81話 詩の続きを生きる──風はまだ終わらない
風は、完全には止まらなかった。
だが――
確実に、荒れ狂うものではなくなっていた。
霧の残滓は、森の奥へと薄く溶け、
まるで最初から存在しなかったかのように、
葉の隙間へと吸い込まれていく。
張り詰めていた空気がほどけた、そのとき。
レイリンが小さく息を吸い、
膝に手をついた。
「……はぁ……」
その瞬間、
ノエがこちらを振り返る。
「まだ、終わってないよ」
彼は静かに弓を地に立て、
再び、風に語りかけた。
「風と舞え、友よ」
風が、今度は優しく流れた。
戦場を撫でるように、
傷ついた体を包み込む。
俺の肩の痛みが、
ゆっくりと引いていく。
レイリンも、驚いたように自分の手を見つめた。
「……回復、してる」
「派手じゃないけどね」
ノエは微笑む。
「それでも、
“次の一歩”を踏み出すには、十分だろ?」
俺は息を整えながら笑った。
「……詩人ってのは、
後片付けまでやるんだな」
「詩は、余韻が大事なんだ」
風が、森を抜けていく。
それはもう、
敵意を帯びたものではなかった。
ノエは、しばらく黙って風を見つめていた。
彼の金髪が、静かに揺れる。
先ほどまでの緊張が嘘のように、
森は穏やかな呼吸を取り戻していた。
ノエは、少し考えるように言葉を選ぶ。
「詩が“続きを選んだ”、かな」
「続きを?」
俺が聞き返すと、
ノエは小さく笑った。
「詩はね。
結末を書くものじゃないんだ」
彼は、腰の詩稿に手を置いた。
「破滅を書いても、
それは“避けられない未来”を示すだけじゃない」
風が、木々の間を抜ける。
「どこで踏みとどまれるか。
どこで、違う選択をするか。
それを書くのが……本当の詩だよ」
レイリンが、そっと近づいてきた。
「……ノエ。
あなたの詩、ちょっと重いけど……
ちゃんと“生きてる”感じがする」
その言葉に、
ノエは少し驚いたように目を瞬かせた。
「ありがとう。
そう言ってもらえるのは……久しぶりだ」
俺は、ふと気になって聞いた。
「さっき言ってたよな。
“詩の続きを知る者”って」
ノエは、一瞬だけ視線を逸らす。
「……ああ」
そして、静かに言った。
「僕は、千年以上、生きてるエルフだよ。」
その言葉は、
あまりにもさらりとしていた。
レイリンが息をのむ。
「せ、千年以上……?」
「正確な年は覚えてないけどね」
ノエは肩をすくめる。
「長く生きると、
“終わり”を何度も見ることになる」
森の奥から、
鳥の鳴き声が聞こえた。
「村が滅びる詩も、
仲間が散る詩も、
全部、書いてきた」
彼は、弓を地面に立てかけた。
「だから……
いつの間にか、“破滅を書くこと”が
癖になっていたんだと思う」
俺は、少しだけ考えてから言った。
「でもさ」
ノエがこちらを見る。
「今日の詩は、
破滅じゃなかった」
風が、
俺たちの間を通り抜ける。
「止めるために、
一緒に戦うために、
“今”を書く詩だったろ」
ノエは、しばらく黙っていた。
そして、
ゆっくりと息を吐いた。
「……君は、不思議だね」
「よく言われる」
「長く生きると、
“誰かと並んで戦う”感覚を
忘れてしまうんだ」
彼は、少し照れたように笑う。
「今日は……
それを思い出した」
風が、
今度は背中を押すように吹いた。
「詩は、まだ終わらない」
ノエが言う。
「この森にも、
僕自身にも……
まだ、続きを書く余地がある」
レイリンが、柔らかく微笑んだ。
「だったら、
また会えるよね」
「うん」
ノエは頷く。
「風は、道を覚えているから」
彼は弓を背負い、
森の奥へと一歩踏み出した。
振り返って、こう言う。
「もしまた、
詩が現実になりそうなときは……」
「呼べばいい?」
俺が言うと、
ノエは、少しだけ悪戯っぽく笑った。
「そのときは、
今度は“希望の続きを”書こう」
そして、
風とともに歩き出す。
その背中は、
どこか軽く見えた。
俺は、しばらくその場に立ち尽くし、
森を抜けていく風を感じていた。
(……なるほどな)
破滅を知っているからこそ、
“生きる選択”を描ける詩人。
使いにくいとか、
中途半端だとか、
そんな評価は――
少なくとも、
この風の中では意味を持たなかった。
「行こうか」
レイリンが言う。
「ああ」
俺は頷く。
風は、まだ終わらない。
だから――
俺たちの冒険も、続いていく。




