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【証拠はいらない】普通はどこにもない

作者: Wataru
掲載日:2026/01/24

相談者は、二十歳そこそこの男だった。


派手な服でもない。

地味すぎるわけでもない。

顔を覚えようとしても、すぐに輪郭がぼやける。


「普通になりたいんです」


椅子に座るなり、彼はそう言った。


「普通?」


「はい」

「ちゃんと大学に行って」

「安定した会社に入って」

「結婚して」

「子どもがいて」


一息で言う。


「目立たず」

「失敗せず」

「誰にも何も言われない人生がいい」


相棒が、ちらりと俺を見る。

今日は口を挟まないらしい。


「今は?」


「やりたいことがありません」

「でも、ないまま進むのは不安で」


男は、指先を組み直した。


「周りは、もう動いてるんです」

「夢があるとか」

「海外行くとか」

「起業するとか」


「置いていかれてる気がする?」


「……はい」


正直な顔だった。


「だから、普通でいたい?」


「はい」

「普通なら」

「間違いない気がして」


俺は、しばらく黙っていた。


「なあ」


「はい」


「普通って」

「誰が決めてる?」


男は、答えに詰まった。


「世の中……ですか?」


「世の中って誰だ」


沈黙。


「親ですか」

「友達ですか」

「SNSですか」


男の喉が、小さく鳴った。


「……全部、です」


「じゃあ」


俺は椅子にもたれた。


「それを全部満たしたら」

「あんたは、安心できるか?」


「……たぶん」


「幸せか?」


男は、首を振った。


「分かりません」


俺は頷いた。


「普通になりたいってのはな」

「安全に生きたいって意味じゃない」


男が顔を上げる。


「“失敗した自分を見たくない”ってことだ」


図星だったのか、視線が落ちた。


「目立たなければ」

「選ばなくて済む」

「責任も取らなくて済む」


「……はい」


「でもな」


俺は、ゆっくり言った。


「普通を目指すのも」

「十分、選択だ」


男が、少し驚いた顔をする。


「逃げでも」

「妥協でもない」


「……そうなんですか」


「ああ」


「ただし」


少し間を置く。


「“自分で選んだ”って感覚だけは」

「捨てるな」


男は、深く息を吸った。


「やりたいことがなくても?」


「なくていい」


「夢がなくても?」


「構わない」


俺は、男を見る。


「でも」

「自分の人生を」

「誰かのテンプレで生きるな」


しばらく、静かだった。


「……普通って」


男が、小さく言った。


「意外と、難しいですね」


俺は、それ以上、何も言わなかった。



事務所に静けさが戻る。


相棒が、ぽつりと言う。


「結局、どうなると思う?」


「さあな」


窓の外を見る。


「でも」

「自分で選んだ普通なら」

「案外、悪くない人生になる」


相棒は、肩をすくめた。


「今日もいい天気だね」


「洗濯日和だな」


普通は、どこにもない。


だからこそ、

選んだ場所が――

その人の居場所になる。


証拠は、いらない。


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