78話 風の村──穏やかな詩人ロレール・ノエ
尾根を越えた先に広がっていたのは、
思っていたよりも静かな村だった。
高い木々に囲まれ、建物は地面に溶け込むように低く、
石と木と蔦で組まれた家々が、風の流れを邪魔しない配置で並んでいる。
人の気配はある。
だが、町のような賑わいはない。
話し声は小さく、
足音すら、土に吸い込まれるようだった。
「……落ち着く場所だね」
レイリンが、思わずというように呟いた。
「うん。
でも、静かすぎる気もする」
風は吹いている。
だが、それは尾根で感じた導くような風とは違い、
ここでは見守るような風に変わっていた。
村の入口で、俺たちは足を止める。
誰かに呼び止められるかと思ったが、
そうはならなかった。
代わりに――
「……その風の匂い。
外から来た人だね」
穏やかな声が、背後から届いた。
振り返ると、
一本の大樹の根元に、ひとりの青年が立っていた。
金色の髪。
エメラルドグリーンの瞳。
長い耳に、風を象った装飾。
背中には羽を模した飾りがあり、
手には弓――ではなく、細身の木製の筒を持っている。
弓使い、というよりも――
詩人。
第一印象で、そう思った。
「こんにちは。
旅の方かな?」
声は柔らかく、
警戒も、歓迎も、過剰ではない。
「俺はロン。こっちはレイリン」
「ロレール・ノエだよ」
彼は軽く頭を下げ、微笑んだ。
「風の流れが変わったからね。
誰か来ると思ってた」
(……やっぱり、気づいてたのか)
レイリンが少し驚いた顔をする。
「風で、分かるんですか?」
「分かる、というより……
聞こえる、かな」
ノエはそう言って、
自分の胸にそっと手を当てた。
「風は、いろんな声を運ぶ。
喜びも、不安も、迷いも」
その言葉は、詩の一節のようだったが、
気取った感じはまるでない。
自然に、そう在る人の言葉だった。
「村長さんに用があるわけじゃなさそうだね」
「うん。風の様子を見に来ただけで」
俺がそう答えると、
ノエは少しだけ目を細めた。
「……それなら、ここに来た理由は合ってる」
彼は踵を返し、
村の奥へ続く小道を指差す。
「よかったら、案内するよ。
この村、外の人には少し分かりづらいから」
断る理由はなかった。
歩き出すと、
村の空気が少しずつ、体に馴染んでくる。
木々の葉擦れ。
遠くで水が流れる音。
それらすべてが、一定のリズムを保っている。
「ノエさんは……詩人?」
レイリンが、控えめに尋ねた。
「詩を書くことが多いだけさ」
「多い、って……どれくらい?」
ノエは少し困ったように笑った。
「気づいたら、書いてる。
風が強い日も、静かな夜も」
(……詩が、生活の一部なんだな)
村人たちが、ノエを見る目は穏やかだった。
尊敬というより、信頼に近い。
子どもがすれ違いざまに手を振り、
年配のエルフが小さく頷く。
「慕われてますね」
レイリンが言うと、
「そうかな……?」
ノエは少し照れたように首を傾げた。
「ただ、長くここにいるだけだよ」
その言い方に、
俺は引っかかりを覚えた。
長く――という言葉の重み。
「どれくらい、ここに?」
「……そうだね」
ノエは空を見上げた。
木々の間から差し込む光が、
彼の横顔を照らす。
「正確な年は、もう数えてない」
「数えてない?」
「百年単位で考えるのが、
癖になってしまってね」
さらりとした口調だった。
だが、その言い方は、
どう考えても“普通”ではない。
レイリンが言葉を選ぶ。
「……長く、生きていらっしゃるんですね」
「まあ……そうだね」
ノエは曖昧に笑った。
「この村には、
時間の流れ方が違う人も多いから」
(それ、答えになってないだろ……)
だが、
その言葉の裏にあるものを、俺は感じてしまった。
長く生きる、ということ。
それは、
多くの別れを見送る、ということでもある。
「ノエさんの詩……
破滅的なテーマが多いって、聞いたことがある」
レイリンが、慎重に言った。
ノエは立ち止まり、
風の通る方向へ目を向けた。
「……そう言われることは多いね」
否定しない。
「どうして、そんな詩を書くんですか?」
少し、間があった。
その沈黙は重くはないが、
軽くもなかった。
「理由は、ひとつじゃない」
ノエは静かに言う。
「終わりを知っているから、かな」
「終わり?」
「うん。
栄えるものも、滅びるものも。
約束も、祈りも、すべて」
彼は俺たちを見た。
その瞳は穏やかだが、
底に深いものを湛えている。
「だからこそ、今を大切にする。
詩は、その記録みたいなものだよ」
レイリンは、胸の前で手を組んだ。
「……優しい詩ですね」
「そう思ってくれるなら、嬉しい」
ノエはまた歩き出す。
村の中央に近づくにつれ、
風が少しずつ強くなってきた。
だが、不安はない。
「ロン」
「ん?」
「君たちが来た理由、
たぶん……まだ表に出てない」
彼はそう言って、
意味深に微笑んだ。
「でも、それは今日じゃない。
風が、そう言ってる」
今日はただ、
穏やかな詩人と出会った日だ。
そう思うことにした。
エルフの村の風は、
静かに、確かに、俺たちを包んでいた。




