序章 本作にとってはプロローグだが、君達にとっては多分……十話の出来事だ
そこには、ただ真っ黒な世界が広がっている。
上も下も分からないその空間に、果たして俺は立っているのか、浮いているのか。
音も無く、彩りも無く、匂いも無く。そこにあるのはただ一つ。
無という、意識のみ。
……なーんちゃって。
意味も無くマジな雰囲気出しちゃったけど、別に突然世界がどうにかなっちまったとか、そういうヤバイのは一切無い。
この真っ暗闇は、世界初にして世界唯一のVRMMORPG『ウロボロス・エクスプローラー・オンライン』、通称『UEO』のログイン画面だ。
ログイン待機中って、実は結構暇だったりするわけで。
『お帰りなさい、五味渕勇太さん。よく戻って下さいました』
唐突に、そんな音声が頭の中に反響する。優しげな女性の声。聞き慣れた歓迎の言葉。
世界は瞬く間に形を成し、俺という存在は仮想現実の一部となる。
暖かな日差し。草の匂い。頬をなでる風。葉擦れの音。
その全てがバーチャルでありながら、限りなくリアルだった。
『あなたの冒険に多くの実りがありましゅ、あ、ありますように……』
「おっ、今噛んだ! ラッキー、確か噛むとレアドロップ率二倍だったはず。はぁ~……一年近くプレイしててようやく三回目とか、俺のリアルラック低すぎだろ」
……にしても、システムボイスが台詞を噛むとか変な演出だよなぁ。ま、可愛いからいいか!
「……周囲に人影なし。風向き良し、距離良し、準備良し」
場所は昨日ログアウトした時と同じ、エキドナ大陸のパイア王国領にある竹やぶの入口。
そこでアイテム『七輪』を選択し、平らな地面に置いて着火。網の上に新鮮な魚を一尾載せ、焼き上がりを待つ。
「ん~! いい匂いがしてきた」
おいしそうな音を上げ、にじみ出た油が七輪の中にぽたりと落ちる。
俺はうちわを手に持つと、煙から魚を守るべくせっせと風を送った。
「よ~しよし、そろそろ食べ頃かな」
うちわをアイテムバッグに収納し、立ち上がりながら刀を抜く。
「では……いただきます!」
俺が喰うのは焼き魚ではなく、焼き魚の匂いにつられて集まった『デスタイガー』。ネコ科の猛獣“トラ”によく似たモンスターで、その性質は極めて慎重かつ獰猛である。
これより始まるのは、制限時間120分の喰い放題。竹やぶの中に潜む一頭のトラ目掛け、俺は得物を振り下ろした。
仲間を傷つけられたデスタイガー達は、一瞬にして俺を取り囲む。
デスタイガーは獰猛という設定の割にゲームシステム上はノンアクティブ。だがリンク性のモンスターなので仲間が攻撃を受けるとそれを感知して一斉に襲いかかってくるのだ。
「ふん……仲間思いのお前らに敬意を表し、痛くないように殺してやろう」
俺は左手の甲に刻まれた紋章に精神力を集中し、スキルを発動する。
「火の霊虫“カグツチ”よ、我が前に力を示せ……《フレイムブレード》」
俺の声に呼応するかのように、紋章が火を噴き上げて赤熱する。
その左手を刀の背中に走らせればこの通り、炎の魔剣の出来上がりだ。
「そんなに焼き魚が欲しいかい? それならお席にご案内しますよ、団体さん!」
──接客を始めてから、もうすぐ二時間が経とうという頃。
俺は予定通りレベルを一つ上げ、閉店の準備に勤しんでいた。
「ふい~、今日も大忙しだったなぁ。まぁそうじゃなきゃ困るけどね。……にしても、コイツを譲ってくれた昇には感謝しないとな。ソロであの数を相手にするには、コイツがなくちゃ話にならない」
コイツとは、左腰に佩いた大太刀の事。
恐らくこのゲーム内では俺しか持っていないであろう、レア中のレア武器だ。
「今日はレベルも上がったし、順調順調! あと1上がれば念願のLV50……もう少しだぜ、千里」
俺は夕日に手をかざす。
『UEO』のサービスが始まってもうすぐ一年、色々な事があった。毎日が充実している。このゲームとの出会いは、俺の人生にとってかけがえのない宝物だ。
昇と千里もそう思ってくれてるかな? だとしたら、誘った甲斐があるんだけど。
「よしっ、明日も頑張ろう!」
† † †
プレイヤーネーム:五味渕勇太
キャラクターネーム:ゆうた
クラス/コーリング:ウォリアー/ブレス
種族:ギムノス
LV:49
右手装備:最上超業物・大円鏡智【極識】
左手装備:銀竜の紋章
装飾品1:強欲なる者の指輪
装飾品2:命知らずの証