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サービス終了したゲームの世界で、俺はまだラーメンを作っている  作者: アザネ


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40話 レイリンの小さな困惑──天使と看板娘

 マリルが扉を出ていったあと、

 店の中には、しばらく羽音の余韻が残っていた。


 木製の扉が、最後に小さく鳴る。


 ──カラン。


 それきり、外の足音も聞こえなくなる。


 さっきまでふわふわと揺れていた白い羽根は、

 いつのまにか床から消えていた。

 けれど、甘い花のような香りと、細かな光の粒だけは、

 まだ店の空気のどこかに溶け込んでいる気がした。


「……行っちゃった、ね」


 カウンターの内側で、レイリンがぽつりとつぶやいた。


 さっきまでの賑やかな笑い声は影を潜めていて、

 その横顔は、どこかぼんやりとしている。


「そうだな」


 俺は、使い終わった丼を流し台に運びながら答えた。


 さっきまでマリルが座っていた席だけが、

 ぽっかりと空いている。

 湯気はもう立っていないのに、

 そこだけ空気が少し温かい気がした。


 ──天使、か。


 ふわふわの金色の髪。

 小さく揺れる羽。

 ほんわかした笑顔と、あの「おいしい」の一言。


 客としてはまだ一人目に過ぎないのに、

 すでに店の空気に「マリル」という色が混ざってしまったような、

 そんな不思議な存在感だった。


「……」


 ふと気づくと、レイリンがこちらを見ていた。


「どうした?」


「えっ、ううん、なんでも……」


 慌てて視線をそらし、

 テーブルの上を布巾でごしごし拭き始める。


 いつもなら、片付けのときも

 「今日のスープさぁ」「さっきのお客さん、面白かったね」

 と、何かしら話題を振ってくるのに。


 今日はやけに、静かだ。


「疲れたか?」


「え? あ、ちょっとだけ……かな」


 返事はしたが、目は合わない。

 布巾の動きだけが、無駄にせわしない。


 ……分かりやすい。


 でも、何が引っかかっているのかまでは分からない。


 俺はひとまず、洗い場で水を出した。


 蛇口から落ちる水の音が、

 さっきまでのざわめきが嘘みたいに、静かな店内に響く。


 洗い物をしながら、頭の隅でさっきのやり取りを反芻した。


(えっと……マリルが入ってきて、

 自己紹介して、ラーメン食べてくれて……)


 ──「これ、フォーチュンパンチ級に当たりですぅ」


 あの、妙な褒め言葉。

 ゲームで限定URマリルが使っていたスキル名が、

 さりげなく混じっていた。


(フォーチュンパンチ、か……)


 懐かしくて、ちょっと笑いそうになったのを堪える。

 でも、レイリンの前で「限定UR」とか口走らなくて正解だった。


 洗い終わった丼を伏せながら、そっと息を吐く。


「……マリル、いい子だったな」


 何気なく口にした一言。


 その瞬間、

 カウンターの向こうで、布巾の動きがぴたりと止まった。


「っ……そ、そうだね。うん。

 すごーく、いい子、だった……よね」


 語尾が、ちょっとだけ重い。


 俺は水を止めて、振り返った。


 レイリンは、テーブルの角に布巾を押し当てたまま、

 なんとも言えない顔をしていた。


 眉が少し下がっていて、

 口元だけ笑おうとしているのに、

 目の奥がどこか落ち着かない。


「……どうした、本当に」


「だから、なんでもないってば」


 返事は早い。

 けれど、その勢いは

 自分の中の何かをごまかそうとする人のそれだった。


 しばらく沈黙が落ちる。


 店の中には、

 テーブルを拭く布の音と、

 外で雪が窓に当たる小さな音だけが続いていた。


 やがて、レイリンがぽつりとこぼす。


「……天使みたいだったね」


「マリルが?」


「うん。羽もそうだけど……雰囲気が、ね」


 手を止めずに、言葉だけが続く。


「ふわふわしてて、優しくって、

 あったかくて、光ってて、

 なんかもう……見てるだけで、こっちまで癒やされる感じ」


「そうだな。たしかに」


「ね? わかるでしょ?」


 そのときだけ、ちらっとこちらを見てくる。

 目が合うと、すぐに逸らす。


 さっきのマリルの姿が、頭に浮かぶ。

 ラーメンを前に手を合わせ、

 目をきらきらさせて「いただきます」って言った顔。


(……癒やし枠だよな、あれは)


