介護施設で出会った全身麻痺の利用者Tさん(実話)
介護の仕事をしているといろいろな出来事に直面する。
もう4年ほど前だがぼくの勤める施設に全身麻痺の利用者がいた。名前はTさんとしておこう。全身麻痺と言ってもTさんは右手の指と、首、目、口は動かすことが出来た。話すことができる、というほどコミュニケーションが取れるわけではなかったが、口の動きを一生懸命読めば、なんとかTさんの言っていることを理解することはできた。Tさんの訴えを理解するのに要する時間はだいたい2分ほど、入社したての頃はさっぱり理解できなかったが、3年ほど勤めるうちにだんだんとTさんの「言葉」を理解することが出来るようになったのである。
性格が悪いというわけではなかったと思う。少し嫌味があるといった程度だろうか、Tさんは割と職員に疎まれていた。Tさんは特定の職員に取り入るといったところがあった。看護師の誰々であるとか、介護の誰々であるとか。気に入ると指で動かす電動車椅子でその人のそばに行き、その人に主張を訴えることが目立った。
気に入られた職員、頼られる職員は悪い気はしない。いい気分がするということはないと思うが、まあ嫌な気持ちにはならない。
しかし一方で気に入られない職員、全然頼られない職員というのはちょっと腹が立つ。なんであの人ばっかりという気になる。まあ職員も人間である、当然だと思う。
ぼくはどちらかというと気に入られる方の職員だった。
だからTさんとは割と仲が良かったし、そういうことも手伝って、ぼくはTさんの口を読むのも上達したのだろうと思う。
Tさんはよく「はやく解放されたい」とおっしゃっていた。全身麻痺での生活の地獄というのは想像を絶する。いつ終わるともしれない地獄の中でその運命の日に向かって生きなければならない。ぼくは同情したし、だから彼のそばにできる限りいるようにした。
ある時みんなでTさんの誕生日会をした。誕生日会と言っても介護施設のそれである。大したものではない。ハッピーバースデーをみんなで歌う、食べれる人はケーキを食べる。Tさんはただそれを聞いてそれを見ているだけである。
だがその時Tさんは涙を流した。笑いながらである。悲しいのではない、Tさんは喜んでうれし泣きをしていたのである。ぼくはTさんの違った一面を見たような気がして感極まった思いであった。
次の日Tさんはベッドで寝ておられた。
誕生日会も終わったわけだし、あまり声をかけてもらえないTさん、頻繁にナースコールを鳴らすので毎度ぼくが顔を出した。
しかしその日のTさんの「言葉」、口の動きはまったく読めなかった。何を言っているのかさっぱりわからない。何を伝えたいのかわからない。ぼくは困った。誰かを呼ぼうと思ったけれど、介護職としての意地もあった。自分で読解してみようと思って、相当な時間頑張っていたと思う。
「ここの・・しょく・・いん・ぜ・・か・・」
ここの職員・・?
「ここの職員に感謝」だろうか?
それとも
「ここの職員ありがとう」だろうか・・?
何を言っているんだTさん、あなたからぼくたちがもらったもののほうがずっと大きいじゃないか。正直言うとあなたの言葉を読もうとコミュニケーションをするこの時間だけがぼくの心安らぐ時間だったのだ。ありがとうはむしろこちらのセリフである。
感謝の言葉なんていらないよ。こちらこそありがとうだ。
ぼくはうんうんと頷き、Tさんの口を読んだ。
そして10分、ようやくTさんの口が読めたのだ。ぼくは泣きそうになった。
Tさんはたどたどしい言葉でこういっていたのである。
「ここのしょくいんぜんいんばか」
―ここの職員、全員馬鹿―
ああ。人ってこんなもんなのだろうか。ぼくの脱力した肩に半開きの窓から木枯らしが差し込んで駆け抜けた。
そう、これは実話である。