36話 酔華の魔女──セイスイとの邂逅
席についた瞬間、
カウンター奥のランプが柔らかく揺れ、
紫と金の光がまるで霧のように滲んだ。
空気そのものが別の世界になったようで、
俺は思わず肩をすくめる。
セイスイはゆっくりとカウンター越しに歩み寄り、
紅い盃を指先で軽やかに回した。
「ふたりとも。まずは──ようこそ、私の店へ」
その声音は低くて滑らかで、
どこか人を酔わせる香りすら含んでいる。
レイリンが隣で小さく息を吸う。
「セイスイさん……本当に、お店やってたんだね」
「ええ。“疲れた冒険者の心を癒す場所”よ。
レイリン、あなたこそよく来たわ。無事で何より」
「う、うんっ……!」
その微笑みのやわらかさに、
レイリンの肩が少しだけほどけた。
対して俺は──
(……やばい。
RBAの初期、セイスイ5人のパーティに全滅させられた悪夢、今よみがえってんだけど……)
目の前の“本人”は、ゲームの何倍も迫力がある。
だけど恐怖だけじゃない。
この人には、圧倒的な信頼感と、謎の安心感が同居していた。
セイスイが軽く手を上げると、棚の奥で瓶が揺れた。
瓶がひとつ、まるで意思を持ったようにふわりと浮かぶ。
栓が勝手に抜け、盃へ深紅の液体が注がれた。
音もなく、静かに。
(……魔法!?)
思わず声を呑むと、セイスイがくすりと笑う。
「そんなに驚かなくてもいいわ。
これは“私の流儀”よ」
盃が俺の前に滑らかに置かれる。
「《ラヴィアン・ローズ》。
まずは、あなたに」
「え、俺に?レイリンじゃなくて?」
「レイリンには……もっと軽いものを後でね。
あなたみたいに、不思議な雰囲気の子は先にほぐしておいた方がいいもの」
セイスイの瞳が俺の奥を覗き込むように細められる。
(やばい……見透かされてる?)
「いただきます……」
盃を口に含んだ瞬間、
舌の上で甘い花の香りが爆ぜた。
柔らかく、暖かく、
胸の奥にじんと広がる不思議な“熱”。
「……これ、酒ですか?」
「さぁ。どうかしら?」
セイスイがくすっと笑う。
(絶対“ただの酒”じゃない……!)
横でレイリンが楽しそうに言う。
「ロン、顔ちょっと赤いよ! おいしい?」
「……おいしいけど、なんか危険な味がする」
「ふふ、それは褒め言葉として受け取っておくわね」
セイスイが今度はレイリンに向き直る。
「あなた、本当に無事で良かったわ。
あの時のダンジョン……単独で入るには少し早かったでしょう?」
「う……はい……。
でも、あのとき助けてくれて……本当に、ありがとうございました!」
深々と頭を下げるレイリン。
セイスイは優しい目でその頭に手を置く。
「礼なんていらないわ。
あなたを泣かせるような結末は、私が許せなかっただけ」
レイリンの目が潤む。
(……この人、怖いけど、本当はめちゃくちゃ優しいんだな)
セイスイは手を離し、今度は俺をじっと見つめた。
「ロンさん」
「……はい」
「レイリンを支える覚悟、ある?」
胸が高鳴る。
圧倒的な存在感に呑まれそうになりながら、
それでも視線をそらさず言葉を返す。
「……ある。できることは全部やるよ。
店も、料理も……たぶん俺にできること全部」
セイスイの口元がわずかに綻ぶ。
「ふふ。いいわね。
そういう素直な子、私は好きよ」
その声は妖しく、
それでいてどこかあたたかかった。
「レイリン、いい子を連れてきたのね」
「えへへ……!」
レイリンは照れ笑いしながら足を揺らす。
セイスイは再び棚に視線を向けた。
「次は《アンバードリーム》にしましょう。
これはね──頭がふわっと軽くなるわよ」
「ま、待って! 一杯目からすでに軽くなってます!!」
「そう? じゃあ安心して飲めるわね」
(安心の意味がおかしい!!)
しかし、魔法のように瓶が飛び、
新しいグラスに琥珀色の液体が注がれる。
店内の空気が、さらに甘く柔らかくなる。
レイリンがくすくす笑う。
「ロン、帰れなくなったらわたしが連れて帰るね!」
「いや、すでに一杯目から危険なんだけど……」
「大丈夫よ、ロン。
レイリンは“酔いを覚ますスキル”持ってるでしょう?」
「え?持ってないよ???」
「ふふ、冗談よ」
(冗談で済ませていいのか!?)
セイスイは気怠げに盃を揺らしながら言う。
「安心しなさい。
ここに来た人はみんな……帰りは笑ってるわ」
その微笑みは、妖しくて、綺麗で、
心のどこかに染み込むようだった。
そして──たぶん俺はもう、
この時点で少し酔っていた。
「さぁ、次の一杯、楽しめる?」
セイスイの声が耳に滑り込む。
レイリンが笑う。
「ロン、飲んで飲んで~!」
(いや俺、今日……死ぬんじゃ……?)
でも、悪くない。
冬の夜はまだ長い。
そしてセイスイの紫の魔法の中で、
俺は静かにその夜に呑まれていった。