 ゲームでも、そういう立ち位置だった。

 攻撃性能とか効率とか抜きで、

 お気に入りでずっとパーティに入れているプレイヤーが多かったのを思い出す。


「……レイリンとは、方向性が違うな」


 気づいたことを、そのまま口にした。


「えっ?」


 レイリンが顔を上げる。


「マリルは、見てるだけでほっとする感じの“天使”って感じでさ。

 レイリンは──」


 一瞬言葉を探す。


 嘘をつくのもお世辞を並べるのも、なんとなく違う気がした。

 この世界で、いちばん最初に一緒にラーメンを作ってくれた相手だ。

 変に誤魔化すより、ちゃんと言葉を選びたかった。


「レイリンは、店を“明るくする火”みたいな……そんな感じ」


「……火?」


「うん。

 寒い日に、店に入ったらさ、

 ぱっと目に入る暖かい灯りってあるだろ」


 森から帰ってきたときの、

 雪の中でぽうっと浮かんでいた店の灯りを思い出す。


「それがレイリン。

 元気で、明るくて、

 来た人をぜんぶ『いらっしゃい』って迎え入れてくれる感じ」


 言ってから、少し照れくさくなって視線をそらした。


 レイリンはというと──


「…………」


 布巾を持ったまま、固まっていた。


「……なにそれ」


 小さな声が落ちる。


「え?」


「そんなこと言われたら、

 余計に、なんか、もやもやするんだけど」


 もやもや、とは言いながら、

 頬が目に見えて赤くなっていく。


「もやもや?」


「だって……」


 レイリンは布巾をテーブルの上に置き、

 くるりとこちらに向き直った。


「天使でしょ?

 わたし、火でしょ?

 なんか……負けてる気がするじゃん」


「いや、なんで勝ち負けになるんだよ」


「だって、天使だよ? 天・使!

 羽、ふわふわだったよ?

 “私にメロメロ”とか言われたら、

 ほんとにみんなメロメロになっちゃいそうだし……」


 おそらく本人は、なんとなく口にしたのだろう。

 けれど、こっちはその本来の効果までよく知っているので、

 内心ちょっとドキッとする。


(そうだよな、“私にメロメロ”、マリルのスキル……)


 メニャータの空のどこかから、

 運営の苦労がちらりと見えた気がした。


「それにさ……」


 レイリンは言葉を続ける。


「ロン、すっごく楽しそうだったし」


「え?」


「マリルちゃんと喋ってるとき。

 ほら、なんていうか──

 “初めてのお客さん”ってときの顔とは、

 ちょっと違うっていうか……」


 そこで言葉を切り、

 視線を床に落とす。


「……ううん、なんでもない。

 変なこと言った。忘れて」


 そう言って、またテーブルへ向き直った。


 布巾を動かす手が、さっきよりもゆっくりしている。


(……そういうふうに、見えるのか)


 自分では意識していなかった。

 たしかに、マリルと話しているときは楽しかった。

 ゲームの記憶をくすぐられるような言葉も多くて、

 どうしても反応が弾んでしまったのは否定できない。


 けれど、それは「特別扱い」じゃない。

 ──はずだ。


 俺は少し迷ってから、言葉を選んだ。


「俺さ」


「なに?」


 レイリンが振り向かないまま、返事だけする。


「今日は、天使みたいなお客さんが来たなって思ってる。

 でも──この店の看板娘は、最初から決まってる」


「……」


「レイリンだよ」


 手が止まった。


 テーブルの上で布巾がくしゃっと丸まる。


「だって、そうだろ。

 最初の一杯を一緒に作って、

 初めての客を一緒に迎えて、

 森にも一緒に行って──」


「ちょ、ちょっと待って!」


 レイリンがくるっと振り向いて、

 顔を真っ赤にして両手を振った。


「なんで今、そんな真面目な顔して言うの!?

