俺、レースに出ます
四十秒で支度し終ったアドマイヤを迎え、俺たちはハローワークへと帰還した。ちゃんと富豪から依頼達成の連絡を入れてもらっているので、滞りなく十万円を手に入れた。
「これでようやく十分の一か。この調子で他の依頼もこなそうぜ」
「そうはいかないのよね。ゴキブリン討伐レベルの依頼が受諾できるのは奇跡に近いの。残されているのは、せいぜい一万円程度の依頼ばかり」
日常生活を送っていくのには支障ない額だけど、俺たちの事情に合わせると心もとない。真面目に労働していてはとても三日で百万円なんか稼げねえよ。全国のサラリーマンに失礼な言い草だけどさ。
「よう、また会ったな」
出たな、アベイ。彼もまた依頼の報告に来たという。
「まさかあのゴキブリンを倒しちまうとはな。あいつ、意外と強い割に、元はゴキブリだから誰も依頼を受けようとしないって噂だったのに」
「事情があって仕方なしにね。そっちはどうだったの」
「まずまずってところか。猫の地縛霊を討伐して八千円だったぜ」
おいおいおい。あの地縛霊倒されちまったぞ。しかも、戦利品のメダルを提示してくるあたり、完全にあいつだったじゃん。それにしても、3バカ程度の相手に負けるって、あいつは大したことないのか。
(この世界とお前さんが元いた世界では強さの指標が違うからの)
まあ、大魔王が一般人でも楽に倒せるような世界ですからね。かつて世界を統括した魔王は0バカだったというから、間違ったことは言っていない。
「ところで、お前馬を連れているよな」
ちらりと俺に目配せする。そんなことしてもうんぽこぽんしか出せないぞ。
「成り行きで連れ歩くことになったやつだが。それがどうかした」
「なら、こんなのに出てみるのはどうだ」
そういってアベイが手渡したのは一枚のチラシだった。そこには数頭の馬が躍動感あふれる疾走を披露しているイラストが描かれていた。で、イラストの上部にはこんなタイトルが記されている。
名馬よ集え! アッセンピア記念開幕!
どうやら乗馬レースの広告らしい。早い話が競馬だろ。確かに俺は馬だから出場資格あるけどさ、そんなのでお茶を濁している暇なんてないんだって。早く百万円を稼がなくちゃいけないっていうのに。
だが、ポスターに目を通していくと、とある一点を注視せざるを得なくなった。おいおい、嘘だろ。こんなうまい話があっていいのか、馬だけに。
優勝賞金百万円。
「これだー!」
俺とアドマイヤは同時に声を上げる。
「マイヤ、お前いつの間に声変わりしたんだ。っていうか、その馬しゃべれるのか」
「悪いかしゃべって」
そういえば、こいつはまだ俺がしゃべれるってこと知らないのか。当たり前にアドマイヤと会話していて気を許していたけれど、馬が会話できるってのは不自然なことなんだよな。その割にあのゆでだこおっちゃんは疑問に思ってなかったみたいだけど、それは壁の弁償で躍起になっていたせいだとしておく。
(これをご都合主義というんじゃ。テストに出るからメモしておくように)
馬神様、作者の失態を露骨に強調しなくていいですから。
「まあ、大魔王が支配していたころは人間の言葉をしゃべる魔物なんてわんさかいたから、今更馬がしゃべってもおかしくないけど」
そうなのか。それならばおっちゃんが疑問に思わなくても不思議じゃないか。それでも、ただの馬がしゃべるのは相当珍しいという。
「ババがしゃべるかどうかはどうでもいいわ。このレースで優勝できれば百万円って本当なの」
「広告に嘘を書いてどうするんだよ。トノサマがやってくる前から開催されている伝統あるレースで、トノサマが競馬好きだから今年も実施されることになったそうだ。お前、あんまり競馬とか興味ないだろうから知らなかったかもしれないけど、この大会ずっと優勝賞金百万円で通してきたみたいだぜ」
競馬好きっておっさん臭い一面があるんだな。それはともかく、こんな抜け道があったとは盲点だったぜ。
それで、開催されるのは二日後。って、ギリギリだな。むしろ、この大会で優勝する以外にホクトを助ける手段はないってことか。
