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女官がエッジワース伯妃に謁見したいという者が来ている、と告げた。
「ニコラエ・キゼフ?知らない方だわ」
エッジワース伯妃は首を傾げながら部屋を出て、自身に与えられている応接室に向かった。彼女はあまり社交が上手い性質ではないので、ここを使用することはあまりない。
兄やジョーゼットは直接彼女の部屋に来るからだ。
「エッジワース伯妃殿下、突然の訪問をお許しください。ミモレッタ夫人の婚儀の際にお会いしたニコラエ・キゼフにございます」
「ええっと」
彼女はまだ思い出せなかった。曖昧な微笑みを浮かべてごまかしながら、必死に記憶の糸を辿った。
「新郎の友人です」
「ああ、あの時の」
新郎を茶化しにきた一団の一人だろう。しかし、顔までは覚えていなかったので彼女は愛想笑いを続けるしかなかった。
「ミモレッタ夫人から手紙を預かっておりまして」
「まぁ、わざわざご親切に」
彼女の顔がぱっと明るくなった。こんなに早く手紙をくれるなんて、ジョゼったらもう便箋いっぱいの惚気話が出来たのね、と思いながら手紙を受け取った。
「どうぞおかけになってください。今日はわざわざこの為に?」
「いえ、母がエレーズ夫人の茶会に招かれていたので、自分も参りました。ですので、お気になさらないでください」
エレーズ夫人はグワース伯爵の娘、王の愛妾である。エッジワース伯妃はエレーズ夫人と挨拶程度にしか言葉を交わしたことがなかったので、今日の茶会のことも全く知らなかった。
「そうでしたの。ではお引止めしてはいけませんわね」
「はい、もうお暇させていただきます。あの、エッジワース伯妃殿下」
「はい?」
「貴方の挨拶はとても良かったですよ」
ニコラエ・キゼフは微笑んで一礼すると部屋を出て行った。
エッジワース伯妃は彼が去るのを見送ると、足早に部屋へと戻った。そして女官たちを下がらせると、すぐに手紙を開いた。
「あら?」
彼女は思わず声を上げた。これはジョーゼットの筆跡ではない。代筆を頼んだのだろうか、いや、ジョーゼットはこんな個人的なことは自分で書いて寄越すだろう。彼女は不思議に思いながらも読み始めた。
すると、それはジョーゼットからの手紙ではなく、先ほどのニコラエ・キゼフからの手紙だった。彼女はそれを読み進めるうちに蒼白となり、読み終わるやいなや引出しにしまった。
どうしてこんなものを寄越したのだ、見つかると危ない。そう思った彼女は手紙を焼いてしまうべきか迷った。
しかし、万が一の場合に自分がこの手紙を焼いてしまったことが知れたら、却って疑われてしまうのではないか?誰か信用できる人間に見せてしまった方が良いのだろうか?
彼女の胃がきりきりと痛んだ。今もまだニコラエ・キゼフは宮殿にいるだろう。呼び出して問い詰めるべきだろうか?
いや、その方が疑われてしまうかもしれない。彼女は吐きそうになりながら思案を巡らせた。
何もないのだから、大事にしなくても良いはずだ。それならば、王妃や兄に相談するのは時期尚早だろう。ジョーゼットにこの件について書簡を送るのは危険だ。
まずは夫に言うべきだと彼女は決めた。それが一番疑われずに済む。
しかし、どうやって夫に来てもらうのか?前にあれほど嫌な態度を取ったのだから、きっと彼は怒っているだろう。
夫に確実に会えるのは起床の儀の時だけだが、明日まで持ち越したくはない。そこで女官に言付けを頼んだ。女官を通した方が話を聞いてくれるだろうと踏んだのだ。
貴方に大事な話がある、この前のことは反省しているから、どうか今日は私の部屋までいらしてください、と。
エッジワース伯は女官からそれを聞いて首を振った。この前は自分を部屋に入らせなかったくせに今度は何だ、と不快感を示した。
女官はしつこく食い下がったが駄目だと彼は譲らなかった。
それを聞いた彼女は屈辱をこらえながら、ウィステリアの部屋の扉を叩き、夫をだしてくれるよう頼んだ。
「お願いします。この前のことは反省しています。どうか、少しだけ時間をください」
彼女はウィステリアの前で夫に頭を下げた。涙が零れ落ちそうになるのをこらえながら、何度も頼みこむと、渋々エッジワース伯は彼女の部屋に行くことに同意した。
彼女は顔を上げて礼を言ったが、夫の横にいるウィステリアの顔を見ることが出来ずに夫の首元を見つめていた。




