第85話 失脚
王宮の地下深くに作られた監獄は、貴族や官僚たちが収監され、一般の犯罪者が入ることはない。但し、だからと言って何も特別な作りでは無い。
快適な監獄など、この世には存在する意味がないのだ。
欲望に塗れ、狂った者。権力争いに敗れ去った者。あるいは嵌められて無実でここへ沈められた者。いずれにせよ、国家の上層を占めた者たちが、その最後を迎える前にここで過ごすことになる。
その分、一般の牢獄より余計陰湿な空気を作り出してるのかもしれなかった。
そして、ここにまた一人、権勢を失い、この場所に沈んだ男がいた……。
——なぜ私が……なぜこの私がこんな目に……。なぜ…………。あの女さえ居てくれれれば…………私は、あの女のために心血を注いだのに…………!? そうだ、あの女だ!! おのれ、あれだけ目をかけてやったというのに、この私を裏切るとは!!
「うおぉぉぉぉぉぉ!!!」
グルグルと同じ思考のループが続き、何度目かの絶叫が木霊す。
「静かにしろと言ってるのがわからないのか! オラッ!」
その度に、鉄格子の向こう側から看守が鉄の棒で激しく突いてくる。天井から下げられた鎖で手を縛られた男は、なすすべなく棒を突きこまれ、怒りの絶叫は一変、激しい苦悶の声に変わる。
更に容赦なく棒が突きこまれ、男はぐったりとして大人しくなる。既に何回も繰り返されてきた光景だ。
こうして再び監獄に不気味な静けさが戻る。
「コツ、コツ、コツ…………」
静寂に支配された監獄に響く乾いた音。
昼間でも日の光が届かず、真冬の身を切る冷気が染み渡る地下監獄に、滅多にない訪問者の足音が近づいて来る。
看守は起立し声を掛けようとする。黒のビロードのローブを身に纏った訪問者は、それを手で制し、吊るされた囚人が収監された鉄格子に近づく。
「フフッ、久しぶりですね、元宮廷魔術師のサーゲイルさん……」
「…………そ、その声……、フォ、フォルティノか?」
訪問者は、目深に被ったフードをとる。黒髪をショートボブにした妙齢の女だった。アメジストのような美しい瞳を持ち、左目の涙ボクロが妖しい色香を醸し出していた。
「はい。アナタの元同僚のフォルティノです。だいぶお困りのご様子ですね。……魔力を封じる特性の鎖に縛られ、自慢の魔法も使えないなんて。
アナタの今のお姿を見たら、御師様はさぞやお嘆きあそばされるでしょう……」
フォルティノと名乗った黒髪の美女は、大げさに悲しむようなジェスチャーをとった。
フォルティノは、且つては大魔導士エクリプスの下でサーゲイルと共に学んだ同門で、その後、師の推薦で宮廷魔術師の座を占めていた。
その実力は、門下生の中で随一と言われた女傑であったが、師に良く尽くしたサーゲイルが最も愛され、立場的には重く用いられていた。
「フォルティノ! よくぞ来てくれました。私を助けるために来てくれたのですね! 早くここから出すように、その看守に言いなさい!」
フォルティノは、何も答えずサーゲイルに笑顔を向ける。
「…………ど、どうしたのだ。早く何とかしてくれ! 私を助けるのだ!」
「もう、いつまで上司面するんですか。今日は、アナタにご報告があってこんな汚い所までやってきたのです。喜んでください。私、この度、畏れ多くも陛下より宮廷魔術師長の称号を頂きました。
これからは、私はフォルティノ・ロード……、いえ、その名乗りは縁起が宜しくないようなので、フォルティノ・メイガスと名乗らせてもらいます。
よって、アナタはこれでタダのサーゲイルさんとなりました。ですから、口の利き方には気を付けてくださいね」
フォルティノはニッコリと微笑む。その美貌とも相まって、何も知らない者が見れば、さぞや心を動かされるだろう。
「そ、そんな!? 陛下は、私をお見捨てになられたのか!? わ、私は知っていることは全て話した! 何度も言ったように、私もあの女に騙されたのだ。私も被害者なのだ!」
「そう言われても、陛下と宰相閣下のお決めになられたことですので、私には何とも……。それより、もう少しご報告がありますの」
「うるさい、黙りなさい! お前の報告などいい。それより早く私をここから出すのです!