「ちょうどこの近くの競馬場でエントリーを受け付けているらしいぜ」
「そうか、ありがとな、アベ」
俺たちはアベイに別れを告げ、さっそく競馬場に行くことにした。まったく、見直したぜ、アベイ。
レース自体は、個人的に馬を有している人なら誰でも参加できるらしい。もともとは、移動手段としてのみ活用されていた馬を民の娯楽のために活躍させようとして始まったのがこの大会だというのだ。なので、アドマイヤの偽造身分証でも問題なく参加できた。
唯一問題があったのが、
「それで、参加する馬の名前はどうしますか」
まさか、ババと名乗って参加するわけにはいかないよな。一応、俺もトノサマにマークされつつあるわけだし。それに、馬名「ババ」だと短すぎて一般的じゃないみたいだ。よし、この際だからとっておきの名前で出場してやろう。俺はそっとアドマイヤに耳打ちする。
「……本当にそんな名前で出場するのか」
「いい名前だろ」
「どうだか」
かくして、俺とアドマイヤのペアでアッセンピア記念の出場が決まったのだ。
それから二日後。その間に少しでも金を稼ごうと、トイレの花子さんなる妖怪を倒したのは別の話だ。あいつを倒すのは楽だったな。便意を催して、きちんと便器に「邪神の弾丸」を発射したらいつの間にか勝ってたもん。
(あやつは415バカ程度の相手じゃったからのう)
それで入手できたのは六千円ですけどね。
それはそれとして、大会当日。年に一回開催されるお祭りといった呈で、アッセンピア、もとい、東京は大騒ぎとなっていた。本来なら東京記念になるはずだけど、トノサマが「そんなダサいネーミングじゃつまらんから、アッセンピアの名を使うことを許可する」と言って今の名前になったという。有馬記念とかにする案もあったみたいだけど、色々とやばいから却下になったそうな。うん、賢明だと思うぞ。
アドマイヤを背に乗せてゲートに入る。
「考えてみれば、私これが初めてなんだ。あんまり激しくするなよ」
決してエロい意味じゃないからね。誰だ、騎○位が初めてとか想像したやつ。しかし、乗馬するのが初めてなんて意外だったな。
「やあ、見かけない顔だね。これが初めての大会かい」
「馬がしゃべった」
突然、隣のゲートにスタンバイしていたやつから話しかけられた。白い毛並みの優しい目をした馬だった。白馬の王子様がまたがっていそうなイケメンだ。実際、乗っているのはロン毛の優男だし。こら、アドマイヤ。見とれてるんじゃねえ。
「面白いことを言うね。君も馬じゃないか」
そうだね。いまいちまだ自覚が足りないな。隣の馬はクスリとほほ笑むと話を続ける。
「初出場の君にこんなことを言うのは忍びないけれど、この大会に出るのなら注意しておいた方がいいことがあるんだ」
「出走する前にトイレに行くことか」
「それは常識だろ。そうじゃなくて、この大会は、毎回不自然な形で脱落する馬が多いんだ。はっきりとは分からないけれど、レースを妨害するならず者がまぎれているって噂だ。だから、他の出走馬には注意しておいた方がいい」
ならず者か。また物騒なのが出てきたな。参加しているのは五十頭近くいる。その中から一位を取るのも難しいのに、ならず者にまで注意しないといけないなんてな。
なんて考え事をしていると、いきなり馬体をぶつけられた。
「おっと悪いな坊主。ちょっとよろめいちまった」
隣の白い馬とは対照的に、いじわるそうな顔をした黒い馬だ。乗っているのもひげもじゃのやくざ風の男である。なんだ、感じ悪いな。おまけに堂々と唾を吐いているし。優男とやくざって、両極端なのに挟まれてしまったようだ。
「お待たせしましたみなさん。年に一度の祭典、アッセンピア記念が開幕です。司会はこの私シャーリー・ハイツ。解説はカイシュウ・タキオンでお送りします」
会場内のモニターに、蝶ネクタイをしたリーゼント頭のチャラ男がマイク片手に盛り上がり、その隣で背広を着た眼鏡の真面目そうな中年男が佇んでいた。舞い上がりすぎて机に片足を乗せているが、少し落ち着こうよ、シャーリーさん。
