84話 歪む未来──占いが示した“最悪の可能性”
リズと別れてから、街道はしばらく静かだった。
魔物の気配もなく、
風も穏やかで、
旅としては拍子抜けするほど順調だ。
――にもかかわらず。
胸の奥に、小さな棘のような違和感が刺さったまま抜けない。
「……なあ、レイリン」
「うん?」
俺は歩きながら、周囲を見渡した。
「静かすぎないか?」
「そう?いつもこんなものじゃ――」
言いかけたレイリンが、言葉を切る。
彼女も、気づいたらしい。
音が、足りない。
鳥のさえずりがない。
虫の羽音も聞こえない。
風は吹いているのに、葉擦れの音が不自然に小さい。
「……これ、嫌な静けさだね」
その瞬間だった。
――ぱき。
足元で、枝が折れた。
誰かが踏んだ音。
だが、人の姿は見えない。
「来るぞ」
すぐに身構えた。
森の奥から、低く濁った気配が湧き上がる。
魔物だ。
だが、さっきまでの獣とは違う。
――運が、偏っている。
そんな言葉が、頭をよぎった。
茂みが揺れ、
影が、いくつも浮かび上がる。
火属性の魔物。
だが、どれも形が不揃いで、焦げたような痕がある。
「……不安定だ」
「魔力が、歪んでる」
レイリンの声が硬い。
戦いは避けられない。
俺が一歩踏み出した、その瞬間――
「――止まりなさい」
聞き覚えのある声が、空気を裂いた。
黄金の光が、視界の端で揺れる。
「……リズ?」
彼女は、森の入口に立っていた。
だが、いつもの穏やかな微笑みはない。
表情は静かだが、瞳の奥が鋭い。
「……来てしまいましたね」
「偶然か?」
「いいえ」
リズは黄金の球体を、強く握った。
「これは、“避けた結果”です」
嫌な言い方だった。
「どういう意味だ?」
「あなた方は、さきほどの選択で、
“怒りを買う未来”を避けました」
「それは良いことだろ」
俺が言うと、
リズは静かに首を振った。
「代わりに、別の未来が前に出てきた」
魔物たちが、こちらに向かって動き出す。
だが、動きがぎこちない。
互いにぶつかり、距離を詰めきれない。
「これが……最悪の可能性?」
「まだ、兆しです」
リズは一歩前に出た。
黄金の球体が、重く光る。
「未来は、枝分かれします。
ひとつを避ければ、別の枝が伸びる」
彼女の声は淡々としている。
「問題は……
その枝が“より太いかどうか”です」
レイリンが、息を呑んだ。
「じゃあ……私たち、間違えた?」
「いいえ」
リズはきっぱり言った。
「間違ってはいません。
ただ……覚悟が必要になった」
魔物の一体が、突然、暴れ出した。
仲間に噛みつき、
火花を散らしながら崩れる。
「……自壊してる?」
「運が、噛み合っていない」
リズの声が低くなる。
「この魔物たちは、
本来、ここに現れるはずではありませんでした」
嫌な予感が、背中を這った。
「誰かが、流れを弄った?」
「……可能性は高いです」
黄金の球体に、黒い影が混じる。
一瞬だけ、
炎と影が絡み合う未来の断片が、俺の視界に流れ込んだ。
――燃える森。
――逃げ惑う影。
――そして、怒り。
「……リズ」
「見ましたね」
彼女は目を閉じ、深く息を吐いた。
「これ以上は、視せられません。
私自身が、未来を固定してしまう」
魔物たちは、まだ動いている。
だが、どこか焦点が合っていない。
「今は、ここを離れましょう」
「倒せないのか?」
「倒せます」
リズはそう言ってから、続けた。
「ですが、倒す“意味”が、まだ定まっていない」
占い師らしい言い回しだ。
「つまり、これからもっと面倒になる?」
「……ええ」
彼女は、申し訳なさそうに微笑んだ。
「でも、逃げるだけでは、もっと悪くなります」
レイリンが一歩前に出る。
「じゃあ、どうするの?」
「今は、備える」
リズは黄金の球体を胸元に戻した。
「あなた方には、選択肢があります。
それを捨てないために」
魔物たちは、やがて森の奥へと散っていった。
まるで、何かに呼び戻されるように。
静けさが、戻る。
だが、それはさっきまでとは違った。
「……嫌な予感がする」
レイリンが呟く。
俺も同感だった。
「リズ」
「はい」
「さっき言ってた“怒り”」
「ええ」
彼女は、はっきりと答えた。
「それは、誰かの感情ではありません」
「じゃあ、何だ?」
「――運命そのものです」
背筋が、冷えた。
「選択を繰り返す者にだけ、
牙を剥くもの」
風が、強く吹いた。
木々が軋み、
火の匂いが、かすかに混じる。
「次に進むとき、
私は、もう少し踏み込みます」
リズは言った。
「その時は……
優しい占い師では、いられないかもしれません」
俺は、覚悟を決めた。
避けるだけじゃ、足りない。
向き合わなければ、もっと酷い未来が来る。
そう、はっきり理解してしまった。
――未来は、まだ決まっていない。
だが、
歪みは、確実に形を取り始めていた。




