68話 風華の決断──マンドラゴラ×××
霧幻呪獣――その“本体”は学院中央塔の地下、
魔力循環装置の下層に潜んでいた。
メリアは霧の流れを読み、階段を駆け下りながら呟く。
「……ここが源。やっぱり……封印区画のすぐ近くじゃない」
地下は暗いはずなのに、
霧が淡く光り、視界を気味悪く照らす。
塔の中心にたどり着いた瞬間――
メリアの目の前で霧が歪み、巨大な影が形を持った。
霧幻呪獣・本体。
無数の触手のような霧が絡み合い、
中央に巨大な“瞳の穴”だけがぽっかりと開いている。
その“目”がメリアを見据えた。
「……来ると思っていたわ」
呪獣は音もなく触手を伸ばす。
メリアは杖を振り、風が迸る。
攻撃が空気ごと裂け、床をえぐった。
だが呪獣は地面に崩れた霧を吸収し――
すぐに再生した。
「……やっぱり。
コアを壊さない限り、意味がないのね」
決意の息を整え――
その時、背後の通路から激しい足音がした。
「メリアさん!!」
俺たちも駆け込み、拳を構える。
レチリアが魔導書を抱えて続く。
「危険だって言ったはずよ!
どうして付いてくるの!」
メリアが怒鳴るが、
俺は意に介さず霧の触手に突っ込んだ。
「そっちこそ、危険だから戻れなんて言うなよ!」
水属性の拳が霧の実体を砕き、
レイリンが散らばった霧を吹き飛ばした。
レチリアは震えながらも魔導書を開き、
結界を張って三人を守る。
「先輩……! 勝手にひとりで行かないでください!」
レチリアの声が震えている。
だが、その瞳はメリアを真正面から見ていた。
メリアの胸が小さく揺れた。
怒りではなく、別の感情がのぼる。
(……どうして……ついてきたのよ……!
危ないのに……)
呪獣が歪んだ唸りをあげた。
霧が渦を巻き、巨大な腕のように変形して振り下ろす。
「くっ……来るわよ!」
俺が前に出て受け止め、
レチリアが後方で詠唱する。
「水の魔道書……序……っ!」
防御膜が全員を包む。
だが、呪獣は質量を増しながら、再び迫る。
メリアは息を吸い込み――
ついに禁じ気味のスキルを発動する。
杖の先が黒い光を帯び、
風と影が混ざったような呪術陣が広がる。
空気が震え、レイリンが息を飲んだ。
「な、何この魔法……!?」
レチリアも思わず息を呑む。
「せ、先輩……これ、学院の通常課程じゃ見ない術式……」
「気にしないで。
あなたたちの前では……使いたくなかったけど」
メリアの声は低く、
その瞳は呪獣だけを見据えていた。
「――《マンドラゴラの×××》」
その瞬間、
呪獣の周囲に黒い蔦の幻影が絡みつき、
霧の流れが逆流するように歪んだ。
呪獣が暴れる。
しかし、黒い蔦がそれを締め上げる。
触手が触れ合うたび、霧が弾ける。
レイリンが震えた声で呟く。
「攻撃力……落ちてる……!
霧の動きまで狂わされてる……!」
俺も呼吸を整えながら頷く。
「霧の流れが滅茶苦茶だ……
これが……メリアさんの本気……!」
呪獣は苦しみに身をよじり、
霧が剥がれ落ちていく。
そこに――
レチリアの声が重なった。
「ローズウォーター……!」
二連射の水弾が呪獣の“穴”へ正確に突き刺さる。
メリアが驚いたように振り向いた。
「レチリア……!?
あなた……狙って……!」
「わ、わたしだって……成長してるんです…!
先輩の背中を追いかけてるんですからっ!」
呪獣が咆哮し、再生しようと霧を吸収する。
しかし、メリアのスキルが再生の“運”そのものを狂わせ、
形が定まらず崩れていく。
俺が前に出る。
「今だ、押すぞ!」
レイリンが支援の風を巻き起こす。
霧幻呪獣は苦しげに形を崩しながらも――
それでも再生を諦めなかった。
何度も何度も、
崩れ、形を保ち、そしてまた崩れ――
その度に大量の霧が辺りに流れ込む。
メリアは汗を拭いもせず、
風の鎖を強く握るようにスキルを維持していた。
「……これ以上引き延ばせない……!
このスキル、負荷が……!」
杖を支える手が震えている。
体力ではなく、“心”がすり減っていく。
ずっとひとりで戦い続けてきた者の、限界の兆し。
その姿を見て、低い声で言った。
「無理するな、メリアさん。
俺たちが支える」
レイリンも必死に風を送りながら叫ぶ。
「ひとりで抱え込まないで!
今はみんなで戦ってるんだよ!」
そして――
レチリアが涙をこらえながら声を上げた。
「先輩!
そんな顔……わたし、見たくないです……!」
その声に、メリアはほんの一瞬だけ、スキルの維持を緩めた。
ほんの一瞬――
だが、それで十分だった。
心に溜め込んだ重荷が、
揺らいでしまったのだ。
「……私、ひとりで守ろうと……
しすぎてたのかもしれない……」
初めてこぼれた弱音は、
霧がゆらぐほど静かな声だった。
だが――
レチリアが強く魔導書を抱きしめて叫ぶ。
「違います!
わたしも……みんなも……先輩と一緒に守りたいんです!」
呪獣が一瞬ひるむ。
俺が吠えるように前へ。
「メリアさん、下がるな!
俺たちで勝つんだ!!」
三者の声が重なり、
メリアの瞳に再び強い光が宿る。
「……ええ。
だったら――ここからは“みんな”で勝つわ!」
黒い蔦が再び強く輝き、
風が巻き上がる。
再生を繰り返す呪獣に、
風・水・体術が連携して迫る。
“ひとりで守る天才”から、
“仲間と戦う魔術師”へ。
メリアの心が、初めて揺らぎ、そして変わりはじめた瞬間だった。




