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エッジワース伯妃はある公爵夫人の「悪い話」に耳を傾けながらくすくす笑っていた。
エッジワース伯妃と公爵夫人は十五も年が離れているが、彼女の人にすぐ打ち解けられる天真爛漫さとおしゃべりが好きな性質をエッジワース伯妃は大いに気に入り、度々部屋に招くようになっていた。
公爵夫人もイザベラの仕事を手伝っていたので、今日はエッジワース伯妃の部屋で一緒に刺繍をしていたのだ。
「お茶の用意が出来たわ。キエンク公爵夫人。ねぇ、この前の話の続きをして」
エッジワース伯妃は、侍女たちが部屋を出ていった途端に待ちきれない様子でキエンク公爵夫人に話しかけた。
「わかったわ。あれは私が結婚二年目のことよ、仕事で遅くなったという夫を起こしに行こうとしたら、皆が止めるのよ。私、余計に気になって夫の部屋まで走ったわ。そうしたら、あの人は仕事を持ち帰っていたのよ。長い黒髪の女性と朝まで過ごす仕事をね」
こんな話であるのに公爵夫人は愉快そうに笑いながら扇で口元を隠した。
「だから私は言ったのよ。旦那様、家に仕事を持ち帰らないでくださいませ、と。外でならともかく家でねぇ。それが実家にも知れ渡って、両親は私と夫を別れさせたの。まぁ、私の実家の方が嫁ぎ先よりも家格が上だったから出来たのね」
エッジワース伯妃は興味深く聞いていた。自分は夫と別れることは許されないだろう。それはロッド家が王家より格下であることと、自分は「国の花嫁」であるから両親がどれだけ望んだとしても夫と別れることは難しい。
「国の花嫁」は国庫の蓄えを費やして得たものであるから、個人の感情で別れられるものではない。それが出来たら自分はとうの昔に離縁になって実家に帰っているだろう。
「実家に帰って一年間は呑気に暮らしていたわ。子供もまだだったから、私も娘時代の延長で実家にいたの。そして、誘われるままにあまり親には言えないパーティーに出かけたの、ここからよ、面白いのは」
公爵夫人は声を潜めてエッジワース伯妃に近づいた。こういった刺激的な話を聞かずに育ったエッジワース伯妃は胸をどぎまぎさせながら耳を傾けた。
「そこで初めて、自分から恋を知ったわ。よくある話だけれど、聞くのと実際に自分がそうなるのは雲泥の差よ。若さのままにお互いを貪ったわ。それは体を重ねることじゃないわよ、私も一応は公爵令嬢だったもの。そうじゃない、互いの情熱をね」
ただひたすら抱き合って、口づけをして、髪や頬に触れて朝まで語り合ったわ、そう付け加えて公爵夫人はエッジワース伯妃から離れた。
くらくらとした頭でエッジワース伯妃はお茶を飲み込んだ。親に決められた相手とではなく、自らの意志で選んだ相手に想われるのはどういった気分なのだろう。
時間も忘れて互いを求めあう、自分にもそんな夜が一度だけあった。しかし、それは自らが選んだ相手では無かった。
エッジワース伯は相手が自分、メイディ・ロッド嬢でなくとも口づけを交わしたのだろうか?婚約者であったなら相手が誰であれそうしたのだろうか?
そして夫は今まさに自分が選んだ相手と情熱的な日々を過ごしている。
エッジワース伯妃は暗澹たる気分になったが、公爵夫人の話が気になって続きをねだった。
「だけど、若い二人は結ばれなかったわ。相手は私の前の夫よりも身分が低い家の次男坊だったから。私は気にしなかったけど、両親は許さなかった。そして醜聞はすぐに知れ渡ったの、前の夫みたいにね。そして両親は慌てて再婚話を持ってきたのよ」
それが彼女の今の夫、トマス・キエンク公爵である。
キエンク公爵は十三年間連れ添った妻に先立たれてから四年間、再婚はせずに亡くなった妻との間に出来た五人の子供達と暮らしていた。
「周りが決めた結婚だったわ。でも、私たち色々あったけど上手くいったのよ。それは長くなるからまた今度。さぁ、刺繍を再開しましょう」
「駄目よ、気になるわ」
エッジワース伯妃は刺繍の再開を断固として拒否した。キエンク公爵夫人は一週間後、また来る約束だったが、それまで待てないと彼女は駄々をこねた。
「あらあら。じゃあ、少しだけ。私たち、お互いをよく知らなかったし、嫌々の結婚だったけれど、お互いを知るにつれてそんなに悪くないと思えるようになったの。最初に私の醜聞については説明していたけど、暮らしを共にして分かることは言葉より伝わるから」
「言葉より?」
「言葉も大切なのよ。それでも、それを信じられるかは暮らしの中でわかるものだから。さぁ、刺繍を再開するわよ」
エッジワース伯妃はまだ聞き足りなかったが、公爵夫人が刺繍糸を手にするのを見て、自分も大人しく作業に戻った。
それからしばらくの間、二人は黙々と手を動かしていたが、突然公爵夫人が口を開いてこう言い放った。
「貴方にもあんなパーティーが必要かもね、エッジワース伯妃」