「さて、このアッセンピア記念。最初はこの競馬場のトラックを一周した後、レースの舞台は郊外の森へと移ります。そこにある大木を折り返し、またこの会場へと戻り、最後にまた一周トラックを回り切ったらゴールです」
コースを予習してはいたけれど、このレース、場外まで舞台にしているんだよな。そりゃ盛り上がるわけだ。
「なお、レースの模様はご覧のモニターにて実況中継されます」
「前は魔法で時間差でお伝えしていましたが、トノサマのヲタク軍団より提供されましたカメラによって、リアルタイムで配信できるようになりましたからね」
「おっしゃる通り、メカヲタク集団がスポンサーとなり、リアルタイム実況配信システムも提供してくれました。アッパレ!」
それを機に、会場中で「アッパレ」の大合唱が起きる。悔しいが、カメラまで作ってしまうとは、トノサマ配下の技術の凄さは認めるしかないな。そりゃ、デコトラを製造できるんだからカメラぐらい作れるだろうさ。
「さて、レースに入る前に、注目の出場馬を紹介しておきましょう」
「さすがに五十頭全部は紹介しきれませんからね」
「作者が五十頭分の馬の名前を考え付かないわけじゃないぞ」
だから、そういう裏事情はいいから。まあ、いいでしょ。五十頭も馬の紹介なんかしてたらクドイし。
「さて、まずは今大会の優勝候補。過去のアッセンピア記念でも幾度となく勝利の栄冠を手にしてきた名馬の中の名馬。白い貴公子カスタロフだ」
モニターに移された馬を前に俺は驚愕した。なんということだ。
俺の隣にいる白い馬じゃねえか。
この優男が優勝候補だって。とんでもねえのと会話しちまったぜ。それを知ってか知らずか、カスタロフは微笑み返すだけだ。
「次に紹介するのは、そんなカスタロフの最大のライバル。毎回、彼と優勝争いを繰り広げる、負けじ劣らずの駿馬。黒い死神アナゴウイルスです」
今度は黒い馬が移されるのだが、俺はまたもや腰を抜かすことになる。本当に腰を抜かしたらアドマイヤが落馬するから、あくまで比喩だぞ。まあ、それはともかく、その黒い馬ってのがとんでもないやつだったんだ。
俺の隣にいる黒い馬じゃねえか。
どういうこと。なんで、俺、優勝候補二頭の間でサンドイッチにされているわけ。新人いびりにしても露骨すぎるでしょ。
「そして、今大会が初登場という選手も数多くいます。その中での注目すべきは……えっと、これは本当に馬名なのでしょうか。あまりにも異色すぎるビギナー。その名も……」
モニターに俺の姿が映される。さあ、俺の渾身の馬名が披露される時が来たぜ。耳の穴をかっぽじって聞くがいい。
「バーバ―ババ・バーババ・ババババ・ババリアン・バーボバイボ・バイボ・バイボ・バイボノ・シューリンガン・シューリンガンノ・グーリンダイ・グーリンダイノ・ポンポコピーノ・ポンポコナーノ・チョウキュウメイノ・チョウスケです」
「長っ!!」
会場中がツッコミを入れた。いや、渾身の名前だと思うぞ。
「どう考えても長すぎるでしょうが。それに、後半は明らかに馬の名前じゃないわよね」
「気のせいだろ」
N○K教育の日本語番組で聞いたことのある名前をくっつけただけだがまずかったか。
「えっと、長すぎるので、通称バーバーババ・バーババとしておきましょうか」
解説のカイシュウが勝手にまとめた。異論を唱える者がいなかったのはなぜだろう。
「それでは、ご託はこのくらいにして、さっそくレースを開始しましょう」
シャーリーの掛け声に合わせ、各馬一斉に体勢を整える。ゲート脇の審判が大きく旗を掲げた。いよいよスタートだ。相手が優勝候補だろうとなんだろうと、こっちは百万円を手に入れなくちゃいけないんだ。なんとしても勝たせてもらうぜ。
「いくわよ、ババ」
「合点承知だ」
「アッセンピア記念、今スタートです」
旗が一振りされるや、ゲートが開かれる。それを合図に、出頭馬が皆フィールドへと駆け出して行った。
こうして、ホクトの命運をかけた一大レースアッセンピア記念が始まったのだが、このレースが平穏無事に終わるわけがなかった。