90話 シャノン・フルール──アイドルは花のように微笑む
ーー夜会の数日前ーー
昼のメニャータは、いつもより少し騒がしかった。
「きゃー!シャノン!!」
「こっち向いてー!」
「今日もかわいいー!!」
甲高い声が重なり、
花束と紙吹雪が、風に舞う。
その中心に立っているのは、
間違いなく“光”だった。
「はーい♡ みんなありがとニャン!」
シャノン・フルールは、
片目を閉じてウインクし、
両手でハートを作る。
紫と赤を基調にしたドレスが揺れ、
花飾りとレースのボンネットが、
太陽の光を受けてきらきらと輝く。
——完璧なアイドル。
誰もがそう思う。
彼女は、
メニャータで今、最も注目されている存在のひとり。
アイドルグループ
《ラニャンキュラス》のセンター。
歌ってよし。
踊ってよし。
愛嬌も、話題性も、申し分ない。
そして何より、
彼女は“明るい”。
「ねぇねぇシャノン!次はどんな衣装?」
「夜会に出るってほんと!?」
「貴族の前でも踊るの?」
問いかけが、雨のように降る。
「ふふ♡ ひ・み・つ、ニャン」
「でもねー、楽しみにしててほしいな」
「花は、咲く場所を選ばないから♡」
言葉は軽く、
笑顔は柔らかい。
けれど。
(……よく見てると、すごいな)
遠くから、その様子を眺めていた者がいた。
控室の影。
関係者用の通路。
シャノンのマネージャー——
いや、
“そう呼ばれているだけの人物”。
彼女は、
シャノンの視線が一瞬だけ、
客席の奥へ流れるのを見逃さなかった。
ほんの一瞬。
誰も気づかないほどの間。
だが、その目は——
獲物を測る猫のそれだった。
拍手と歓声に包まれ、
イベントは成功裏に終わる。
シャノンは最後まで笑顔を崩さず、
ステージを降りた。
控室に戻った瞬間。
「……はぁ」
空気が、変わった。
笑顔が落ち、
背筋が少し緩む。
だが、
疲れた様子はない。
むしろ、
頭は冴えている。
「今日の配置……警備、ちょっと増えてたな」
彼女は、
ドレスの裾をつまみながら、
鏡の前に立つ。
鏡に映るのは、
華やかなアイドル。
だが、
シャノン自身の目は、
その姿を“外側”から見ていた。
「夜会の準備、始まってるってことね」
誰にともなく、呟く。
シャノン・フルール——
それは、芸名だ。
本名を知る者は、
ほとんどいない。
ハナ・マオゲン。
それが、
彼女が夜に名乗ることのない、
もう一つの名前。
控室の奥、
衣装ラックの裏。
シャノンは、
誰にも見られない位置で、
小さく屈伸をした。
身体の重心を確認する。
——軽い。
(問題なし)
彼女は、
“昼の自分”を脱ぎ捨てる準備を、
もう始めていた。
その夜。
シャノンは、
人気のない屋根の上にいた。
衣装は変わっている。
派手さは残しつつも、
動きやすさを重視した装い。
ドレスは短く、
装飾は軽量化されている。
足元は、
音を立てないブーツ。
屋根瓦に、
軽やかな着地音。
「……今日も平和そうで何より、ニャン」
彼女は笑う。
だが、
その声は、昼の甘さとは違う。
夜の空気に溶ける、
低く、しなやかな声。
屋根から屋根へ、
彼女は跳ぶ。
残るのは、
ほんの一瞬の影と——
猫の足跡。
それは、
意図的に残されたものだ。
(噂は、広がったほうがいい)
怪盗は、
知られなければならない。
だが、
“全て”を知られてはいけない。
シャノンは、
とある屋敷の屋根に腰を下ろし、
夜会の招待状を取り出した。
金の縁取り。
格式ある文面。
「……ふぅん」
彼女は、
くるくると指で回す。
「《光輝の聖槍飾り》、ね」
昼のアイドルとしても、
夜の怪盗としても、
耳に入ってきていた名前。
「宝石?槍?」
「そんなの、どうでもいいニャン」
彼女が興味を持つのは、
“人”。
誰が、
何を隠して、
何を守ろうとしているのか。
それを見るのが、
好きだった。
屋根の向こうで、
風が揺れる。
どこかで、
光の気配がした。
(……へぇ)
シャノンは、
目を細める。
「正義気取りの怪盗も、動いてる?」
その予感は、
妙に確信めいていた。
だが、
敵対する気はない。
むしろ——
「面白くなってきたニャン♡」
花は、
同じ夜に、
複数咲いてもいい。
怪盗は、
一人である必要はない。
シャノン・フルールは、
夜空に向かって、
軽く一礼した。
「花のように可憐に……」
「あなたのハートも、いただきニャン♡」
その言葉は、
まだ誰にも届かない。
だが、
夜会の日。
街中が、
否応なく知ることになる。
——
光の義賊と、
花の怪盗が、
同じ夜に踊ることを。




