25話 小さな評判──最初の一杯が運んだ風
チリン──。
扉の余韻が消えると、店の中には再び静けさが戻った。
だけど、それはさっきまでの“誰も来ない静けさ”とは違う。
湯気が立ちのぼる店内には、
ほんのり甘い香りと、
チュンシーの残した温度がまだ漂っていた。
「ロン……見て」
レイリンが指さしたのは、木箱の中。
銀色のゴクコインが一枚。
小さな太陽みたいに光っている。
「これが、うちの……最初の一杯」
「ああ。大事にしないとな」
俺が答えると、
レイリンは胸元で手を合わせるようにして、
そっとその光を見つめた。
その表情が──
まるで“夢を確認する少女”みたいで、
思わず胸の奥がじんわりと温かくなる。
そのときだった。
「……あっ!」
レイリンが外の方に視線を向けた。
窓の外──
雪の街道を、チュンシーが全力で駆けていた。
大きなツインテール。
ぴょこんと跳ねる尻尾。
手を大きく振り回しながら、
彼女は道の向こうの商店街へと消えていく。
「あの子……行っちゃったね」
「相当うれしかったんだろうな」
「うん。だって……あんなに目を輝かせて食べてくれて……」
レイリンは胸に手を当てた。
チュンシーのあの反応を“誇り”にしている。
そんな気持ちが、横顔ににじんでいた。
すると――
街道の方から、小さなざわめきが聞こえてきた。
「……ん?」
「なんだろ?」
耳を澄ますと、
風に乗って聞こえる声が少しずつ近づいてくる。
「──新しいラーメン屋ができたって?」
「クリスマスの朝に? 珍しいねぇ」
「チュンシーがさっき、雪道で跳ねながら“おいしかった!”って叫んでてさ……」
「なんだいそれ、本当かい?」
「どんな味なんだろ……」
声は雪の反射で遠くからでもよく響いた。
レイリンが驚いたように俺を見る。
「ね……ねぇロン!
これって……」
「チュンシーの口コミ効果、だな」
「く、口コミ……!」
レイリンの尻尾はないけれど、
あったら絶対にブンブン振っているだろう。
すると、また別の声。
「……あそこの新しい店?
ああ、昨日も明かりついてたねぇ」
「試しに行ってみる?」
「せっかくのクリスマスだし、あったかいもの食べたいわ」
レイリンは慌てて厨房へ走り出す。
「ロン! ロン!
もしかして……次のお客さん来るかも……!!」
「ああ。仕込みは十分だ」
「う、うんっ! 席も……片付けて……!」
ふたりで急いで準備を整える。
鍋の湯を温め、
麺を整え、
器を並べる。
まだ誰も入っていないのに、
店内の空気はもう次の客を迎える熱気を帯びていた。
ふと窓の外を見ると、
通りの角をのぞきこむように、数人の影。
「本当にやってるのかな?」
「さっきの子が言ってたし……」
チュンシーの小さな声が、
雪の街に風みたいに流れていったのだ。
たった一杯。
でも、その“一杯”が確かに風を生んだ。
小さくて、でもまっすぐで、
店の暖簾を揺らすような風を。
レイリンが振り返って言う。
「ロン。
きっと……これからだよ」
「ああ。始まったばかりだ」
店の中の温度が上がる。
そして──
扉のベルが、ふたたび小さく揺れた。
チリン──。
それは、
“二杯目”がやってくる音だった。




