38話 酔いの果て──レイリンの背中で帰る夜道
――冷たい風が、頬をなでた。
ほんの一瞬だけ意識が浮上して、
俺は「外にいる」ことを理解した。
(……あれ……?)
まぶたの裏に、かすかな明るさ。
けれど頭はまだ紫の霧にとらわれて、
まっすぐ考えることができない。
――こつん。
何か柔らかいものに額が触れた。
身体が揺れている。
まるで誰かに引き上げられて歩いているような──
「……ロン、大丈夫? 起きてる?」
耳元で、小さな声がした。
その声は、暖かくて震えていて、
どこか心配を飲み込むように優しかった。
レイリンだった。
俺は、片腕を彼女の肩に回され、
ほぼ寄りかかるように歩いていたのだと気づく。
(うそ……俺、どれだけ酔ったんだ……?)
歩くたび、彼女の細い肩が小さく沈む。
それでもレイリンは弱音をひとつも吐かず、
むしろ俺の身体が揺れないように支えてくれていた。
雪の上を“きゅっ……きゅっ……”と鳴らしながら、
ふたりの影が揺れ、ゆっくりと街へ続く道を進む。
「セイスイさん、ちょっと飲ませすぎ……」
レイリンが小さく拗ねた声を漏らした。
「……でもね。ロンが楽しそうだったから……
わたし、止められなかったんだ」
その言葉の奥に、
ほんのかすかな悔しさが混ざっていて、胸が痛む。
「……ごめ……ん……」
ようやく、それだけ搾り出すと、
レイリンは少し驚いたように目を丸くして笑った。
「ううん。ロンは悪くないよ。
……酔っ払ったロン、なんか可愛いし」
(か、可愛い……?)
酔っているせいで思考はふらつくのに、
そこだけ鮮明に聞こえてしまって心臓が跳ねた。
雪は静かに降り続けている。
街の灯りはぼんやり滲み、
レイリンの紺髪の輪郭を柔らかく照らしていた。
「ロンの手……冷たくなってる」
レイリンは、俺の指先をそっと握り直した。
「……寒いの、やだよね。あっためるからね」
手袋越しでも分かる温度。
その温もりが、酔った頭の奥にじんわり広がる。
(……なんで……こんなに優しいんだ)
記憶が薄れていく中でも、
その温かさだけははっきり焼きついた。
やがて、見慣れた木造の建物が見えてくる。
「……着いたよ。
もうすぐだから、がんばって」
レイリンは小柄なのに、
俺の体重を一度も落とさずに最後まで運んでくれた。
扉を開けると、店の中の暗がりに
わずかな出汁の香りが残っていた。
「……ふふっ、ロン。
お酒の匂い、すごいよ」
レイリンは笑いながら、
俺をそのまま2階へ引っ張っていく。
階段を上る衝撃で視界が揺れた。
けれど、それでも倒れずに済んだのは、
レイリンが腰を支え続けてくれていたからだ。
「……はい、着いた」
ふたりの住居スペース。
六畳ほどの簡素なロンの部屋。
「ロン、ちょっと座って」
言われるまま腰を下ろすと──
レイリンは膝をついて、
俺のブーツの紐をほどきはじめた。
(……えっ……)
「転びそうだったから、ね。
靴のまま寝ちゃうと風邪ひくよ?」
当たり前のように、
足元から丁寧に支えてくれる。
その姿を見ているだけで、
胸の奥がきゅうっと締めつけられた。
「……今日ね、ロン。
すっごく……がんばったんだよ。
お店も、お仕事も……」
囁くような声。
そして、ふっと微笑んで──
「だから、ゆっくり寝ていいから。
明日、また……一緒にがんばろ?」
布団へとゆっくり横たえられ、
レイリンがかけてくれた毛布の温かさが
雪の夜を遠ざけていく。
視界がぼやけはじめた最後の瞬間、
レイリンの指がそっと俺の手を握った。
「……おやすみ、ロン」
その声が耳に残ったまま、
俺の意識は静かに深い眠りへと沈んでいった。
外ではまだ、雪が降っていた。
街灯に照らされた白い粒が、
ゆっくり、ゆっくりと降り積もっていく。
――この世界で迎える、初めての“酔いの夜”は
レイリンの温もりに包まれて終わった。




