ボツァラノの豹
南アフリカのボツァラノ動物保護区には、かつてたくさんの豹が棲息していました。しかし、今では私たちはその優美な姿を目にすることは出来ません。なぜ、南アフリカの豹は消えてしまったのか。それは、動物を愛する人たちが彼らを「保護」しようとしたからでした。
かつて、アフリカには野生動物目当てに大勢の白人ハンターが来ていました。彼らにとって大型の獣は最大の勲章で、地元のガイドは豹を仕留めたハンターから多額のボーナスをもらうことができました。
ハンティングのガイドは、地元の農民で、普段は牛や羊など家畜を飼って暮らしていました。その家畜は、豹の格好の獲物になっており度々損害が出ていました。ですが、それでも農民達はガマンすることができました。それは、ハンターが豹を狩った時の報酬で牛や羊が何頭も買えたからです。
ところが、アメリカやイギリスで動物愛護運動が盛り上がると、毛皮や剥製を国に持ち込むことが違法とされ、アフリカでの狩猟は植民地主義の象徴として道徳的批判を浴びるようになりました。
こうしてハンタ-は、アフリカに来なくなりました。それでなにが起こったか。
アフリカの農民にとって、もはや豹は一銭のお金にもならなくなったばかりか、大切な家畜を食べてしまう害獣でしかなくなってしまったのです。彼らは、日に日に失われていく家畜を目の当たりにし、生活を守るため害獣駆除に乗り出し、オスもメスも子どもも赤ん坊も、全てたちまちのうちに殺しつくしてしまったのです。
そして、ついにボツァラノの豹は絶滅してしまいました。
この話の教訓は何でしょう。もしも、私達に未来を見通す力があったとしたら、保護の形は変わっていたはずです。彼らの"いのち"を守る方法は、ハンティングの料金を引き上げたり狩猟頭数を管理したりして、現地の人が「害獣駆除」をしなくて済む環境づくりと保護活動を両立して続けることでした。
しかし、この現実的な改革案は、営利のためにアフリカの動物達が無慈悲に殺されていくと告発する愛護運動のヒトたちには全く受け入れられませんでした。彼らは、今すぐ「理想」を実現する事を要求し、そして、何もかも台無しにしてしまったのでした。
この国は今、「全ての○○を即時に永久に放棄せよ」と主張する理想主義者に溢れています。特に、原発の問題は、今まで日本のエネルギー問題の救世主と扱われてきたにも関わらず、原子力は悪であり全国一律で止めるべきだと言われるようになりました。
さらにコストの問題、環境へのリスクの問題、その他様々な要因から原子力発電は現在苦境に立たされています。救世主というのは幻想でした。そのため、日本は、かつて世界1位のシェアを誇った太陽光発電や、地震大国である利を活かした地熱発電などによるクリーンエネルギーの活用が急務とされています。
ただ、ここで一つだけ言えることは、権威にすら操作されていないのに盲目的に判断することは決して正しい結果をもたらすものではないという事です。
新設や実験・稼動停止などによる経済的な問題、資源供給リスクの問題、その他様々な現実的な問題が潜んでいます。それを無視して結論を求めるのは悲劇を生み出しかねません。
しかし、社会的な話になると一つの結論を出さねばならないので、往々にして視野が狭くなりがちです。なので、ここでは、そういった話は抜きにして一気に話を変えて、次は中国の金融システムについて論じていきたいと思います。
世の中は面白い話で溢れています。
それを知らないという理由だけで「関係がない」と思うのはとても大きな損です。