 ちょっと心の準備ってものが……!」


「心の準備?」


「なんでもないっ! なんでもないからっ!」


 耳まで赤くなっている。

 テーブルから離れたと思ったら、

 今度はカウンターの中に逃げ込んできて、

 やけに乱暴に箸を揃え始めた。


「か、看板娘とか、そんなの……

 べ、別に、そんなたいしたものじゃないし……」


「たいしたものだよ」


「もうっ!」


 小さな拳で、俺の肩をこつんと小突く。

 痛くはない。

 けれど、その一撃のほうが

 火ドラゴンの咆哮よりも胸に響いた気がした。


 レイリンは、しばらくそっぽを向いたまま、

 箸を揃えたり、おしぼりをたたんだり、

 忙しなく動き続ける。


 やがら、少しだけ落ち着いたのか、

 ぽそりと呟いた。


「……でも、負けたくないな」


「え?」


「“麺屋ドラゴンラーメンの看板娘”として。

 来てくれた人に、

 “ここに来てよかった”って思ってもらえるように。

 そういうの、ちゃんと守れるようになりたいの」


 言い終えると、

 自分でも照れくさくなったのか、

 また視線を落とした。


「……変かな、こんなの」


「変じゃないよ」


 即答すると、レイリンは驚いたように目を丸くした。


「むしろ、すごく頼もしい」


「そ、そうかな……?」


「俺ひとりじゃ、厨房はどうにかなっても、

 店の空気までは作れないからさ」


 実際、そうだ。

 どれだけスープを極めても、

 カウンターの向こう側の世界は、ひとりでは埋まらない。


 そこに立ってくれる存在がいるからこそ、

 ラーメン屋としての「完成形」に近づいていく。


 ゲームでも、そうだった。

 レイリンがいる店と、いない店では、

 画面越しの雰囲気でさえ違って見えた。


「だから、レイリンが看板娘でいてくれるなら、

 それがいちばん心強い」


「……っ」


 レイリンは言葉を失ったように、

 しばらく口をぱくぱくさせていた。


 やがて、小さく息を吸い込み、

 胸の前でぎゅっと拳を握る。


「……よーし!」


 ぱん、と両手を合わせた。


「じゃあ、決めた!

 マリルちゃんが“天使枠”なら、

 わたしは“看板娘枠”で絶対負けない!」


「枠の争いなのか、それは」


「枠は大事なの!」


 きっぱり言い切る。


「天使もいいけどね?

 お店のこと一番考えてるのは、

 きっと、わたしとロンだもん」


 その言葉に、思わず笑いそうになった。


「そうだな。頼りにしてる」


「……うん!」


 今度の笑顔は、さっきまでのもやもやが嘘みたいに、

 いつものレイリンそのものだった。


 けれど、その奥には、

 さっきまではなかった小さな“決意”が灯っているようにも見える。


 天使が残していった光は、

 店の中だけじゃなく、

 レイリンの胸の内にも、何かを灯していったのかもしれない。


 窓の外では、

 聖夜から続いた雪が、

 少しだけ粒を小さくして、静かに舞い続けていた。


 テーブルの上を拭き終えたレイリンが、

 ぱん、と布巾をたたむ。


「よーし。看板娘、がんばろ」


 その小さな宣言を聞きながら、

 俺は胸の奥で、静かにうなずいた。


 天使が降りた朝のあと、

 麺屋ドラゴンラーメンの看板娘は、

 ほんの少しだけ、新しい顔を手に入れた気がした。

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