピトッ。
かすかに響く吸着音……! みんなの視線が僧侶に集中する。彼女はにっこりとほほ笑みながら、仲間たちに向かって舌を差し出した。
――んべっ♪
「おおぉっ!」
その舌先には短い毛が貼り付いていた。どうやら勇者のまつ毛が瞳へと入り込んでいたのだった。
「「「――~~~~~~っしゃッッ♪」」」
戦士が拳を突き上げて跳びはね、僧侶がほっと胸を撫で下ろす。カナブンが勇者に頬ずりを始め、レニャがぐっと親指を立てた。ラファエル様がどこからか取り出した天使のラッパを吹き鳴らす。
「やったぜっ!」「やりましたわ」「……やったの……」『ぴぎぃぃ♪』「パフパフ~♪」
顔中ほころばせ、喜びを爆発させる面々。
しかし、
「…………………あ、あれえ?」
「……ううぇぇ……ひっくっ、……うう、うぅ……ふぐう、ぅぅ……っ」
勇者が………泣いていた。その幼い容姿をくしゃくしゃにしながらガチで泣いていた。
パーティに動揺が走る。
「……す、すまん……。お兄ちゃんちょっとやりすぎちゃったかな?」
「も、申し訳ありません勇者様……!」
「……ごめん……なの……」
謝罪をくり返す少女たち。
だが、
「……ううぅ……みんなひどいよぉ……」
泣き崩れる勇者は、上目遣いの眼尻に、頬を上気させ……あまつさえちょっと下唇を噛みしめちゃって……、
「……ああぁ……色んな初めてを奪われちゃった、よぉ……」
なんかもう…………凶悪に可愛かった。
(((……ご、ごくり……っ)))
「……う、うん……悪かったなぁ勇者……だからちょっとそこの木陰に行こうな……」
「……ええ、ごめんなさい勇者様……少しそこの木陰へと参りましょう」
「……ゆーしゃ……こかげいく……」
「えっ、なになに!? やだ……なんで木陰にいくの……!? いったい何をしにいくのっ!?」
勇者は必死に抵抗するが、少女たちの旺盛な検診欲を抑えることは出来なかった。両脇を抱えられ、なすすべなく木蔭へと連行される勇者。
『ピギィ……?』
こうして、
慢心より検診の名のもとに、少女たちによる精密検査は日が落ちても続けられ、勇者は今日も淫らに0,999のダメージを受けるのであった。
☆
――同時刻、
勇者たちの居るアリアファン大陸から、遥か南南西2000キロの彼方――魔王城と呼ばれる禍々しい城の中。
真実を映し出すというラァーの鏡の前で、その勇者たち一向を眺める者がいた。
『……フ、シュ……ゥゥ……』
その者は巨大な髑髏の頸飾りをつけ、浅黄色のローブの裾をひいた、おぞましくも美しい化け物であった。宮殿の黒曜石の玉座に腰を掛け、傍らの燭台に照らし出されるその顔は、巨大な頭蓋に皮を張ったような痩せ衰えた顔。切れ長に窪んだ瞳に、尖った鷲鼻。緋色の炎に照らされたその肌は、闇よりもなおどす暗く、見る者を絶望に凍てつかせずにはいられない。
大魔王――ゾーディアス・マヒャドデス。
勇者が倒すべき宿敵であり、この世界最狂の生物である。
『……ぐ、ふぅ……ゥゥ……』
だが魔王は老齢であった。その尊大な面持ちの中に、隠しようもない老いが揺らめいていた。宝飾に彩られた手首は痩せこけ、そこに浮かぶ血管は不規則で弱々しい。巨大な矮躯はいまだ頑強を保ってはいたが、肩にかかる宗髪はすでに艶を失い象牙色であった。
そして――、
『いやいやいやっ!? なんでラファエル様まで、舐めっ……やああぁあああっっ!』
その老いた瞳が映すのは、色欲にまみれ、研鑽をおこたり、怠惰をむさぼる勇者の姿。
『……グ、ヌぅ……ぅぅ……』
大魔王はそれを、加齢黄斑で淀んだ瞳でぞんざいに眺めながら、老いて深くなる一方の皺をさらに深めた……。
(つづく)