第6話 :言葉の調律(中編)
12月22日。
放課後のグラウンドには、冬の西日を受けて、サッカー部員たちの影が長く伸びていた。
その光景を、部室棟の屋上から双眼鏡越しに観察している男がいる。
「……右足首のテーピングが昨日より一巻き多い。踏み込みに僅かなラグ。集中力は限界に近いね」
一ノ瀬涙は、静かに呟いた。
「彼の中で、“行く未来”と“置いていく何か”が、ちょうど拮抗してる。……五分五分だ」
隣では、折りたたみ椅子に腰掛けた冷泉凛が、本のページをめくる手を止めずに言った。
「分析はいいから、さっさと協力者を捕まえなさい。不審者として通報される前にね」
「ひどい言い草だな……」
一ノ瀬は苦笑しながらも、屋上を飛び出した。
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グラウンド脇。
練習を終えたサッカー部員たちが引き上げてくる中、目当ての人物を見つける。
「佐々木くん、少しいいかな」
「うおっ!? ……なんだ一ノ瀬か」
呆れた顔をしながらも、佐々木は人気のない用具倉庫の裏へと付き合ってくれた。
「瀬戸のことだろ?」
「話が早くて助かるよ」
佐々木は肩をすくめた。
「……あいつ、昨日からずっと変だよ。練習中もさ、有馬がいつも座ってたベンチを何回も見てんだ。でも当然いないから、そのたびに露骨にテンション落としてる」
「……なるほど」
「なのにさ、本人は『見送りに来るな』って言ってんだぜ? 自分で切ってんのに、未練タラタラ。ほんとバカだよな」
一ノ瀬は、ふっと笑った。
「自己犠牲という名の独りよがり、か」
そして、静かに問いかける。
「佐々木くん。サッカーで一番難しいプレーって何だと思う?」
「は? ……そりゃスルーパスだろ。相手の未来の動きにピンポイントで合わせるやつ。強すぎても弱すぎてもダメなやつ」
「それだよ」
一ノ瀬の目が、鋭く光る。
「二十四日の夜、僕がその“パス”を出す。君には、その起点になってほしい」
「……は?」
「瀬戸くんを、確実にある一点へ誘導する。そのために、君の協力が必要なんだ」
少しの沈黙のあと、佐々木は大きく息を吐いた。
「……面白そうじゃん。やるよ」
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一方、遺言部の部室。
そこでは、まったく別の戦いが行われていた。
「……これはダメね」
冷泉凛は、机の上に置かれた便箋を見下ろし、そう断じた。
有馬詩織の書いた手紙。
そこには、「さようなら」と「ごめんね」が何度も繰り返されていた。
「あなたのこの文章、全部“逃げ”よ」
「……っ」
「『ごめんね』は自己保身。『さようなら』は思考停止。どちらも、相手に何も残さない」
冷泉の言葉は冷たい。
だが、その一つ一つが的確だった。
「私は、彼に迷惑をかけたくなくて……」
「それがもう迷惑なのよ」
即答だった。
「あなたは彼の人生を“勝手に守ろうとしている”。それは優しさじゃない。ただの支配よ」
「……!」
有馬の呼吸が乱れる。
「いい? 言葉はね、相手の未来に影響を与える“力”なの」
冷泉は一歩、距離を詰めた。
「だったら、その力を最大効率で使いなさい。中途半端な感情で濁すな」
そう言って、机の上の便箋をまとめて破り捨てた。
「……っ、あ……」
「書き直しなさい」
静かに、だが絶対的に逆らえない声音だった。
「あなたが本当に伝えたいものは何? “別れ”じゃないでしょ」
有馬は震える手で、ペンを握り直した。
「……私は……」
言葉が出ない。
「怖いんです。伝えた後に、何かが変わってしまうのが」
「変わればいいじゃない」
冷泉はあっさりと言った。
「変わらない関係なんて、最初から死んでいるのと同じよ」
その言葉に、有馬の目が大きく揺れる。
「あなたの“好き”は、そんなに軽いものなの?」
静かな問い。
「違います……!」
絞り出すような声だった。
「じゃあ書きなさい」
冷泉は紅茶を差し出した。
「彼を肯定する言葉を。彼がどこへ行っても、自分を見失わないための“核”になる言葉を」
有馬は、ゆっくりと頷いた。
そして——ペンが、動き出す。
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23日の夜。
一ノ瀬は、机いっぱいに地図と時刻表を広げていた。
「……瀬戸くんは、有馬さんから逃げる。でも、“自分の問題”からは逃げない」
「だから、そこを突くのね」
「うん。彼のプライドと好奇心を利用する」
一ノ瀬は一枚の紙を取り出した。
「偽の脅迫状だよ。彼が無視できない内容にしてある」
「最低ね」
「最高の褒め言葉だ」
冷泉は小さく息を吐いた。
「で、有馬さんは?」
「あなたに任せる」
「当然よ」
そう言って、冷泉は一通の封筒を机に置いた。
真っ白な封筒。
「……三行よ」
「三行?」
「ええ。それ以上は蛇足だって、彼女が自分で気づいたわ」
一ノ瀬は、それを見て小さく笑った。
「いいね。完璧だ」
「ええ。残酷なほどにね」
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12月24日。
すべてが動き出す日。
一ノ瀬、冷泉、有馬。
三人の視線が、同じ未来を見据えていた。
「……準備はいい?」
一ノ瀬が問いかける。
「ええ」
「……はい」
震えながらも、有馬は頷いた。
その手には、“遺言”ではない手紙が握られている。
それは——
未来へと投げるための、たった三行の言葉だった。




