42話 海辺の村で──“速すぎる拳”との遭遇
冬の潮風が、頬に鋭く刺さる。
海辺の村は、雪に覆われているはずなのに、
どこか湿った塩気が混じっていた。
港にはいくつも船が係留され、漁師たちの声が飛び交う。
「浅瀬は危ねぇぞ、氷化ドロドロが出てる!」
「海藻も採れねぇし、冬の仕込みが間に合わねぇ……!」
レイリンが心配そうに辺りを見渡した。
「ロン……なんか、みんな困ってるみたい」
「ああ。氷化ドロドロか……面倒なやつが出たな」
この世界では何がどれほど危険なのか分からない。
油断は禁物だ。
俺たちは、まずは事情を聞くために港へと足を運んだ。
「すみません、“海素材”を取りに来たんですけど──」
漁師に声をかけた瞬間。
背後から、
“ぞり……ぞり……”
と、氷を擦るような不気味な音が響いた。
振り返ると──
海藻のような粘液と氷の結晶でできた魔物、
氷化ドロドロ が地面を滑ってくる。
「ひっ……!」
レイリンが半歩よろめく。
氷化した粘体は冷気を撒き散らしながら迫る。
レイリンが後ろに下がろうとした、その瞬間──
「レイリン、後ろ──!」
俺が声を張り上げた時にはもう遅い。
氷化ドロドロが飛びかかろうとして──
そのとき、
──“ずばぁんッ!!”
空気が爆ぜた。
寒風すら追いつけない速度で、
ひとつの影が横切る。
氷化ドロドロの身体に、
三つの打撃音が連続して刻まれた。
ドンッ! ドンッ! ドンッ!
「…………え?」
衝撃に、魔物の体がひび割れる。
次の瞬間、氷の破片と粘液が四方に散った。
白い煙が晴れると──
そこに立っていたのは、一人の獣人
茶色の毛並みに、海風になびくしっぽ。
青いセーラー帽。
キリッと鋭い目つき。
右手には小さな棍棒。
そして──無邪気な笑み。
「へへっ! 危なかったな、姉ちゃん!」
「えっ……あ、あの、助けてくれて……!」
レイリンが胸に手を当てて息を整える。
獣人は頬をかきながら笑った。
「困ってる人見ると、ウズウズしちまう性分でよ!」
漁師たちが安堵の声を上げる。
「おおっ、ラントだ! さすが海辺の拳士!」
「氷化ドロドロなんざ、ラントの敵じゃねぇ!」
ラント──
その名を聞いて、俺は心臓が跳ねた。
(まさか……本物の“ラント・ニコーレ”か?)
ゲームでは水属性パーティ最強の速度バッファー。
多くのプレイヤーが憧れ、
“そのスキルを複数並べるとゲームバランスが壊れる” ほどの存在。
だが目の前のラントは、
ゲーム以上に生きた存在だった。
ラントが俺たちに近づいてくる。
しっぽがピン、と立っている。
その姿は、どこか犬のようで愛嬌がある。
気さくな笑顔。
頼もしさ。
そして、たった一撃で魔物を倒す圧倒的な“速さ”。
(これが……獣人拳法‐組手‐の実力……!)
胸が熱くなる。
レイリンはまだ驚いた様子でぽつりと言った。
「さっきは……その、すごかったです……!
あんな速さ、見たことなくて……」
「へへっ、褒めてもなにも出ないぜ?
アタイの拳はさ、海育ちの拳なんだよ」
ラントは笑いながら、木の柱に背中を預ける。
しっぽが、ぴん、と立っている。
「海育ち……?」
「そう。海が荒れりゃ漁師さんが船出できねぇ。
密猟者が来たら、村の子らが怖がる。
冬は魔物まで浅瀬に寄ってくるし……
だからアタイ、ちょっとでも危ねぇ奴いたら、全部ぶっ飛ばしてんの」
その言い方は明るい。
だが、その奥にある“海への想い”は、決して軽くなかった。
(……ラントって、こんなキャラだったんだ)
ゲームのラントのスキルは
“水属性最速バフ、獣人拳法‐型‐の伝説”
……そんな評価ばかりだった。
だけど、今目の前にいるのは──
海を守って、村を守って、
気さくに笑いながら拳を振るう“本物のラント”。
たった数分で、ゲームのイメージが上書きされる。
「それより、お前たち……素材集めに来たんだろ?」
「う、うんっ」
レイリンが頷く。
「冬の海の食材って、あまり扱ったことなくて……
ロンと一緒だから頑張ろうと思ってるんだけど……」
「なるほどな! 冬の海はちょいとクセがあるんだよ」
ラントは足を組み、拳を軽く握りしめながら言った。
「まず、浅瀬に“氷化ドロドロ”って厄介なヤツが湧く。
闇と水が混ざったもんだから、動きが読めねぇ。
それから……“潮風サハギン”。
冬の潮風で頭まで氷みてぇになってて、攻撃が痛ぇぞ」
「さっきの……あれも、そのひとつ?」
「ああ。あんなの、この村じゃ冬の挨拶みたいなもんさ」
軽く言うが、十分すぎる脅威だ。
ラントは続けた。
「冬の素材を取りに行くなら──案内してやるよ。
危ない道も知り尽くしてるし、なんならアタイの拳で護衛もしてやる」
「えっ……いいの?」
レイリンが目を丸くする。
「もちろん。困ってる人ほっとけねぇんだよ、アタイは。
それに──」
ラントの目がこちらへ向く。
「アンタ、ロンって言ったよな。
……アタイ、アンタの動き、さっき見てて思ったんだ」
「な、なにを?」
ラントはにっと笑う。
「“型”の素質、あるよ。
……やっぱ、ただの料理人じゃなさそうだ」
心臓が一度だけ、大きく跳ねた。
(……見抜かれてる? なにを?)
ラントは立ち上がり、拳を軽くまわす。
「よし、決まりだ!
食材採り、アタイも付き合ってやる。
冬の海は危険だが──
アタイがいりゃ、百人力だ!」
レイリンがすっと近づき、胸に手を当てて頭を下げた。
「ありがとう、ラント。
……わたし、少し怖かったから……
でも、ラントが一緒なら心強いよ」
「へへっ任せなっ!」
ラントはしっぽを勢いよく振りながら笑う。
海風がその髪と帽子を揺らし、眩しいほどに爽やかだった。
(本物のラント……やっぱすげぇや)
ゲームのラントよりも、ずっと人間味があって、
ずっと強くて、ずっと優しい。
こうして
“海の拳士”ラント・ニコーレとの小冒険 が始まった。
冬の海は荒れ狂っていたが──
三人の足取りは、海風にも負けないほど軽かった。




