3.
その後の数年間、ハロルドとは長期休暇で彼が領地に戻ったときにしか会えなくなった。中等教育の私立学校は、規則で帰宅が制限されている。
両家の共同事業はといえば変わらず順調だった。すでにいくつもの鉱床を見つけていて、ハロルドと私の仕事はしばらく必要なかった。彼が大学に進学すれば、望むときに転移陣を使っての帰宅が可能になるので、それまで休業でいいと言われていた。
私は領地に留まった。女学校は母の代ですでに一般的になっていたので、私も11歳になって間もなく入学したものの、半年も続かなかった。あまりに内向的すぎるせいで、他の少女たちに馴染めなかったのだ。
我が家ではここ3代に渡って男しか生まれず、私は60年ぶりの女児だったため、幼児期には一族のお姫様として扱われた。両親だけでなく祖父母や叔父たち、年の離れた兄と従兄弟も含め、皆から大切にされた。折しも王室が代替わりを迎えて継承権の争いが起きたせいで、国内情勢が不安定だったこともあり、私を危険から遠ざけようと、それこそ十重二十重に守られていた。
特に私の魔法が事業に不可欠となってからは、屋敷の外の人とはまったく接触することがなくなった。この能力について、外部に漏らすわけにはいかなかったのだ。
そのようなわけで、私は11歳までハロルド以外の同年齢の子供とはまったく接することなく育ち、元から内向的だった性格に拍車がかかった。結果、学校の寮に入って数ヶ月の間、誰ともまともに話ができずに孤立してしまった。
領地に戻った私に、両親は家庭教師を見つけてくれた。
「学校のほうが合っている子もいれば、自宅学習のほうが合っている子もいるわ」
そう母は笑った。おかげで、人生初めての挫折に対して、私の子供なりのプライドは保たれたと言える。ただ、逆に言えば、ここで自宅学習にしたために、人見知りは矯正されなかったわけだ。
ハロルドと結婚したのは、私が17歳の誕生日を迎えた直後だった。彼はまだ大学に通っており、通常は大学卒業を待つものだが、この早すぎる結婚も私の内向さのせいだった。まともに社交ができないままではさすがに将来困るだろうと、両親が憂慮したのだ。
フィッツウィリアム家は古い名家であり、一族の人数も使用人も多ければ、領地の広さに比例して領民も多い。魔法石事業を抜きにしても、出入りする商人や職人、直営農場の農民等々、関わる人はハミルトン家とは比較にならないほど規模が大きかった。将来の領主夫人として、そのままでいていいはずがない。ハロルドを交えて両家で話し合い、私が馴染む訓練は少しでも早く始めたほうがいいだろうということになった。
でも、そんな必要はなかったのだけど、と私は自嘲気味に苦笑した。なにしろたった2年で終わってしまったのだから。
目を開いた私は、湖をぼんやりと見下ろした。湖面は変わらずキラキラと輝いている。
私はハロルドと結婚できて嬉しかったじゃない。そう自分に言い聞かせた。わずか2年の結婚期間ではあったけれど、それでも十分に幸せを味わった。彼の隣にいられるだけで、満たされた気持ちでいられた。私の中で、そのころの幸福感と、その後の悲痛さがない交ぜになっていく。
あの年、すべてが大きく変わってしまった。
始まりは母の実家が没落したことだった。魔法石事業の成功が気に障った人々がいたのだ。フィッツウィリアム家とハミルトン家は貴族だったため、庶民のエバンス家が一番攻撃しやすかったようだ。
エバンス家は幅広い事業を営む商家として、並大抵の貴族家よりもよほど裕福だった。それもまた、高位ではあるが財政的に苦しい貴族家には苦々しく思われていたらしい。そのような貴族たちの中に妬みから他人を陥れる性格を併せ持った人物がいて、その主導で祖父は罠に嵌められた。魔法石を密売で国外に持ち出したという嫌疑で逮捕された。
通常であれば裁判には数ヶ月を要するというのに、祖父は1ヶ月の間に有罪が確定されてしまった。面識もない証言者が大勢現れ、まったく関わりのない商家から証拠が大量に提出されたのだそうだ。
罰金刑が科され、さらに賠償責任を負った。その額は膨大なものだった。罰金はともかくも、誰に対するなんの賠償であるのかもはっきりしないという、ひどい在りようが罷り通ってしまったという。
後日、「法務省のやつらがグルだったんだろう」と兄が吐き捨てる場面に居合わせたことがある。本当のところは今も不明であり、当時はじっくりと検証している時間の余裕はなかった。
期限までにすべての支払いを済ませなくては、祖父が投獄されてしまう。そうなれば強制労働が待っている。奴隷制は何十年も前に廃止されていても、実情は似たような扱いなのだそうだ。体調を崩した老齢の祖父をそんな目に遭わせるわけにはいかないと、一族は総出で金策に動いた。
こうしてエバンス家は財産を完全に失った。それでも弁済しきれず、影響はハミルトン家にも及び、かなりの借財を負った。それにはエバンス商会とハミルトン家の関係者を救済するための資金調達も含まれていた。皆には十分なことをしてやりたいと言う父に、家族は誰も反対しなかった。しかしそれは、返済のためにハミルトン家が持ち合わせるほぼすべてを手放すことを意味した。
フィッツウィリアム伯爵は、罰金刑を知って即座に、当然のように援助を申し出てくれたそうだ。だが父はそれを断った。すでに伯爵は、審問や裁判で少しでも有利になるよう手を尽くしてくれていた。これ以上ハミルトン家に関わって、伯爵家に余波が届くのを父は恐れた。親友に迷惑をかけることだけは避けたかったと言っていた。
父の提案により、事業提携を打ち切った上で、ハミルトン家がフィッツウィリアム家に借財があるため、その返済として鉱床の権利を差し出すのだという体で、一時的に預かってもらうように取り決めた。誉められた手段ではないが、鉱床だけはむざむざと連中に渡したくないからと父は説明し、伯爵を納得させた。
頼みの綱である鉱床を奪われないためという考えも、もちろんあったのだろう。だが、おそらくは伯爵家にとっての憂慮の種を欠片ほども残さないようにしたかったのではないかと思う。なにせ鉱床のひとつはハミルトン領とフィッツウィリアム領とにまたがるものだったから、所有権が第三者に渡った場合に、新しい所有者との間で禍根になる可能性がある。
最後に私とハロルドの婚姻関係という問題が残った。私を妻のままにしていれば、嫡子である彼にとって、ひいては伯爵家にとってもお荷物にしかならない。そう判断が成された。
あの日、数ヶ月ぶりに実家に戻った私に告げられたのは、そういった内容だった。