俺、ハローワークに行きます
ゆでだこ番台が指差す先には、馬一頭が通過できそうな風穴が穿たれた壁があった。誰だよ、こんなひどいことしたのは。これじゃ、女湯が外から丸見えじゃないか。まったく、常識外れなアホがいたもんだ。
「いや、犯人つーか、犯馬はあんただからな」
そうでしたね。あーい、とぅいまてぇーん。
と、まあ、そんなおちゃらけで許してくれそうもない。どうしようかな、ゆでだこの頭が噴火しそうになってるぞ。
「あ、あの、修理費ってどのくらいかかるのですか」
ホクト、ナイスだ。弁償して示談できるのなら、それに越したことはない。
「あの壁は特注品だからな。ざっと見積もっても百万円はかかるぞ」
あ、無理。
「アドマイヤ、百万円持ってる」
「そんな大金持ってるわけないだろ。こっちは、毎日生活するのに精いっぱいなんだよ」
「レジスタンスは基本的に質素なのですわ」
その割にはホクトはセレブ口調ですよね。うーん、どうしよう。俺はもちろん一文無しだし。
こそこそ相談していると、
「どうした、払えないのならトノサマに突き出してもいいんだぜ」
ゆでだこが恫喝してくる。警察沙汰だけは勘弁してくれ。
あ、そうだ。なんならこのおっさん倒せば万事解決じゃないか。ただの町人ならば、それほど強くないはずだし。
(馬神様、ステータスお願いします)
(え~、へ〇タコぷ~ちゃん見ようとしとったのに)
(それマイナーすぎるから伝わりにくいと思いますよ)
(で、ゆでだこおっちゃんのステータスじゃな)
うん、それがやりたかっただけだよね。
番台のおっさん ゆでだこおっちゃん 4080バカ
技
なし
おっちゃん強すぎるだろ。なんで一般人がこんなにバカが高いんだよ。
(一般人だからってバカが低いとも限らんぞい。武器屋から万引きしようとすると、HP9999のおっさんが襲って来たりするじゃろ)
万引き対策でありえない強さの店員を配置しているって、そういう理屈か。俺の攻撃が通用しないと判明してしまった以上、素直に弁償するしかなさそうだ。
「その様子だと、百万円は払えそうにないみたいだな。ならば、その馬を売っぱらってもいいんだぜ。馬刺しとかで需要があるから、修理費の足しになるだろ」
おいおい、俺、売られるのか。早くもドナドナするとは思わなかったぜ。アドマイヤは考えあぐねているし。くそ、俺は食べてもおいしくないぞ。
しかし、救いの女神は早々にして出現した。
「お待ちくださいませ。おババ様を売るなら私をお売りください」
ちょいちょい、何言っちゃってるの。
「嬢ちゃんを売るってのかい」
「そうですわ。遊郭へなら高値で取り引きされると思いますわ」
遊郭ってこの子本気かよ。人身売買なんかやらかしたら色々とまずいんじゃ。
「うーむ。確かに、なかなかの美人だし、吉原とかに売り飛ばせば百万は固いか」
おっちゃんも乗気かよ。さすがにこれは止めないとやばい。でも、百万は払えないし。ない知恵絞ってひねり出した俺の妙案はこうだった。
「待ってくれ。三日の間に百万を稼ぐ。それができなきゃ俺たちを売る。それでどうだ」
「三日で百万を稼ぐだと。そんなことができるわけないだろ。第一、そんなでまかせ言って逃げる口実がほしいだけじゃないのか」
「俺は約束を守る。そんなに信じられないならいいだろう、ホクトを人質として置いておく。三日たって百万円を用意できなかったり、俺が逃げ出したりしたら、そいつを売り飛ばせばいい」
「ちょっとあんた、勝手に私の妹を人質にしてるんじゃないわよ」
「心配するな。かつてメロスという男はこうやってこんなピンチを切り抜けたんだ」
ちょっと前に国語の時間で習った内容を覚えておいてよかった。まさか、ここで役立つとはな。
おっちゃんは逡巡しているようだが、やがてほくそ笑んで返答した。
「いいだろう。三日の猶予を与えてやる。ちょっと遅れてくるがいい」
「な、何を言うんだ」
「ハハハ。お前の心は分かっているぞ」
俺は地団太を踏んだ。
「おババ様、遊郭へ行っても忘れませんわ」
行かせねえよ。勢いであんな提案してしまったが、本気で考えなくてはならないな。三日で百万円を稼ぐというありえない方法を。
