4≪end≫
走った。
学校へ走った。
道が、人が、建物が、車が、植物が。
視線の端で零れ落ちる。金色の、砂。
悲鳴を上げる寸前で爆ぜる、人間。
学校へ着くと気に食わない「あいつ」を探した。
助かっていたら、いつもみたいにからかってやろうと思っていた。
助かっていなかった。
いつも座っている席で、砂が盛り上がっていた。
ああ、誰より早く学校に来たりなんかするから。あいつがお気に入りだと言っていた銀色の時計だけが砂の上に落ちている。
光をはじいて、とても綺麗に見えた。
ざまあみろ。あいつの腕にある時より、よほど輝いて見えた。
悪態をついて、時計を拾い上げる。その動きで砂が散る。
走った。
次第に殖える、砂の海、リュウの中の孤独。
砂は、最期の形。握り締めた手の中で時計が崩壊を始める。
教室で黒板に思い切りたたきつけた。
いとも簡単に部品が飛んだ。飛んだ部品が砂になって散る。とても綺麗だった。
壊すことはいけないよ、とその時計の持ち主はリュウに言った事がある。
たしか、クラスメイトのシャープペンシルをわざと壊した時のこと。
やさしく諭すように、リュウに言い聞かせるように。
――――ばかなやつ!
それで伝わるって、信じていたんだ。子供の悪意を変えられるって。
悪友とちょくちょくネタにしては蔑んでいた。蔑みながら、ずっとイライラしていた。
残された時計に、その怒りをすべてぶつけた。
四方に飛び散る砂。砂にならないものは踏みつけてばらばらにしてやった。
壊すことはいけないとあいつは言った。
けれど自分が壊れてしまっては、身も蓋もないではないか―――!
夕焼けの教室。
一人になったとわかった時、時計はすべて砂になっていた。
一番、残したかったかもしれないものを、自分で壊した。
泣きたい、と初めて素直に思った。
今なら誰も見ていない。だから格好悪くなんかない。
もう一度、あたりを見回す。教室までの道に残されていた砂の山。
そして今ここに残されているのは自分ひとり、だけ。
リュウは数年ぶりに大声で泣いていた。
泣きながら笑っていた。悲しいし楽しいし、怖いし眠い。
よくわからない、いろんな感情が混ざった。
たくさんのものを失ったはずなのに喪失感がわかないのは
はじめからリュウの中にそれらが存在していなかったからだと理解する。
全部、自分で拒んだことも、その時初めて思い出した。
どこからか一人で在ることを選んで、今その結果がここにあるだけ。
今、失って初めて受け入れられた気がする。
失ったことで、満たされた。たぶん、そういうことなのだ。
「その先生、優しかったんだ」
「……砂になった人?」
「うん、いっつも左腕に銀色の時計つけてて、大事そうにしてた」
居場所がない。
家でも学校でも。
いらないなら、こっちだって願い下げ。
いずれ失われるなら、はじめから何もない方がいい。そんな自由な大人になりたかった。
でも「あいつ」は自分の世界を押し付けようとした。
リュウの浮遊する心を引きずり込んで、自分と同じ世界を歩ませようとしていた。
もちろん本人にはそんなつもりはなかったかもしれないけれど、少なくとも「あいつ」はリュウにとって毒だった。
それもタチの悪い猛毒。
「あいつがいなくなったってわかったとき……」
「……悲しかった?」
「どうなんだろうな、わからない」
確かにあの時感じた感情の中にもそれらしきものはあったが、満たされた思いで霞んでしまった。
満たされた今、「あいつ」を思い出すことがほんの少しだけ、胸の奥にキリリと傷をつけている。
物理的な痛みではないから、顔をしかめることも、傷口に手を伸ばすことも適わない。
いずれその傷が治るかさえも解らない。
そのくせどんどん傷は増えて行くし、その痛みをとある拍子に一瞬忘れることさえできるのだ。
「ぼくたち、大人になれないかもしれないね」
ふと、こはるが思い付いた言葉を口にした。
「だってとても怖いもの」と付け加え。
リュウは苦笑した。つられてこはるも笑い出す。
そしてあくびをひとつ、……とにかく休みたかった。
「かまわないさ」
手を合わせてから、半分砂になった人が眠る場所への入り口を閉じた。
できるだけ、あのままで居たほうがその人のためだと、二人で決めた。
抗うなら、最後まで。砂を拒んだ姿で。自分と言う姿のままで。
けれど今、何にも変化しない自分たちは果たして何者だろうか。
同じ人間は砂になってしまったのに。
まだ、人間なのだろうか?
