31話 新年の朝──静かに上がる一番湯気
ーー新年一杯目の香りは、静かに、やさしく。
──白い。
それが、最初の印象だった。
夜のあいだずっと降っていた雪が、
街の屋根も、通りも、看板も、
まるごと薄い白布で包んでしまったような静かな朝。
店の裏口を少し開けた瞬間、
冷たい空気が頬をさっと撫でた。
吐いた息が白く混ざり、
その向こうに、すっかり正月の顔になった商店街が見える。
(……この世界で、新年を迎えるのは初めてなんだよな)
気がつくと、胸の奥がほんのり温かくなっていた。
たった一週間前まで、俺は六畳の部屋にいた。
ゲームの画面の向こうで、湯気の匂いを“想像”していた人間だ。
けれど今は──
ラーメンの匂いは想像じゃなく、店の中に残っている。
昨日の大晦日の営業の余韻。
冬素材で仕込んだスープの、骨の甘い香り。
野菜の旨味を含んだ湯気が、まだ店内のどこかに漂っている。
朝の光の中でそれを吸い込んだ瞬間、
“ああ、本当にここで生きているんだ”と思った。
「ロン、おはよう!」
振り返ると──
ひときわ明るい赤の衣が目に飛び込んできた。
「……レイリン?」
いつもの接客服じゃない。
赤と金を基調にした中華風の晴れ着。
大きく広がる袖が雪明かりを受けて輝き、
腰の帯には小さな龍の刺繍が揺れている。
お団子ヘアのリボンも、今日は正月仕様で金色。
彼女自身が“街の祝い灯り”みたいに見えた。
「わっ……どうかな? その、正月だから……えへへっ」
照れて頬を掻く仕草が、妙に自然で、妙に可愛い。
「似合ってる。すごく」
「ほんとっ?! よかったぁ……!」
ぴょんと跳ねたレイリンは、
いつもの笑顔より少し大人びて見えた。
晴れ着の魔法って、たぶんこういうことなんだろう。
「ね、ロン。初詣、行こ?」
レイリンが軽く手を振って誘ってくる。
「初詣?」
「うんっ。メニャータ神社!
お正月はみんなお参りして、
“一年の最初に食べたいラーメン”をお願いするの」
(……そんな文化、ゲームにあったか?)
心の中で苦笑する。
メンドラのゲーム画面にはなかった“世界の生活”。
でもここでは、それが当たり前のように息づいている。
ふたりで通りへ出ると、
雪を踏む足音が柔らかく響いた。
ちりん──
店の木製ベルが小さく揺れて、
クリスマスから続いた冬祭りの終わりと
新しい年の始まりを告げる。
商店街は、もう朝から賑わっていた。
焚き火を囲んで餅を焼く人たち。
店先で縁起物のお飾りを売る雑貨屋。
正月限定の甘酒を配っている露店。
子どもたちの笑い声が雪の上で跳ね回っている。
「わぁ……今日もにぎやかだね!」
「ああ。冬の空気と混じって……なんか、いい匂いだな」
商店街の奥に、大きな鳥居が見えてきた。
朱色と白で塗られたメニャータ神社。
その頂には、六開祖のひとり《ニフィーサ》の紋章が掲げられていた。
(……これ、やっぱりニフィーサの紋……)
胸がふっとざわつく。
転生前、湯気の奥に見た“金色の髪の影”。
あれと同じ気配が、ほんのかすかに胸を撫でた気がした。
まるで
“ちゃんとここに来たね”
と見守られているような──そんな錯覚。
「ロン?」
「ああ、いや……なんでもない」
俺はかぶりを振り、階段を上り始める。
境内には、
白い息を吐く人たち、
願い事を書いて絵馬に結ぶ子どもたち、
参拝客の間を縫うように歩く白い狐の巫女もいる。
レイリンは両手を合わせ、
にっこり笑って目を閉じた。
「……今年も、みんなが元気で、
美味しいラーメンがたくさん作れますようにっ」
その横顔を見て、
胸の奥があたたかくなった。
(……俺も、そう願うよ)
心の中でそう呟いた瞬間──
風がふわりと吹いて、
雪をまとった鳥居の鈴が小さく鳴った。
まるで、神様が静かに祝福するみたいに。
「ロン。今日は……忙しくなるよ!」
レイリンが笑う。
「ああ。よろしく、レイリン」
新年の朝。
街に上がる一番湯気は、
どこまでも澄んでいて
どこまでも温かかった。