「おい、何してくれてんだよ。私の妹を勝手に人質にして」
「だって、ああでもしなきゃ俺が馬刺しになるもん。なあ、どっかに百万円稼げるところ知らない」
「知ってたら苦労しないわよ」
でしょうね。いやあ、マジでどうしような。これができたら百万円なんて企画はやってないだろうし。
「仕方ないわね。とりあえず、いい仕事がないかあそこで探してみましょう」
なんだ、当てがあるんじゃないか。俺はアドマイヤに連れられ、町の大通りを進む。日が暮れかけているというのに、人通りが途切れることはない。むしろ、酒盛りしている連中で賑わいをみせているぐらいだ。サラリーマンでごった返す繁華街みたいなところだが、まあ、確かにここなら仕事はありそうだな。
「ああ、さすがにもう閉まってたか」
肩を落とすアドマイヤが指差す先。えっと、嫌な予感はしていたんだが、なんでこんなもんがファンタジー世界に存在しているのでしょうか。レンガ造りの二階建てのビル。周囲の西洋風建築物に同化したそれの入り口には堂々とこう記載されていたのだ。
「公共職業安定所」
「ハローワークじゃねえか」
仕事を紹介する場所ではあるけど、ネーミングが率直すぎるだろ。
「前はギルドって名前だったけど、トノサマが改名したんだ」
まさかハローワークまで作ってしまうとは。トノサマ、どんだけ日本大好きなんだよ。
「まあ、ハローワークって名前だけど、やっていることはギルドと大差ないわ。討伐対象が主に妖怪だけど」
ハローワークの外に設置されている掲示板には、いくつか仕事の依頼書が貼られていた。ドラゴンの討伐といったオーソドックスなものに混じり、こんな案件もある。
「交差点で車を寸止めしている交通事故で死んだ猫の地縛霊を討伐する。報酬金八千円」
この妖怪って、あいつですよね。猫の地縛霊って、どっかで聞いた設定のような。
「妖怪討伐の依頼書は、別名妖怪不祥事案件って呼ばれているわ」
確信犯だろ。完全にプリチー族の妖怪じゃん。あれって実在していたのか。
ハローワークもそうだが、前々から気になって仕方ないことがある。この際だから、アドマイヤに聞いておこう。
「あのさ、なんでこの世界って妖怪が存在しているんだ。それに、貨幣の単位も円っていうのも妙だし」
「いい質問ね。それには、トノサマがこの世界を侵略してきたときのことから説明する必要があるわ」
(うん。いい質問だの。そろそろ、この物語の世界観をしっかり説明せんとな)
いや、小説の創作論は作中に持ち込まないでいいからさ。
アドマイヤに連れられ、「わ〇み」という名の酒場に入った。元は旅人用に開放している酒場で、馬の俺でも一緒に呑み交わすことができるらしい。実際、オープンテラスとなっているところでは、俺以外にも何頭か馬が一心不乱に水を飲んでいた。
馬にアルコールを摂取させるわけにはいかないってことで、俺も水をもらう。まだ口の中がデミグラスソースでべちょべちょしていたからちょうどいい。アドマイヤは一丁前にビールを注文していた。
「トノサマが来てから、なぜか十八歳以上じゃないとアルコールを飲めなくなったんだ。そのせいで、あと二年本物のビールは我慢しなくちゃいけない」
「でも、それってどう見てもビールだろ」
「これ? 第三のビールよ」
アルコール分ゼロのあれか。あれって、未成年が飲んでも大丈夫なのか。
(法律上は問題ないらしいが、トラブルを避けるために、店側は基本的に提供しないらしいぞ)
注釈ご苦労様です。あと、さりげなく露呈したんだけど、アドマイヤって俺より年上なんだね。ヤ〇ターマンのボ〇ッキーなら歓喜しそうな年齢だぞ。
水と第三のビールで乾杯を交わした後、アドマイヤはトノサマが侵攻してきたときのことについて語り出した。
「かつて、この世界は悪の大魔王によって支配されていたんだ。その時も、魔物による被害に悩まされて大変だったわ。
そんな時に、突然現れたトノサマがあっさりと大魔王を倒してしまったの」
あっさり大魔王を倒すってとんでもないな。大魔王って名乗るぐらいだから、骨があるやつじゃなかったのか。
(その時の大魔王のステータスがこれじゃ)
大魔王 0バカ
技
不明
