13話 森を歩く二人──静かな帰り道のはじまり
きゅっ……きゅっ……
雪を踏む音が、静寂の森に小さく溶けていく。
豊穣の森の夜は、昼間とまるで別の世界だ。
湿った土の匂いは薄れ、代わりに透き通った冷気と、
どこか甘い植物の香りが漂っていた。
降り続く雪は枝にそっと積もり、
月明かりの届かない森を、淡い白で照らしている。
俺とレイリンは並んで歩いていた。
レイリンは、時折小さく息を漏らしながら、
けれど泣いていたさっきよりは、少しだけ落ち着いた表情で前を向いている。
「……寒くない?」
俺が声をかけると、レイリンは小さく首を横に振った。
「ううん。平気。
……森の夜って、思ったより静かだね」
雪の上に残るふたつの足跡が、
俺たちの歩いた道を繋いでいた。
「ロン……手、痛くない?」
レイリンがちらりと俺の指先を見た。
さっき、ほんの少しだけ動いた時に
レイリンが思わず掴んだ手。その名残がまだ残っている。
「大丈夫。もう平気だよ」
俺が笑ってみせると、レイリンは安堵の息をついた。
「……良かった。
ほんと……心臓が止まるかと思ったんだから……」
その声は震えていたが、
さっき森で泣き崩れていた時のような絶望ではなく、
温かさを宿した震えだった。
豊穣の森の夜は静かだった。
風が吹けば枝が鳴り、雪が落ちる音がする。
その音の中に、
“ひとの息遣い”が混ざるのは久しぶりだった。
レイリンは小さなランタンを握りしめ、
その灯りが彼女の横顔をそっと照らしている。
頬に落ちた雪を払う仕草が、
妙に人間らしくて、あたたかかった。
「……ロン」
「ん?」
「ロン……聞こえてたんだよね?
さっき…呼んだら、指が動いたの。
あんなふうに返事みたいな動き…いつものロンじゃできないよ」
ぎくりと心臓が跳ねた。
そう、俺は“いつものロン”ではない。
でも、それを今ここで言うことはできない。
俺はただ、曖昧に笑うしかなかった。
「まあ……なんか身体が勝手に動いた、というか」
「そっか……。
でも、変な感じだったよ」
「変?」
「うん。
ロンと歩いてるのに……なんだか、少しだけ違和感があって。
それが嫌とかじゃなくて……その……」
言い淀むレイリンの声が、
雪より柔らかく森に落ちていく。
「……不思議な感じってだけ」
「不思議?」
「うん。
ロンと昔みたいに歩いてるのに……
隣にいるのが“今日のロン”だけじゃなくて……
“明日のロン”にも見える、というか、そんな感じ」
胸の奥がじんと熱くなった。
俺を“別人”だと疑うわけでもなく、
だけど確かに“変化”を感じ取っている。
その直感の鋭さは、
レイリンが“ただの看板娘”じゃない理由を物語っているようだった。
「……それって、いい方の不思議?」
「うん」
レイリンは迷いなく頷いた。
「なんか……頼もしいかも。少しだけね」
「……良かった」
思わず笑ってしまう。
森の空気がひんやりとしているのに、
胸の奥だけはあたたかく、心地よかった。
しばらく無言で歩く。
ただ、雪を踏む音と、風の音だけが流れていく。
レイリンがふと立ち止まった。
その視線の先には、小さな雪の丘がある。
「……ここ、知ってる?
いつもロンが休憩してた場所。
森の出口に向かう前に、ここで……いつも」
言葉の続きを詰まらせたレイリンの横で、
俺は小さく息を吸い込んだ。
ここは“ロンの記憶の場所”。
ゲームで何度も見た風景が、いまは“本物”として目の前にある。
「行こう。
ゆっくりでいい。
森を出たら、きっと、もっとあったかいよ」
俺がそう言うと、
レイリンは雪に触れたまつ毛を震わせ、ゆっくり頷いた。
「……うん。
ロンと一緒なら、平気」
その言葉は、
雪明かりよりも暖かく、森の静寂を満たしていく。
俺たちはまた歩き出した。
その一歩一歩が、
“ロンとしての始まり”を
“俺としての最初の物語”を
静かに刻んでいく。
きゅっ……きゅっ……
雪の音が、二人の帰り道に寄り添うように流れていた。




