64話 シャンフ・メリア──風華の魔術師
レチリアは膝に手をつき、肩で息をしていた。
魔道書を片手で抱えたまま震えているのに、どこか誇らしげな光も見えた。
(あの魔力生命体の前で……自分から踏み出して……よく耐えたな)
心の中でそう呟く。
レイリンはレチリアの背をそっと支えた。
「レチリアちゃん、大丈夫? すごかったよ、さっきの魔法」
「……だ、大丈夫、です……。
こ、怖かったけど……でも……がんばれって……思えて……」
レチリアの視線は、少し先――
風に包まれながら歩いてくる少女へ向けられていた。
風の音が、彼女だけのために道をつくる。
舞い落ちるのは魔力の花弁。
杖の先端に宿る青い宝石が、淡い光を放ちながら揺らめいていた。
「…… メリア先輩……」
その名前を掠れた声で呼ぶと、
少女はほんのわずかに表情を緩ませた。
「ずいぶん派手に騒がせてくれたわね、レチリア」
落ち着いた声。
しかし、潜む優しさは隠しきれていない。
レチリアは反射的に背筋を伸ばす。
「す、すみませんでした……!
わ、私のせいで、また先輩に……!」
「違うわ」
メリアの声が静かに響いた。
「今のはあなたが“止めた”の。
私はただ、最後を整えただけよ」
そう言いながら杖を軽く回すと、
周囲の風が一斉に収束し、生命体の散った魔力が吸い込まれるように清浄化された。
レチリアの瞳が揺れる。
「わ、私が……止めた……?」
「ええ。少なくとも、暴走を抑えられるレベルにまで削ったのはあなた」
メリアは、まっすぐレチリアの目を見つめた。
「もしあなたがローズウォーターを撃たなかったら、
私がここへ来ても、対応が間に合わなかったかもしれない。
あれは……見事だったわ」
レチリアの目が大きく見開かれた。
数秒の沈黙。
そして――
彼女の瞳に、涙がいっぱいに溜まった。
「……っ…… メリア先輩……っ……!」
耐えきれず声を震わせたレチリアを、
メリアはそっと受け止めた。
(……おお……)
(先輩後輩って感じだなぁ……)
俺とレイリンは、なんとも言えない感動に包まれながら、その光景を静かに見守った。
レチリアは声を殺しながら続ける。
「私……ずっと怖かった……。
魔道書もうまく扱えなくて……迷惑ばかりで……
先輩に追いつきたくても、全然……」
「追いつく必要なんてないわ」
メリアはレチリアの肩に手を置き、目を細める。
「“あなたができること”を伸ばせばいい。
私はあなたに、私と同じ道を歩けなんて言ってない」
「先輩……」
レチリアの唇が震えていた。
それでも、彼女は涙をぬぐい、深呼吸を一つ。
「……ありがとうございます……」
ようやく言えたその言葉に、メリアは小さく頷いた。
そして俺とレイリンのほうを向き、軽く礼をする。
「二人とも……助けてくれてありがとう。
あなたたちがいなかったら、レチリアはここまで来られなかったはずよ」
「そんな、俺たちは……ただ横で見てただけですよ」
「私は応援くらいしかできてないしね」
レイリンが照れたように笑うと、
メリアは一瞬だけ驚いたような顔をした――が、すぐに微笑んだ。
「応援は、とても大事よ。
魔法使いだって、誰かが“見てくれている”だけで強くなれるもの」
(……この子、言葉の選び方が上手いな)
落ち着いた語り口なのに、温度がある。
だから後輩から慕われるのだろう。
メリアはレチリアの頭を軽く撫でると、杖を肩に乗せた。
「さて。ここからは私が案内するわ。
学院の地下で起きている異常、まだほんの入り口よ」
レチリアは不安と期待を半分ずつ抱いた表情で頷いた。
「はい……! 先輩と一緒なら……大丈夫、です!」
「ふふ……頼りにしてるわよ」
そのやり取りは、師弟でも姉妹でもない。
“高め合う魔術師同士”の距離感。
メリアは杖を軽く地面に打ち鳴らす。
――コン。
その瞬間、花弁が舞い、風が螺旋を描いてレチリアの周囲を包み込む。
まるで祝福のように。
「レチリア。
あなたの本当の力は、まだこんなものじゃない。
次は……あなたが主役よ」
レチリアは驚き、そして笑った。
「……はいっ!」
メリアはくるりと踵を返し、風とともに歩き出す。
「続きは、私が案内するわ。
さあ、ついてきて」
その背中は凛として、
地下の薄暗がりの中でも、希望のように光っていた。
レチリアは魔道書を抱え直し、俺たちを振り返った。
「ロンさん、レイリンさん……!
私、もう逃げません。
どうか……これからも見ていてください!」
レイリンがにっこり微笑む。
「もちろんだよ。がんばれ、レチリアちゃん!」
俺も力強く頷く。
「お前ならできる。堂々と行け」
レチリアは顔を赤くしながらも笑い、
小さな角がピン、と嬉しそうに揺れた。
そして――三人は風の背を追い、
学院の奥深くへと歩みを進めていく。




