24話 最初のお客さん──ベル・チュンシー
扉の前で凍ったように立ち尽くしている少女を見て、
レイリンは弾かれたように声を上げた。
「ち、チュンシーちゃん!? なんでここに──!」
「ひ、ひゃいっ!!?」
チュンシーは肩を跳ねさせ、
まるで猫みたいに背中の毛……いや、尻尾がふくらんだ。
細い両手で大きな旗付きの杖をぎゅっと抱え、
全体重がつま先に乗ったまま動けなくなっている。
「れ、レイリンさまが……レイリンさまが……
きょうから、お店を開店って聞いて……っ」
言葉が途中で迷子になる。
でも気持ちだけは、溢れすぎて止まらない。
その様子を見て、レイリンは慌てて駆け寄った。
「もう、泣きそうな顔して……!
でも、来てくれて嬉しいよチュンシーちゃん!」
「ひゃっ……ひゃいっ!?!?
れ、レイリンさまっ! 手っ、手を……っ!
わ、わたし今、心臓が……たぶん……止んじゃう……!」
いや止んだら困る。
見ているこっちが心配になるほど顔が真っ赤で、
ツインテールまで震えていた。
リス亜人の少女。
風の加護を受けた軽やかな脚。
町で人気の呼び込み娘で、回復スキルも扱える“優秀な従業員”。
(うわ、本物のチュンシーだ……
こんな近くで見ると……思ったより、ずっと小さい)
身長はレイリンより少し低く、
けれど存在感は驚くほど明るい。
その明るさが今は緊張で空回りしている。
「あ、あのっ……!
あの……! れ、レイリンさま……!
ラーメン……もう食べても……いいのでしょうかっ……!」
勇気を振り絞った声に、レイリンはふわっと笑った。
「もちろんっ!
でも、そんなに緊張しなくていいんだよ?」
「む、無理ですっ!!
レイリンさまのお店の……っ、れ、レイリンさまの店の、
“最初のお客”になるなんて……!
そ、そんな……光栄すぎて……っ!」
(……そんなに……?)
レイリンは少し困ったように笑い、
チュンシーの背中をそっと撫でた。
「じゃあ……席、座ろっか?
ね、大丈夫。ほら、ゆっくりで」
「ひゃ、ひゃい……っ」
チュンシーは、
スカートの裾を両手で摘んでお辞儀しながら席に向かった。
ちょこちょこ歩くたびに靴音が軽く跳ねる。
尻尾もきゅっと上向きに揺れていて、
緊張を隠せていないのが可愛らしかった。
──席についた途端。
チュンシーの鼻がふるふるっと動いた。
「……この匂い……っ」
瞳がぱっと輝く。
(やっぱり鼻が利くんだな……)
湯気の向こうで、
チュンシーの赤い瞳が俺の方へ向く。
「これ……きっとおいしい……!
まだ食べてないのに分かります……!」
純粋すぎる反応に、
こっちが嬉しくなる。
「ふふっ、じゃあロン。
一杯、お願いできる?」
レイリンが、まるで儀式の始まりみたいに微笑む。
「ああ。任せてくれ」
俺は、仕込みを思い出しながら動いた。
寸胴の蓋を開けると、
ふわりと立つ湯気にチュンシーの肩がびくっと跳ねる。
「わぁ……っ」
声が漏れた。
まず麺を湯へ。
時間を見計らい、ザルで持ち上げて湯切り。
丼へスープを注ぐと、
黄金の表面がゆらりと揺れる。
モンスターの肉と葉を慎重に盛り付け、
最後に香味油をひとさじ。
(……よし)
初めての“他人のための一杯”。
両手で丁寧に載せ、チュンシーの前へ。
「お待たせ」
チュンシーの赤い瞳が、ぱちぱち瞬いた。
両手を胸の前でぎゅっと握り、
息を呑んで──
「い、いただきます……!!」
丼を両手で抱え込むように持つ。
小動物らしい仕草が可愛い。
箸を震えながら取り、
麺を口に運んだ瞬間──
「…………っっ!!!???」
尻尾が、
ぴょこん!!
と跳ね上がった。
椅子の上で全身が弾んで、
丼を落としそうになりながらも必死に支える。
「お、おいし……っ……!
おいしすぎ……て……っ!!」
「え、えへへ……っ、本当……?」
レイリンの瞳も潤み始めていた。
「おいしいです!!
誇張なしに……っ!
レイリンさまのお店が……ついに……ほんとうに……っ!」
チュンシーの言葉が震えているのは、
ラーメンの湯気のせいだけじゃなかった。
「ありがとう……ロン」
レイリンが小さく呟く。
俺は照れ隠しに厨房に向き直る。
「良かったよ。本当に」
それは、
今まででいちばん実感のある“成功”だった。
チュンシーは丼の底まで綺麗に食べ終えると、
両手でぎゅっと感謝の礼をした。
「ごちそうさまでしたっ!!
ち、ちちち──チュンシーっ、また来ます!!
で、でも……レイリンさまと……もっと話したい……っ!」
そして、慌てたように腰のポーチをごそごそし始めた。
「わ、わわ……!
れ、レイリンさまのお店なのに……っ!
ちゃんと……ちゃんと、お支払いを……!」
「え? そ、そんな……初めての一杯だし……!」
「ダメです!!」
チュンシーは勢いよく立ち上がった。
尻尾がふわっと膨れている。
「レイリンさまのラーメンは……“価値”です!
だから……ちゃんと“もらった気持ち”で返さないと……!」
その言葉は、驚くほど強く真っ直ぐだった。
そして──
「あっ……あった!」
ポーチから取り出したのは、
銀色に輝く硬貨。龍の紋章が刻印されたコイン
メニャータで一般流通する貨幣──
《ゴクコイン》
ゲームで何千回と見たあの硬貨を、
今は少女の小さな手が握っている。
(……本物だ……)
胸の奥がじんわり熱くなる。
チュンシーは硬貨を両手で包み、
レイリンへと差し出した。
「ひ、ひと……ひと杯分……お願いします!
すっごく、おいしかったですっ!」
「……ありがとう、チュンシーちゃん」
レイリンは両手で受け取り、
硬貨を胸元でそっと抱いた。
ただの支払いではない。
この店が“店として認められた瞬間”だった。
俺はふたりのやり取りを見ながら、
胸の奥で静かに息をついた。
(……これで本当に、始まったんだな)
厨房の隅に置かれた木箱に、
レイリンがそっとゴクコインを落とし入れる。
コトン。
その小さな音が、
店の空気を確かに変えた。
“麺屋ドラゴンラーメン”は、
最初の収益を得たのだ。
「ごちそうさまでした!!
チュンシー、チュンシー絶対また来ます!!
お、お店……がんばってください……っ!!」
「あ、ありがとう……っ!」
「ありがとう。またね」
そうしてチュンシーは、
リスの尻尾をぴこぴこ揺らしながら店を飛び出していった。
扉のベルが軽く揺れて──
チリン……と小さく鳴る。
残ったのは、
湯気の余韻と、温かい気持ちと、
木箱に落ちた“1枚のゴクコイン”。
レイリンが微笑みながら言った。
「ロン。
これが……“うちの最初の売上”だよ」
「ああ。ちゃんと受け取った」
「うんっ!」
ふたりの笑顔に、
スープの湯気がふわりと絡んだ。
湯気の向こう。
厨房の奥。
クリスマスの白い光。
そして──
麺屋ドラゴンラーメンは、
確かに“動き始めた”。




