50話 メニャータ養蜂園──甘い香りと風の音
冬の海での遠征から数日。
店の仕込みも落ち着き、久しぶりに「静かな朝」を迎えていた。
厨房の窓から差し込む淡い光が、スープ鍋の縁でやわらかく揺れる。
静けさが気持ちいい。
手は自然と麺の準備に動きながら、心も、ふっと軽くなるような穏やかな時間だった。
その時だった。
「ロン、ちょっと話があるんだけど……いい?」
レイリンが湯気の向こうから顔を覗かせた。
髪が朝光に反射して、どこか柔らかい金色を纏っている。
「どうしたんだ、改まって」
レイリンはカウンターに手をついて、うっすらと微笑んだ。
「春向けの新メニュー、考えたいなって思ってさ。
“甘味系ラーメン”……試してみたくない?」
甘味系ラーメン――
そう言われて、俺は自然と想像した。
イベントでチョコレートを使ったラーメンもあったけど、さすがに……
味噌に甘みを添える形か、醬油のコクを深める仕上げか……
いや、いっそ塩ベースにほのかな甘さを重ねる、っていうのも――。
「悪くないな。
けど、その甘味って……どこから?」
レイリンの表情がぱっと明るくなる。
「それがね。
メニャータ養蜂園の蜂蜜を使えたらなって思ったの!」
あぁ、なるほど。
メニャータの“魔蜜”。
ただの甘味じゃない。
体力回復、魔力の循環促進、保存性の向上……。
それに、あの柔らかい香りは料理と相性がいい。
一匙落とすだけで、スープの奥にふわっと広がる“優しさ”が生まれる。
「でも最近、蜂蜜の出荷が少ないって聞いたけど?」
「それがね……どうやら養蜂園が、ちょっと困った状況らしくて。
採蜜場所の奥に、モンスター被害が出てるみたい」
レイリンは、指先でテーブルの縁をなぞる。
「だから……お礼にラーメンを提供するって条件で、
見学と採蜜のお手伝いをお願いできるかも、って聞いたんだ」
「なるほどな。
こちらとしては願ったりかなったりだ」
新しい食材の獲得、そしてその土地の文化を知ることは、
ラーメンを進化させる上では欠かせない。
こうして俺たちは――
昼の営業を早めに切り上げ、メニャータの郊外へ向かうことにした。
メニャータの街道を歩くと、空気が段々と変わってくる。
途中までは冬の冷たさを含んだ風だったのに、
養蜂園に近づくほど、どこか柔らかい香りが混ざる。
甘さ……だけじゃない。
草の青い匂いと、陽だまりのぬくもりを連れてくる風。
やがて視界が開け、
花畑が一面に広がる丘が姿を現した。
赤、黄色、白、青……
冬なのに、季節を反したように鮮やかだ。
魔力を吸った“蜜樹”が花を咲かせ続けているらしい。
その花畑を――
ひとりの少女がすいすいと飛んでいた。
小柄で、年齢はレイリンより少し下に見える。
淡い金髪のボブカットが風に揺れ、
背中には透明な翅が光を反射していた。
衣装は黄色と緑の蜂モチーフ。
腰元にはふわふわの毛皮の飾り。
手には、蜂の巣と花がついた杖。
“蜂の妖精”のような……いや、
亜人の特徴――触角の飾りと翅――を見るに、
彼女こそ「メル」だ。
風に乗って降りてくると、目を輝かせて手を振った。
「はじめまして! メニャータ養蜂園のメルですっ!」
声が、驚くほど明るくて無邪気だ。
まるで花畑の中心に咲いたひまわりみたいに元気。
「養蜂園の案内は、今日は私が担当です!
お二人は……ロンさんとレイリンさんですね?」
レイリンが笑顔で答える。
「そう。ラーメン屋をやってて、今日は採蜜のお手伝いに来たの」
メルはぱぁっと表情を輝かせる。
「わぁ!ありがとうございます!
実は……最近ちょっと困ってて……
後で説明しますけど……本当に助かります!」
元気よくウィンクすると、
彼女は俺の手をぐいっと掴んだ。
「じゃあまずは挨拶から――
よろしくお願いします、ロンさんっ!!」
「お、おう……?」
掴んだ手から、ふわりと暖かい風が流れ込むような感覚。
身体の奥にあった疲れがすっと薄れる。
(……なんだこれ。癒やされた……?)
メルがにこにこしながら言う。
「えへへ、よく言われます。
“元気な挨拶は、人も蜂も元気にする”って、お姉ちゃんたちにも褒められるんです」
これが――
メルのスキル《挨拶は元気に!》 の自然効果か。
納得だ。
メルに案内されながら歩いた先には、
蜂の巣を模した塔、蜜壺、蜜樹の林……
まるで自然と魔法が融合した庭園のような風景が広がっていた。
「すごいな……これ全部、蜂蜜を作るための場所か?」
「はいっ!
メニャータの蜂さんたちは、魔花や蜜樹の花から魔力入りの蜜を集めて、
“魔蜜”を作るんです!」
メルは花の冠みたいに笑う。
「魔蜜はね、
疲れが取れるし、体の循環も良くなるし、
ちょっとだけ魔力も回復するんです。
料理にも錬金にも、全部ぴったりなんですよ!」
「……まさしく万能食材だな」
「はい!誇りなんですっ!」
その誇らしげな笑顔を見て、
俺は確信した。
(この蜂蜜は……絶対に、うちのラーメンを変える)
新しい味の可能性が、
舌の先でひっそりと光を帯びる。
メルは軽く浮かび上がって言った。
「じゃあ、このあとは養蜂園の奥をご案内しますね!
ちょっと気になる場所があって……」
気になる?
レイリンが首をかしげる。
「何かあったの?」
メルは一瞬だけ表情を曇らせた。
「……最近、モンスターが多くて。
お姉ちゃんたちがいない日は、私が見回りしてるんですけど……
奥の大花巣が、ちょっと荒らされちゃってて」
風がそよぎ、花が揺れた。
さっきまでの明るい空気とは違う、
かすかな緊張が漂う。
「でも大丈夫!
私がちゃんと案内しますから!」
メルはぎゅっと拳を握り、また笑顔に戻った。
その笑顔の後ろで、
花畑の風が少しざわめいていた。
――甘くて優しい香りの奥には、
まだ俺たちが知らない“問題”が潜んでいる。
それを感じ取ったところで、
メニャータ養蜂園での一日が本格的に始まった。




