67話 学院襲撃──“霧幻の呪獣”
演習場での訓練が終わり、緊張がほどけかけていたその時だった。
学院の高塔――魔力監視塔 が、耳をつんざくような警報を響かせた。
「――警戒態勢。全生徒は職員の指示に従い避難を!」
赤い魔光が塔の先端で弾け、
学院全体に張られた魔術バリアが揺らぐ。
レチリアが杖を取り落としそうになりながら叫ぶ。
「な、何が起きてるんですか……?
こんな警報、わたし入学以来初めてです!」
メリアは一瞬だけ顔を強張らせた。
それは、レイリンも俺も見たことのない、危険を察した時の戦士の表情。
「……嫌な魔力。これは――霧魔術?いいえ……もっと厄介なものね」
その時、演習場の大扉が開き、
青いローブの教員が息を切らして飛び込んできた。
「シャンフ・メリア君! 応援を頼む!
学院中に“魔力霧”が広がっている!
正体不明の魔導生命が侵入した可能性が高い!」
「……了解しました。レチリア、あなたは――」
「せ、先輩、わたしも行きます!」
怖がりながらも、一歩前へ出たレチリア。
震える指先。
しかし、その瞳は逃げていない。
メリアはわずかに目を細め、
短く頷いた。
「……なら、後衛での援護を任せるわ。
レイリン、あなたもレチリアを守って」
「もちろん!」
俺は自らの大きな腕を組み、
一歩前に出た。
「前衛は任せろ。
何が来ても俺が押しとどめる」
その言葉が終わるよりも早く――
学院の廊下全体に、“霧”が流れ込んできた。
白い霧。
だが、単なる水蒸気ではない。
魔力がねじれ、空気がざらついている。
床に影が走り、霧が一箇所に集まり始める。
「っ……これは……!」
レチリアが魔導書を抱えて後ずさる。
霧が膨らみ、形を取り――
巨大な“顔”とも“仮面”ともつかない輪郭が浮かんだ。
中心には、目のような空洞だけが真っ黒に開いている。
まるで存在そのものが曖昧なまま、
学院の魔力に寄生して生まれたような存在。
教員が震える声で呟いた。
「……まさか……“霧幻の呪獣”……!?
あり得ない……封印されているはず……!」
「名前はどうでもいい。来るぞ!」
霧幻呪獣が床を滑るように動き、
生徒たちへ触手のような霧を伸ばしてきた。
レイリンがすかさず声を上げる。
「レチリアちゃん、後ろ!」
「ひゃああっ!」
触手が迫る――その前に、
すさまじい勢いで横から殴りつけた。
拳が霧を殴ると同時に、水属性の衝撃が炸裂する。
霧は弾け、触手は霧散した。
「今のは……霧なのに、ちゃんと手応えある!?」
レイリンが叫ぶ。
「魔力で“実体”を持たせてるんだよ! 危険すぎる!」
霧幻呪獣は吠えた。
音ではなく、空気を震わせるような歪み。
次の瞬間――
学院各所から悲鳴が響く。
「魔法が効かない!?」
「いや、霧が吸ってるんだ!」
「逃げろ――!」
レチリアは震えながらも、
俺たちの背中を見て息を整えた。
「わ、わたしも……やらなきゃ……!」
魔導書を開き、術式を展開する。
水の魔道書・序!
防御結界が俺とレイリンの周囲に張られた。
透明な水の膜が二人の動きを邪魔せず、
霧の侵食を抑え込む。
「助かる! レチリアちゃん、ナイス!」
レイリンが叫び返す。
霧幻呪獣は結界を嫌ったように揺れ、
今度は演習場の床へ霧を浸食させ始めた。
石床がきしみ、魔力が吸われる。
「こいつ、学院の魔力を食ってやがる……!」
その時――
メリアが前へ進んだ。
風が杖の周囲に集まり、
淡い緑色の光が迸る。
「……この霧……性質が完全に狂ってる。
誰が、こんなものを……」
彼女は鼻先で霧の気配を読み取ると、
低く呟いた。
「……まさか、ユリシス先輩の……」
レイリンが驚いて振り返った。
「あの天才の? でも……学院を襲う理由は……」
「違う。彼が直接仕向けたわけじゃない」
メリアは霧幻呪獣を見据えたまま言う。
「これは……彼が昔、実験に失敗して封印した“魔力霧の残滓”……
封印が弱まり、外に出てしまったんだわ」
その言葉に、レチリアの顔が青ざめる。
「そ、そんな……! だって封印区画は……!」
「学院の防壁が揺らいだ時、
その小さな歪みをついて溢れたのよ。
……急がなきゃ、本体が動き出す」
メリアは杖を握り直し、
俺たちの方へ振り返らずに言った。
「ここはあなたたちに任せるわ。
レチリアとレイリン、生徒たちの避難を。
ロン、前衛で時間を稼いで」
「どこへ行くつもりだ、メリアさん?」
「霧幻呪獣の“核”を探すの。
あれを破らなければ、この霧は止まらない」
そう言い残し、
メリアは風そのもののように走り出した。
一瞬で霧の中へ消える。
レチリアが手を伸ばす。
「先輩、危険です! ひとりじゃ――!」
「止めても無駄だよ、レチリアちゃん」
レイリンがそっと肩を掴む。
「多分……あの人は、ずっとこうして学院を支えてきたんだ」
俺も剣を構えながら言った。
「なら、俺たちがやるべきは決まってる。
“援護と足止め”。
メリアを無事に帰すためだ」
霧幻呪獣が再び咆哮し、
霧が波のように押し寄せる。
レチリアは勇気を振り絞って魔導書を開いた。
「ローズウォーター……!
わたし、頑張りますから!!」
水弾が霧を裂き、
レイリンの風が援護し、
俺も前へと突き進む。
――学院を守るために。
――そして、メリアをひとりにしないために。