うわ、雑魚じゃん。アドマイヤでも余裕で勝てそうだ。よくこれで世界を統括できていたな。
(バカが世界を統括できるわけないじゃろ。トノサマは侵略する際に、バカ(ばぢから)により優劣が決まるよう、世界の理を変換したんじゃ。トノサマが来る以前ならば、バカ(ばぢから)換算で五十万以上の実力を誇っていたじゃろうな)
世界の理を変換ってチートじゃねえか。もしかして俺、とんでもない相手に喧嘩売ろうとしていないか。
「大魔王が倒されたことで、人々はトノサマを救世主だと崇めるようになった。けれども、トノサマはそれをいいことに、この世界を日本みたいに変革していったのよ。彼は救世主であるがゆえに、それに反対する者は皆無だったわ。
私たちのように、トノサマの考えに反対する少数派がレジスタンスとして運動を続けているけど、大して成果を上げられていないというのが実情ね。
それに、トノサマを支持する者の中でも特に優秀な実力者はトノサマ直属の親衛部隊として、大日本万歳計画に異を唱える者たちを駆逐し始めていったわ」
「もしかして、俺が戦ったあのヲタクやデブって、元はこの世界の人間なのか」
「そうよ。トノサマだけが異世界からの訪問者で、あとの親衛部隊は彼に心を売ったこの世界の人間ってわけ」
異世界に転生して、更に別の異世界から訪問してきたやつを相手にすることになるとは。なんか、頭がこんがらがりそうだ。
「それで、通貨単位が円なのは、単純にトノサマがそのように改編したから。まあ、トノサマが来る以前も同じような経済体系だったからさほど問題なかったけど。この一円玉っていうのが、以前の通貨でいうところの一ゴルドだし。
トノサマの侵攻の話ともリンクするけど、あいつには四天王と呼ばれる特に強い親衛隊が控えているの。それがこの四人よ」
アドマイヤが見せてくれたのは、一万八千円だった。一万円札、五千円札、二千円札、千円札が一枚ずつだから間違ったことは言っていない。
それは、俺が前いた世界で流通していたものとデザインは同一であったが、大きく異なるところが一点あった。肖像画である。
野口英世の代わりに、十二単を纏い、化粧を施した平安貴族の女。守礼門の代わりに、頭がケツのように割れた老獪なジジイ。樋口一葉の代わりに赤い鎧を装着し、豊満な髭をたくわえたいかついおっさん。福沢諭吉の代わりにデパートでもらえる紙袋を頭にかぶり、目にあたる部分だけ穴をくりぬいた、忍者のコスチュームの変態。それぞれカオスな面々が我が物顔で印刷されていたのだ。
「千円札に描かれているのがヲタク軍団を束ねる女ネ申ハル・ウララ。二千円札は妖怪の長ぬらりひょん。五千円札は武士の大大大大大将軍ディープ・インパクト。そして、一万円は忍者のジャスタ・ウェイよ。
ハルとディープはそれぞれ直属のヲタク軍団と武士を従えて、反逆者を始末しているの。あのキモヲタはいわずもがな、大食い勝負を挑んできたのは武士の一族ね。
この中でも一番警戒が必要なのはジャスタ・ウェイかしら。直属部隊を持たないけれども、その実力は四天王一と言われているわ」
「ヲタクとか武士が元この世界の人間ってのは分かるけど、ぬらりひょんは明らかに違うだろ」
妖怪の長ってされているやつだけどさ。ドラゴンとかが跋扈している世界に元々存在してるとは考えにくい。
「妖怪もまた異世界の住人ではあるわね。大魔王を倒したトノサマは、ファンタジー生物が気に食わないって理由で、ドラゴンやミノタウロスやらを次々に根絶やしにしていったの。そのおかげで人間が襲われることはなくなったけど、反面、魔物退治を生業にしていた勇者たちは軒並みニートになってしまったわ。
それを防ぐために、トノサマは妖怪の長のぬらりひょんと契約して、この世界に妖怪をはびこらせたの。これで、勇者たちは妖怪退治を主な生業にしているわ。
一応まだドラゴンとかの生き残りは生息しているけど、もはやどれも絶滅危惧レベルの頭数しか残っていないわね。ましてや、生き残りのファンタジー生物に対しては高額な報奨金で討伐依頼が下されるから、全滅するのも時間の問題なわけ」
聞けば聞くほど、世界の統率者トノサマが荒唐無稽な強者だということが分かるばかりだ。俺、こんなやつに勝てるのかな。