28話 冬素材の不足──厨房に走る緊張
年越しまで、あと一日。
昼下がりの厨房は、スープの湯気が消えた後の静けさに包まれていた。
まな板、包丁、鍋……すべてが一度役目を終え、整頓されている。
けれど、俺の胸の奥には、ひとつのざわめきが残っていた。
(……足りない。どう考えても足りない)
仕込み用の棚を開ける。
木箱、干し食材、香辛料──ひとつひとつ数える。
スープの要となるモンスターの骨はあと半日分。
香草は、二杯作れば尽きる程度。
葉物はもうほとんど残っていない。
雪の日が続けば市場に届く量が減る。
冬は食材が枯れ、そもそも種類が少ない。
(このままだと、大晦日の夜……)
昨日よりも人通りは多く、
「年越しラーメン食べたい」という声も聞こえ始めている。
(……来る。絶対に来る)
普段の倍、いや三倍でも足りない。
店の鍋を見つめて、俺は静かに息を飲んだ。
「ロン?」
背後からレイリンの声がした。
振り返ると、白いエプロンの端を指でぎゅっとつまんだレイリンが立っていた。
目は笑っているけれど、こちらの不安を敏感に感じ取っている。
「また……食材のこと?」
「うん。どう見ても……足りない」
レイリンは棚の中身を見て、小さく息を呑んだ。
「……ほんとだ。
これ、今日の夜まで持つかどうか……」
「持たないよ。間違いなく」
厨房に沈む空気が少しだけ重くなる。
そんな中、マリーが勢いよく戸を開けた。
「ただいまー! ……って、えっ?
なんか、ふたりとも顔が真剣すぎない?」
「ちょっとね。食材が足りなくて」
「えっ、足りないの!?」
マリーの表情が一瞬で引き締まった。
年越しが近い──
それが街の人にとって特別な意味を持つことを、彼女もよく知っている。
「市場で探してみたら? あたし、走ってくるよ!」
「いや……違うんだ」
俺は首を振る。
「市場はもう……年末で品薄だ。
さっき見たけど、出ているのは乾物か、残り物だけだった」
「そんな……」
レイリンが、小さく肩を落とした。
けれど──俺の中には、もうひとつの道が浮かんでいた。
(……冬の“豊穣の森”)
ゲームで何度も見た、冬季限定の採取ポイント。
“素材が枯れる時期にだけ出現するレア食材”がある。
普通に行けば危険だが──
(安全ルート……知ってる)
かつてプレイヤーだった俺だけが把握している情報。
冬モンスターは動きが鈍い。
“雪マンドラ”は音を立てない限り襲わない。
“冷気コカトリス”の縄張りは月明かりが差す斜面を避ければ大丈夫。
“冬カルキノス”は潮の流れが強い時刻を外せば遭遇率が下がる。
全部──ゲームで学んだこと。
(……行ける)
胸の奥に、小さな確信の火が灯る。
そのとき、レイリンがそっと顔を上げた。
「ロン……何か、考えがあるんでしょ?」
彼女は昔から、相手の心の動きを読むのが上手い。
ゲームの説明文にもあった通り、“感が鋭い娘”だ。
「……ああ。
冬の豊穣の森に行けば、必要な食材が手に入る」
「えっ……冬の森って……危ないんじゃ……」
「大丈夫。安全な道を知ってる。
俺に任せてくれれば、ちゃんと帰ってこれる」
レイリンは不安そうに唇をかんだ。
寒風が吹く冬の森は危険だ。
魔物も冬特有の動きをする。
それに──つい数日前、あの森でロンは死んだ。
そう思うと、迷うのも当然だった。
けれど……レイリンはすぐに決意したように顔を上げた。
「行くよ。
……一緒に行っていい?」
その声は震えていない。
真っ直ぐで、強くて、揺らぎがない。
迷う理由はひとつもなかった。
「もちろん。レイリンがいてくれる方が心強い」
「えへへ……じゃあ、支度してくる!」
レイリンはすぐに厨房を飛び出した。
その背中は小さいのに、不思議と頼もしかった。
残された厨房で、マリーがこちらを見る。
「ふたりとも……気をつけてね。
あたしは市場で買えるだけのもの、探しておくから!」
「助かる。戻ったら頼むよ」
「うんっ!」
マリーは敬礼するように右手を掲げた。
厨房の静けさが戻る。
雪明かりが窓を白く染め、
その光が鍋の縁に反射して小さく揺れた。
(……行こう)
俺は包丁を見つめて、小さく息を整えた。
この世界で店を守るために。
街の人たちの期待に応えるために。
そして──
レイリンと一緒に、この店を本物にするために。
(絶対に……必要な食材を持って帰る)
厨房の空気が、ほんの少しだけ温かくなった気がした。




