62話 魔導図書館──“水の魔道書・序”
魔法学院の図書館は、いつ来ても空気が特別だ。
高い天井を支えるアーチ状の梁。
壁一面を覆う本棚は、古い羊皮紙から最新魔導研究まで並び、
背表紙が静かに魔力を帯びて輝いている。
レチリアの案内で
“魔導書専用閲覧区画”に入っていた。
室内はひんやりと涼しく、
空気に混ざった魔力の粒子が青白く漂っている。
レチリアが小さな声で言った。
「……あの、ここなら……魔力暴走、しづらいので……
少しだけ、練習を見ていただけますか?」
「もちろん。手伝えることがあれば言ってくれ」
俺がそう答えると、
胸元を押さえて、ほっとしたような顔をした。
レイリンは机のスペースを整えながら笑う。
「ここなら大丈夫だよ、レチリアちゃん。
ほら、魔導結界も張ってあるし」
視線を向ければ、閲覧机の周囲に淡い光膜。
“結界付き机”は高位の魔術師もよく使う物らしい。
レチリアは自分の魔導書をそっと開いた。
銀水色のページに刻まれた魔導陣が
ふわり、と淡く浮かび上がる。
「じゃ、じゃあ……まずは、基礎の基礎から……」
深呼吸して、杖を右手に。
(本当に……努力してるんだな、この子)
少し震える指先に、そんな気持ちが滲む。
◆ “水の魔道書・序”──基本結界の発動
「――《水の魔道書・序 》」
レチリアが呟いた瞬間、
ページの魔力が柔らかく広がり、
周囲の空気がひんやりと引き締まった。
淡い青の壁がゆっくりと立ち上がり、
俺たちを包み込む。
「おぉ……」
思わず声が漏れた。
普通の水属性結界より、はるかに均質だ。
レチリアは控えめに微笑む。
「防御力を……水の膜で底上げする術式です。
本来は簡単なはずなんですけど……どうもページが勝手に反応して……」
「いや、これ……十分に実用レベルだろ」
素直に感嘆した。
レイリンも結界を指先で軽く触ってみて、
「うわ、本当に滑らか……!」と目を丸くする。
それを聞くとレチリアは頬を赤らめた。
「そ、そんな……先輩方に比べたら……
わたしの魔法なんて、本当に初歩なんです……」
(いやいや……この世界の“初歩”を舐めるなよ……)
口を開きかけたその時――
ページが勝手にめくれ、
魔導書から光が走った。
「きゃっ……!」
「レチリア、続くのか?」
問いかけると、
レチリアはうろたえながら言う。
「次は……攻撃の基礎術式です。
ちょっとだけ、不安定で……」
レチリアは震える手でページを押さえ、
慎重に魔力を流す。
「……《ローズウォーター》──!」
瞬間、花びらの香りを含んだ水弾が
ふわりと空中に浮かんだ。
それが――
ひゅんっ!
いきなり俺の肩スレスレを通過した。
「うおあっ!?」
続いて二発目が違う方向に飛び、
棚の結界に弾かれて弧を描く。
ぱしゅん!
壁に当たって水しぶきが光りながら散った。
レイリンが笑いを堪える。
「れ、レチリアちゃん……これ、ちょっと危な――」
「ご、ごめんなさい! ランダム対象なんです……!」
「うん、わかるけど……わかるけど……!」
この暴れっぷりでも
魔法としては成立している。
水弾の威力も当たりどころも悪くはない。
だが――
(ターゲットがランダムすぎる……!)
レチリアはしゅんと肩を落とした。
「……こうしてみると、わたし、やっぱり才能ないですよね……
魔道書がわたしの魔力層とうまく適合しないっていうか……
どうしても、不安定で……」
俺は首を振った。
「いや、違う。
制御に“初心者特有の癖”があるだけだ」
「え……?」
「魔導書は持ち主の感情や自信の揺らぎを読み取る。
レチリア、自分で思ってるほど下手じゃないぞ」
レイリンも言った。
「そうだよ! 結界なんてすっごく綺麗だったよ!」
レチリアは
「お、褒められた……」
みたいに目を丸くし、頬がほんのり赤くなる。
そのとき――
奥の書架のほうから、教師らしい人物の声が聞こえた。
「……ユリシス・ルースは今回の調査にも来ていないらしい」
「学院最年少卒業者の天才がこのところ姿を見せぬとは……」
「蒼の幻術師は好きに動く。学院も止められん」
(ユリシス……ルース……?)
聞いた名だ。ゲームでは、天才魔術師。
たしかこの学院の魔導体系を塗り替えたとまで言われる男。
レチリアが小さく呟いた。
「ユリシス師――最近、学院に全然顔を出していなくて……
生徒の一部は心配してるんです。
魔力層の異常が増えてるから、
それと関係しているんじゃないか、とか……」
レイリンが眉を寄せる。
「魔力層の異常……?」
レチリアは唇を噛んだ。
「……この学院の地下、魔力溜まりの一部で、
微弱な波紋が観測されているんです。
本来、魔導書の初級術式じゃ感知できないレベルなのに……
最近は……わたしみたいな見習いでも、
時々“ざわっ”って……変な気配を感じてしまって」
言葉を途切れさせ、
レチリアの尾の先が不安げに揺れる。
(天才魔術師の消息不明、魔力層の異常、そして学院の暴走増加……
ただの偶然とは思えないな)
レチリアは魔導書を抱え直し、
不安を誤魔化すように笑った。
「……あ、すみません。
練習つき合わせちゃって。
でも、少し……気持ちが軽くなりました」
レイリンが言う。
「レチリアちゃん、魔法うまいよ。
もっと自信持とう?」
俺も頷いた。
「この先が心配なら、
地下の魔力溜まり、少し見てみてもいいかもな」
レチリアは驚きと喜びが混じったような表情になり――
「……はい!
では……その……案内します!
その、魔力層の異常が出てるって場所まで……!」
尻尾がぴんと立った。
小さくても、確かな決意。
その瞬間、
静謐な魔導図書館に、
新しい物語の風が吹き始めた。