だいたい、陛下が私を簡単に切れるはずがないのですよ! おそらくはオーヴィルめが陛下に讒言したに違いありません! 陛下には私が直接お話しします。私が陛下に真実を説明して誤解を解くのです!
第一、私しか召喚の秘術を操れるものはいないのですよ! 陛下はそのことを失念しておられる。異界人など召喚すれば何度でも呼び出せます! たかが女一人、逃げられたとて大したことではないのですよ!」
「……哀れですね。前々から、愚かな人だと思ってはいたけれど、ここまでとは思いませんでした」
ヤレヤレといった顔のフォルティノは、大げさに手を広げる。
「な、なんだと! お前ごときが、この私を愚弄するのか!」
「いつまで、妄想に凝り固まっておられるのか……。良い機会です、この際だからハッキリ言いましょう。
アナタなどいなくても、召喚は立派に行えますわ。
アナタは単に御師様、そう大魔導士エクリプス様の残された文献や研究成果を自分の実力のように宣伝しただけです。
宰相閣下はそのことを良く理解されておられますわ。もちろん、私も宰相閣下の為、しっかりと結果でご期待に応えて見せますし」
「な、なんだと! キサマ!! 私の研究を奪う気か!」
「まあ、奪うだなんて人聞きの悪い。御師様の研究を引き継ぐだけです。
それより、もう一つ……。
アナタとあの原野という転移者の娘に朗報がありますの」
朗報という言葉に、サーゲイルは爆発しそうな怒りを飲み込む。そこに僅かな希望を見出す他無いからだ。
「ろ、朗報だと? それはなんだ、い、いや、何だというのです……」
「やっと、ご自身の立場が分かりかけたようですね。アナタと、原野という娘ですが、一緒に助かる道を、私が提案しましたところ、宰相閣下が快くご許可を下さいました」
「助かる!? 助かるのですね! そ、それは何より。フォルティノ……いや、フォルティノ・メイガス殿、このサーゲイル・ロード、恩に着ます。……それで、助かる道とはどんなことをすれば良いのです」
サーゲイルの心に希望の光が灯る。この状況から逃れられるのであれば、何でもよい。助かりさえすれば、後でフォルティノや宰相への復讐など、どうにでもなる。
「はい。一つの実験に協力してもらえれば良いのです。簡単にご説明しますと、あのゴミ屑のナスル・ウーラの残した研究の再現実験に検体として協力してもらいます」
フォルティノはニタリと笑う。その笑顔に妖しい影が宿る。
「ど、どういう意味です!? ……ナスル? あの加虐性変態の研究の再現実験とはいったいどういう意味です!? あんなモノに何の価値があるというのです」
「あらっ? 研究の成果についてご存じないのですか? アナタの部下が貴重な実験データと報告書を持ち帰ってくれていたのに、それにキチンと目を通していない…………。
あ、なるほど! だからアナタはいつもそんな調子なのですわね。よく分かりましたわ」
フォルティノから漂う、危険な香りに気付き、サーゲイルは落ち着き始めていた気分が再び激しく波立つ。
そして必死でザビールからの報告内容を思い出す。
——た、確か、あの神谷は、屑の加虐性変態によって連れ去られた後、悪魔と契約して悍ましい姿に変わったとか。
……それで……それで……その後は色に狂ったレリックに狙われたテレムセンの姫と行動を共にしていた。最後は、テザ近郊で、王子もろともザビールによって崖下に落とされて死んだのだったな!