夕べ寝る前にそんな話も出たのだけど、答えには至っていない。
「たとえばさ、今ここで嘘でも砂になりたいって願ったらすぐに砂になれるかな?」
午後、ようやく自分たちの町に戻ってから、こはるはぽつんと呟いた。
ねぐらは、多少入り口が砂をかぶっているだけで砂化は進んでいない。
「無理だね」
こはるの質問に、リュウは不適に笑いながらそう答えた。
「だって、カミサマは願い事を聞いてくれないみたいだから」
人間もただただ砂になった。
カミサマには、もしかしたら人間には意思や心があることなど解っていないのだろう。
だからこんな思い切ったことができた。
箱庭そのものを墓標として。
カミサマはもういないかもしれない。
もうほかの世界を作って、そちらに夢中になってしまっているかもしれない。だったらあとはやりたい放題だ。
「ぼくが砂になっても」
リュウは不適な笑みをまだ刻んだまま、炎天下の向こうを見やった。
相変わらず、蜃気楼はマボロシを求めて揺らめいている。
「こはるはちゃんと守ってやる」
遅い昼食の缶詰をつついていたこはるが、リュウを見上げた。
ちりちり、二人の隙間を焦がしていく太陽が少し、煩わしい。
外で食べようと、二人で決めた。
日差しをよけるより、太陽の下にいるほうが落ち着いていられる。
「どうやって」
「どうにかして」
「そんなの……」
「無理かどうかはわからないだろ?」
人間は往生を得ず砂になることができたのだ。
物言わないだけで、自分たちの足元にまだしっかり存在している。
二人だけだとわかっても怖くないのは、たぶん誰かが「そこにいる」からだ。
どっかりそいつらの上に胡坐をかいて、生きたいだけ生きればいい。
看取られる時も気がかりはひとつも残されていない。
「……ぼく、リュウと二人でよかったと思う」
多分、半分砂になったその人は、一人だけ生き残ったことが怖くなったのだ。
だから砂にも人間にもなりきれず、看取る人もいなかった。
自分が、おそらく自分が人類最後であると言う絶望を抱いて、たった独りで。
だからこんなにも近くで、まだ一緒に生きれる相手が居た事が、こはるにはとてもうれしかった。
「ぼくも、こはるがいてよかった」
リュウはこはるといることで、自分が素直になれる気がした。
もしかしたらこんな世界になってしまったからかもしれないけれど。
静かな今日ももうすぐおわり、明日はやってくる。
生きるために精一杯になっている今、自分たちがどんな最期を迎えるか、まだ考える必要はないらしい。
ただ今、生きていることが彼ら二人にとってうれしかった。
この世界がまだ生きていた頃よりもずっと。
すべてのものが砂となっていく原因は、ずっとわからないままでいいとさえ思う。
たとえ知ったとしてももう、無意味だ。
ただお互いを支えられる二人が残っただけ、それだけで良かった。
枯れて、あとは静かに終わるだけの世界。
あらゆるものの墓標となったフィールド、そして確かな二つの命。
その刻む記録はただただ、砂に。
CQ、CQ。
ここは終末。
誰でもいい、応えてくれ。
ひとりに、しないでくれ。
END
最後までお付き合いくださった方、ありがとうございました~!
サイトの『ケンガイ』という短編集から載っけてみました~。