34話 新年のお客──チュンシー、再び
マリーネが帰り、店に再び静けさが戻った。
年越しの喧騒が嘘みたいに、朝の光は澄んでいる。
レイリンはレジ横で帳簿を整理しながら、
胸の前で指を組んで小さく息をついた。
「お正月……どうなるかなぁ。
今日も来てくれたらうれしいけど……」
その言葉に、俺もふっと笑う。
「大丈夫だよ。評判、きっと届いてる」
「……うんっ」
レイリンは既に晴れ着ではない。でも、正月らしい小さな華やぎがある。
その控えめな可愛さが、逆に新年らしくていい。
鍋の火を弱めると、
湯気がゆっくりと立ち上がり、厨房に広がった。
この世界で迎える初めての元旦。
不思議な気持ちが、胸の奥を静かに満たしていく。
そのときだった。
“チリン――”
木製ベルの軽やかな音が、
朝の静けさをやわらかく揺らした。
レイリンが顔を上げる。
俺も自然と姿勢を正した。
そして扉が、勢いよく開く。
「レイリン先輩っ!!
ロンさんっ!!
あけましておめでとなのですーーーー!!」
雪を払いながら店に飛び込んできたのは、
リスの亜人──ベル・チュンシー。
髪につけた正月用の花飾りが揺れ、
尻尾は興奮で“ぽふっぽふっ”と跳ねている。
「ち、チュンシーちゃん!?」
レイリンが目を丸くする。
「うんっ! あのねっ、あのね!
新年は“縁起のいいラーメン”を食べるのが一番なのです!!
だから、いのいちばんに来ちゃったのです!!」
しっぽの揺れだけでテンションが全部伝わってくる。
「ロンさん!
あけおめです! 今年もいっぱいお世話になるのです!!」
いつのまにか“常連のテンション”になっているのは、たぶん気のせいじゃない。
俺が丼にスープを注ぎ始めた瞬間、
チュンシーの耳がピン、と立つ。
「……っ……な、なんですかこの香り……
もう、“しあわせ” なのです……!」
彼女は鼻をひくひくさせながら、
座る前からすでに身体が前のめり。
レイリンが苦笑しながら席を案内する。
「チュンシーちゃん、落ち着いて? こっち座って?」
「は、はいなのです!!」
半分飛ぶように座った。
湯気の立つ縁起ラーメンを目の前に置くと、
チュンシーは両手を胸の前で合わせて、深呼吸した。
「いただきますっ……!」
そして一口。
「………………っ」
数秒だけ固まった。
レイリンが心配そうにのぞきこむ。
「ち、チュンシーちゃん……?」
「……こ、これ……」
涙が、目尻にすうっとにじんだ。
「おいしすぎて、しあわせが漏れ出るのです……!!」
しっぽが椅子の背にぽふぽふ当たり、
耳がぴんと上がったまま震えている。
ここまで感情が素直なの、むしろ才能だろ。
「レイリン先輩……」
「う、うん?」
「レイリン先輩のお店……今年、ぜったい流行るのです!!」
言われた本人がいちばん固まる。
「え、えええっ!? そ、そうかな……?」
丼を空にすると、
チュンシーは勢いよく立ち上がった。
「よしっ!! 行ってくるのです!!」
「ど、どこへ!?」
レイリンが慌てて声をあげる。
「みんなに伝えに!!
今年は“縁起ラーメン”なのですーー!!」
勢いのまま扉を開けて、
冬の街へ駆け出していった。
風属性らしく、
雪道を走る速度が速い。
その姿を呆然と見送っていると──
数分もしないうちに、店の前に人の影が増え始めた。
「チュンシーが言ってた店、ここか?」
「レイリンちゃんのラーメン?」
「縁起担ぎに一杯、食べていくか」
風が噂を運んだみたいに。
「……すごいね、ロン」
「……ああ。まさか、チュンシーが呼び込み役になるとは」
レイリンは胸の前で手を握りしめ、
ゆっくり息を吸った。
「……今年も、きっといい一年になるよね」
「なるさ。間違いなく」
そう言って微笑む。
湯気は静かに立ちのぼり、
外の通りへ流れていく。
“風に乗って広がる店の評判”のように。
小さな店に、
確かな追い風が吹き始めていた。




