10話 魂の着地──冷たい土の上で
──冷たい。
最初に認識したのは、その一点だけだった。
闇の底からゆっくり浮上するように意識が立ちあがり、
世界の輪郭が形を成す前に、
背中に触れている“冷たさ”だけが確かな現実として迫ってくる。
湿った土。
柔らかい腐葉土。
落ち葉が貼りついた薄い層。
どれもが、冬の夜の冷気をしっかり含んでいて、
骨の芯まで奪おうとするようだった。
(……布団じゃない……?)
温もりがどこにもなかった。
代わりにあるのは、湿った大地の冷たさだけ。
目を開けた覚えはないのに、
視界には薄い闇と淡い影が混ざり合う。
霧のような、夢のような──
そんな曖昧な視界。
その薄闇の中で、自分の呼吸が静かに響く。
自分のものなのに、どこか知らない人の呼吸音に聞こえた。
やがて、視界はゆっくりと明瞭さを増す。
すぐ横に見えたのは、霜の降りた落ち葉。
白い雪が薄く積もり、ところどころで光を反射する。
冬の森。
なのに──見覚えのないはずの景色を、
脳の奥が“知っている”と言っている。
ひゅう、と風が通り抜けた。
木々がざわめき、枝が微かに軋む。
その音に、強い既視感があった。
ゲームで何百回と聞いてきた
豊穣の森(夜)の環境音とそっくりだった。
(……ここ……本当に……?)
胸がざわめく。
確証はまだ得られない。
まず、身体を起こさなければならなかった。
腕に力を込めた瞬間──
全身に妙な違和感が走った。
(……軽い?)
自分の腕ではない。
太い。
節が硬い。
筋肉の重みがある。
なのに重さを感じない。
操り心地が、自分の身体と微妙にズレている。
胸にも、違和感が走る。
呼吸の仕方が違う。
胸郭の広さも、肺の容量も、自分の体ではない。
衣服が擦れる音がした。
見下ろすと──服が裂けていた。
深い緑色のフード。
冒険者風の軽装。
だが、所々が裂け、土や煤がこびりついている。
そして──
脇腹に乾いた血。
息が止まった。
「……なんだ……これ……?」
声が出た。
しかし、その声も自分の声とはまったく違う。
低い。
若い。
少しざらついていて、息の響きが違う。
(俺の声じゃない……)
思考が混乱する中、
胸の奥で何かが“脈打つ”ように震えた。
ドクン。
心臓とは別の場所。
みぞおちの奥。
光のスープを飲んだ場所──そこがかすかに揺れた。
(……ここは……?
いや……まさか……)
視界の端に黒い跡が見えた。
地面が大きく抉れている。
焦げた落ち葉。
砕けた樹皮。
明らかに戦闘の跡。
それも──
初級ダンジョンの魔物がつけるような軽傷ではない。
地面の陥没。
焦げ跡。
爪痕。
(……大型……? 火属性……?
豊穣の森に……?)
信じられない。
ゲームでは絶対に出ないはずの強敵。
脇腹の血、裂けた服。
この身体は、さっきまで戦っていた。
そして──負けた。
(もし……この身体が……
その戦いで……)
喉がドライになる。
(……死んだ……?)
そのときだった。
──きゅっ……きゅっ……
雪を踏む音がした。
遠くから、慎重に。
震えた息遣い。
(誰か……来る)
胸がざわりと震えた。
足音はひとつ。
軽い。
小さくて、必死で──少女のものだ。
影が木々の向こうに揺れた。
淡い紺色。
雪に照らされて輝く紺色の髪。
肩に積もる雪を払いながら、
恐怖を押し殺すように森を進む少女。
この世界でひとりだけ。
(……レイリン……)
名を思い浮かべた瞬間、
胸の奥の“熱”が大きく跳ねた。
生きている。
近づいてくる。
声をかけたい。
でも──喉が震え、声が出なかった。
自分が誰なのか、
この身体の持ち主がどこへ消えたのか、
すべてが整理できない。
ただ、雪の上に響く足音だけが
確実に近づいてくる。
きゅっ……きゅっ……きゅっ……
ひとつ踏むたびに、胸の奥の熱が鼓動する。
やがて──視界の端に、白い靴先。
レイリンが、
すぐそばに立とうとしている。
自分の指先が、かすかに震えた。
冷たい土の上で──
息をするのもやっとの状態で──
世界が、静かに動き始めた。