「………それが、何だいうのだ!? 答えろ、この私に何をしようというのだ!!」
「はい。だから説明中です。大騒ぎせずに、黙って聞きましょうね。タダのサーゲイルさん」
「ぐっ!!…………」サーゲイルは、怒鳴り散らしたいのを必死で我慢した。
「………ご存じの通り、御師様の弟子の中でナスル・ウーラは人間的にはゴミ屑の異常者でしたわ。ですが、魔導の研究者としては、中々面白い線までいっていましたわ。
あの男がやろうとした研究とは、一言で言って『悪魔合体』。偉大な大魔導士エクリプス様が研究された『転移魔法』、残された私たちが『召喚の秘術』と呼んでいるものを応用して、魔界から悪魔の魂を呼び出そうというかなり大胆なもの。そして、その依り代として人体に定着させる…………。
まあ、ですがその研究は失敗続き。異形の魔物を多数生み出しただけで、まるで使い物になっていませんわ。
………アナタも記憶にあるでしょ。私も、幾つかその失敗した実験の後始末を行いましたので、鮮明に覚えていますわ。
ところがです。実は、その研究に成功への道筋がついておりましたの!」
言葉を切ってフォルティノはサーゲイルをまじまじと見つめる。アメジストの瞳の妖しい輝きに魅入られ、サーゲイルも息を飲む。
「ナスル・ウーラは、転移者の神谷惣治なる者を実験材料にすることで、実験の成功へ確信を持つに至ったようですの。残された実験記録に拠ると研究の問題点は二つ。
一つ目は、魔界から召喚されるた悪魔の魂が強すぎて、依り代の器に合わないモノであると、器を簡単に破壊してしまうこと。
二つ目は、上手く魂と器がマッチして、せっかく定着した場合でも、人体にいわば拒絶反応のようなものが起きて、やがては崩れ去ってしまうこと。
ところがですわ、神谷という転移者は『聖者』なる聞きなれない天職を有しており、その能力は人体の再生……いうなれば強力な癒しの力です。素材にこの条件が満たされれば、成功へ大きく前進します。
また、ナスルの予測によると、転移者という異界から招かれた体は、魔界の悪魔という同じく異次元の魂を定着させるのに相性が良いとのことです。
そして最後のピースは、依り代となる器の魔力量ですわ。……ナスルの測定結果によると、神谷は驚くべき魔力総量を供えていたとか。アナタが不要と切って捨てた転移者は、実は相当な能力を隠し持っていたようですね。
……残念ながら、原野碧の魔力量だけでは、素材としては不十分と判断しましたの。そ、こ、で、フフッ。アナタのお力を借りようということに決まりましたの」
サーゲイルは、聞いていて動悸が激しくなり、これまで感じたことのない感覚に陥り、堪らず嘔吐した。
「うぐっ………こ、この私を、み、碧と共に未知の悪魔合体の実験台にするつもりですね………」
「大正解! どうです? この実験が成功すれば、アナタは晴れて囚人から解放され、再び王国の中で重要な立場に立たれますのよ。願ってもないチャンスでしょ。私としても、元、同僚を救う良い方法だと考えましたの」
「ふざけるな!! そんな、成功の見込みのない実験など! だれが協力するか!」
「あら、おかしなこと仰いますわね。アナタが行った異世界からの召喚術だって、確実に成功する保証なんて何もなかったではありませんか。そのいわば一か八かの実験に、数百人の命を供させたのでしょ」
「あ、あれは陛下のご命令だ! 国家の意思だ! 一緒にするな!」
「……なら、同じことではありませんか。今回のアナタの実験も国家の意思ですわ」
「うるさい! 黙れ! 誰がそんな実験に協力するか! もういい、私を助ける気が無いのなら早くここから出ていけ!」
サーゲイルの駄々をこねるような態度に、フォルティノは心底ウンザリした表情になる。
「あぁもう! 黙って欲しいのはこっちですわ。まあ、元々アナタの意思なんて関係ありませんし。……私も、そろそろこの地下牢の寒さが堪えてきました。
では、次にお会いするときには、別のお姿になっておられると思いますが、その時を是非楽しみに」
フォルティノは両手をサーゲイルに向けると、魔力を高める
「ま、待て! 止せ!」
「では、おやすみなさい。『状態異常睡魔』」
耳が蕩けるような、優しい言葉が牢内に広がる。
サーゲイルは、ふーと息を吐きながら力なく崩れ落ちる。天井から下げられた魔力を封じる鎖が「ジャラッ」となった。
執筆開始当初の目標到達まであと僅かになってきました。
引き続きよろしくお願いいたします。
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