第六話 時を廻りて戻り来よ
千里が水中に消えて、どれくらいの時間が経っただろうか。
息が続かず溺死したのなら、陸地に再ログインしてくるはず。
それがないという事は、無事に向こう側まで辿りつけたという事だ……多分。
「ったく……無事なら連絡くらいしろってんだよ……」
そろそろ日が傾いてきた。水中はますます暗くなるだろう。
どうした千里、早く戻って来い。それとも向こう側で何かあったのか?
変化のないオレンジ色の湖面に目を凝らしていると、
「ぷっはぁーっ!」
ようやく千里が顔を出した。
「千里! 大丈夫か!?」
「当ったり前ー!」
千里は見事な平泳ぎでスイスイ水を掻き分け、俺達が待つ陸地まで帰還する。
「はふぅー……あーさすがに疲れた、もうダメー」
地面に大の字になって息を整える千里。不覚にも、俺はその姿がちょっと色っぽいなと思ってしまった。
「お疲れさん。成果はあったか?」
「んん~? ふっふっふ、見たら驚くわよ? せーの、じゃじゃーんっ!」
千里のアイテムバッグから、手の平サイズの丸い物体がゴロゴロと転がり出る。
それは──虹色の輝きを放つ不思議なタマネギだった。
「伝説の食材、『白金玉葱』よ!」
「ほぉー……もう一回、ゆっくり言ってみて」
「うん? はっきんたまねぎ……あっ……」
千里は俺の意図に気付いたらしく、口元を手で押さえて一言。
「頭大丈夫?」
「……できれば怒るか恥ずかしがるかのどっちかにして欲しかったなぁ」
冗談はさておき、伝説の食材もかなり集まってきた。
こうなって来ると、そろそろ伝説の調理器具も一つくらいは入手したいところだ。
現在その存在が明らかになっているのは千変包丁のみ。しかし、素材となる千年竜の牙が見つかっていない。
「昇、千年竜に関係ありそうな場所は見つかったか?」
「う~ん……行ける所はかなり歩いたつもりだけど、それっぽい場所は見つからないね。勇君が千年竜の卵を見つけた場所が一番怪しいと思うんだけど……」
あそこは調べ尽くしたが、千年竜の牙らしきものは見つからなかった。
ここまで来て手がかり一つないとは……もしかすると、何か特殊な入手方法なのかもしれない。
あるいは、今の段階では絶対に入手不可能なアイテムだったりして。
「もういいわよ五味渕君。明日もう一度お姫様にアタックしてみる。これだけ伝説の食材があるんだもの、今度はきっと満足させられると思うの」
千里の言う通り、千変包丁がなくてもイベントクリアは十分に可能かもしれない。
それでも……俺の中の何かが告げているんだ。
あとほんの少し手を伸ばした先に、求めるものが必ずある……と。
「千里。千変包丁の件、あと一日だけチャンスをくれないか? それでダメなら諦める」
「あなたがそう言うなら、一日と言わず千年でも待つわよ。納得するまでやってみれば?」
結局俺のわがままにみんなを付き合わせる事になっちまった。
でも、甘える訳にはいかない。だから期限は一日だけだ。
千年も待たせたら、千里もエクレア姫もお婆ちゃんになるどころか土に還っちまうよ。
「……ん? 待てよ……」
千年の時が流れれば、生き物はみな土に還る。
どこにもいない千年竜。
頭の中で、パズルのピースがピタリとはまる感覚。この推理に間違いはない。
「謎はすべて解けた!」
見えたぞ……エンディングが。
全ての必然を束ねて、明日。幻想の王を引きずり出してやるぜ。
翌日、俺達三人は約束の地で落ち合った。
千年竜の巣。
早々に辿り着き、うっかり通過してしまった場所。まさかここが終着点だったとはな。
灰色の洞窟を進む。松明は要らない。どうせすぐに明るくなるからだ。
突如目の前に広がるのは、崩れた天井から青空が覗く巨大な空洞。
一面を覆う銀色の枯れ草が風に戦ぎ、俺達は天然のコロシアムへと誘われた。
「昇、玉手箱を貸してくれ」
俺の指示に従い、昇はアイテムバッグから玉手箱を取り出す。
俺はそれを脇に抱えて、空洞の中央付近にいる“ソイツ”の前まで歩み出た。
幼年竜。
二頭身のマスコットみたいな黒いドラゴンで、レベルは1。ノンアクティブの雑魚モンスターだ。
今も俺の存在なんか気にも留めず、自分の尻尾と遊んでいる。
玉手箱。
昇が手に入れた、プレイヤーとモンスターにのみ作用する危険な煙を吐き出すアイテム。
その煙を浴びるとプレイヤーは即死し、モンスターは消滅する。
さて……ここで大事になってくるのは、消滅のメカニズムだ。
玉手箱の煙は、対象物の時間を急速に進める効果がある。恐らく数百年、いや、千年以上かもしれない。
その凄まじい時間旅行の果てに対象物は土へと還り、結果として消滅している訳だ。
では、この時間旅行を幼年竜に体験してもらったらどうなるだろう?
俺の予想通りなら、きっと面白い事になるはずだ。
「千年後に会おうぜ、ベイビー!」
俺は箱のふたを開け、バックステップで距離をとる。
真っ白な煙が噴き出し、飲み込まれる幼年竜。
そして──。
「グルゥォォオオオオォォォッーーッ!」
天を穿つ、破滅の遠吠え。
千歳を揺蕩う死の白煙から、漆黒の竜翼が広がった。
次第に晴れていく煙の中から、鋭い剛爪を有する脚が露になる。
次いで、しなやかにして強靭な極太の尻尾。燃えるような赤い瞳が禍々しい光を放つ。
現れたるは、幻想の王にして万物の主。
その名も高き千年竜のお出ましだ。
「二人はちょっと離れてな。こんなトカゲ、かるーく捻ってやるから……よ?」
千年竜、レベル130。
俺、レベル99。
全く……雑魚からレイドボスに出世するとは、あの赤ちゃんも大した器だぜ。
「ちょっとちょっと! どうするのよ、アレ!」
「び、ビビってんじゃねーよ! 俺は伝説の最強プレイヤーだぜ? よ、余裕余裕!」
はっはっは! ここでデスペナ喰らってレベル98に戻ったりしたら笑われ者だな!
……あーどうしよう、マジで。




