85話 炎の逆鱗──占い師が怒るとき
森の空気は、完全に変わっていた。
さっきまで散っていったはずの火属性魔物の気配が、
今度は一本の線になって、こちらへ戻ってくる。
――集められている。
そんな感覚が、背中を撫でた。
「……来るね」
レイリンが小声で言った。
「ああ。さっきより、はっきりしてる」
リズは前に出たまま、振り返らない。
黄金の球体が、いつもより低い位置で浮かび、
淡い光ではなく、芯のある輝きを放っている。
「……ここから先は、偶然ではありません」
彼女の声は、穏やかだ。
だが、温度がない。
「誰かが、意図的に“運”を歪めています」
「犯人は?」
「分かりません」
即答だった。
「でも……
やり方が、あまりに雑です」
風が吹いた。
木々の葉が一斉に揺れ、
火の匂いが、はっきりと混じる。
森の奥から現れたのは、
さっきの魔物よりも明確な“異常”だった。
形は獣。
だが、体の輪郭が揺らぎ、
赤い目がいくつも瞬いている。
「……運が、暴走してる」
レイリンが息を呑む。
攻撃が当たるかどうかではない。
当たった“結果”が、異常に偏っている。
一歩踏み出した魔物が、突然転倒し、
別の一体が、その勢いでこちらに突っ込んでくる。
「ロン!」
「分かってる!」
俺は前に出て、受け止めた。
衝撃は重い。
だが、それ以上に――
「……おかしい」
「え?」
「こいつら、自分で自分を追い詰めてる」
運が悪い、というより、
“悪くなる方向だけが選ばれている”。
リズの声が、背後で響いた。
「これが……
無理やり未来を固定した結果です」
黄金の球体が、強く光る。
「占いを“利用”した者は、
必ず、こうなります」
彼女は一歩、踏み出した。
その瞬間、
魔物たちの動きが、完全に乱れた。
攻撃が空振りし、
逆に仲間同士で衝突する。
「……リズ、やりすぎじゃない?」
レイリンが心配そうに言う。
だが、リズは止まらない。
「まだです」
声が、低い。
「これは――“裁定”です」
黄金の球体が、赤く染まった。
炎の色。
だが、燃え広がる炎ではない。
一点に、凝縮された火。
「《クリスタルゲイズ》」
その言葉が放たれた瞬間、
世界が、静止したように感じた。
魔物の中で、
最後尾にいた一体――
最も歪みが大きかった存在に、
黄金の視線が突き刺さる。
逃げ場はない。
運が、そこに“固定”される。
次の瞬間、
炎が、一直線に走った。
派手な爆発はない。
だが、その一撃は、確実だった。
魔物は、声を上げる暇もなく、
内部から焼き切られ、崩れ落ちる。
周囲の魔物たちが、一斉に動揺した。
まるで、
“次は自分だ”と理解したかのように。
「……これが、怒ると手が付けられない、か」
俺は呟いた。
リズは振り返らない。
「怒ってはいません」
きっぱりとした否定。
「私は……
忠告を無視された結果を、
示しているだけです」
その声には、感情がなかった。
だが――
それが一番、怖い。
残った魔物たちは、
急に逃げ腰になった。
攻撃は乱れ、
動きはちぐはぐ。
「今だ、ロン!」
「任せろ!」
俺とレイリンで前に出る。
戦いは、もはや戦闘ではなかった。
流れが、完全にこちらに傾いている。
最後の一体が倒れたとき、
森は、ようやく静けさを取り戻した。
リズは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
黄金の球体が、ゆっくりと色を戻す。
「……終わりました」
そう言った声は、
いつもの穏やかな調子に戻っていた。
レイリンが、恐る恐る近づく。
「リズさん……怒ってた?」
「いいえ」
彼女は、首を振る。
「怒りは、判断を鈍らせます」
「じゃあ、さっきのは?」
リズは少し考え、答えた。
「……覚悟、でしょうか」
俺は、彼女をまっすぐ見た。
「忠告を聞かなかったら、どうなる?」
「今日のようになります」
即答だった。
「そして……
それでも止めない者には、
もっと重い“結果”が訪れる」
風が、静かに吹いた。
火の匂いは、もうない。
「だから、私は優しく在ります」
リズは続けた。
「優しいほうが、
多くの人が立ち止まってくれるから」
俺は、何も言えなかった。
――優しい占い師。
その裏にあるのは、
誰よりも冷静で、誰よりも重い覚悟だった。
リズ・プリム。
怒ると手が付けられない、という噂は、
間違ってはいない。
ただし、それは――
彼女が感情的になる、という意味ではなかった。
未来を、
容赦なく突きつける人。
それが、
彼女の本当の姿だった。




