第77話 克服(2)
扉を目にしたアステルに生汗が噴き出す。
——チクショウ……。体が言う事を聞かない……。眩暈がする。
「どうした、アステル! 大丈夫か!?」
「…………」
無言で俯くアステルの急変した様子にファラリスは不安に駆られる。
ファラリスは、アステルを抱き寄せ、額の汗を拭った。その美しい褐色の肌全体に鳥肌が立ち、小刻みに震えている。
こんな怯えた様子のアステルを見たことは初めてだった。ついにその時が訪れたことが分かった。
二人がこの神殿を目指したもう一つの目的。
「……もしかして、ここがお前が話してくれた場所なのか……」
「…………」
ファラリスの声が遠くに感じる。返事をする気力が出てこないのだ。今は無言で頷くほかなかった。
ファラリスは、力なく頷いたアステルの顔を胸元に埋めながら美しい白銀の髪を撫でた。
アステルにファラリスの肌の温もりと、優し気な甘い匂いがかすかに感じられた。
ファラリスの癒しの力が、少しずつ、アステルの恐怖に蝕まれた体を溶かしていった。
神殿の上階から兵士たちが騒ぐ声が聞こえてくる。
あまり時間が無い。ここへ兵士がやってくるのもそう時間はかからないだろう。
「…………すまない。心配させたな、もう大丈夫だ」
「早く、ここから出よう。こんな場所に長くいる必要はない」
アステルを抱き寄せたまま、ファラリスは優しく言った。だが、アステルはその腕を解くと、よろめきながらも立ち上がる。そして、目の前の扉に手を掛けた。
「……今、逃げちまったら、このトラウマは一生俺に憑いてまわるぜ。クソ野郎の呪いは、俺自身の手で解かなきゃならない……」
「………アステル」
ファラリスは、苦痛の表情を浮かべながらも、なお前進を止めないアステルの姿を見て、自分に与えられた役割が何であるのか、改めて分かった。
——アステルは、自分を辛い目に遭わせた運命に復讐するために、必死に自分自身を奮い立たせている。
復讐心は、原始的な本能の発露だ。だが、その本能に従った場合、殆どの復讐者はネガティブな思考に囚われ、鬱屈した精神状態のまま、周囲を暗闇に引きずり込む。そして、また新たに不幸な復讐者を生み出すことに繋がる。
だからこそ、権力者は復讐を容認せず、法によって裁きを加えるのだ。
しかし、アステルは違う。その復讐は、恨みを晴らすという利己的行為を既に越え、権力者の無道や不正という巨悪との対決へと至っている。
しかも、私をはじめ周囲の人間を不幸にするどころか、救ってくれた。もし、アステルがいなければ、私は自分の出生の秘密や両親の非業の死を知った時、心を闇に染めていたかもしれない。その場合、間違いなく私の復讐心は、もっと直情的で破滅的なものだっただろう。
私は、そんな私の救済者を敬愛し、共に歩むと誓った。ならば、何があってもアステルを支えるのが使命だ。アステルさえ、傍に居てくれれば、他は何もいらない……。
ギギッと、不快な軋みを響かせ冷たい鉄の扉が開く。
二人は、禍々しい気配を放つ部屋へと入っていった。
扉の中は、あの時のままだった……。
暗く湿った陰鬱な部屋に、整然と並べられた拷問器具と鎖と手錠、拘束台、そして据えた匂い……。
嗜虐と背徳。人間の悍ましい悪意を凝縮させ、それに魂の汚染を加えた空間。
「うっ……」アステルに続いて入ったファラリスは、思わず吐き気を催した。
——酷い! こんなところで、アステルは恐ろしい虐待を受け続けていたのか……。
アステルは、無言で部屋に置かれた机の引き出しを漁る。
「……ちっ、無いな。肝心なモノは持ち去られている……」
「うぐっ、な、何が無いんだ……」
ファラリスは吐き気を我慢しながら、止まらない冷や汗を拭った。
「……クソ野郎が残した悪魔の実験記録さ。俺をこの姿に変えた悪魔召喚に、あのクソ野郎はのめり込んでいた。あの時、クソ野郎は俺の人体実験のデータを大切そうにクソ丁寧につけていやがった……。なら、ここへ来れば過去の悪魔召喚のデータもあるんじゃないかと思っていたんだがな……」
「……誰かが、持ち出したということか」
「分からん。だが、元の体に戻るためのヒントぐらいは手に入るかもしれないと期待したんだがな……」
「元の体……」
ファラリスは、アステルの元の体、神谷惣治のことを知らない。
——元の体なんて戻らなくていい。オマエは、そのままで私の傍にずっと居てほしい。
ファラリスは、その思いを飲み込んだ。これだけは決して口にしてはいけないことは分かっていたから……。
「……仕方ない。だが、ケリはつけさせてもらう!」
アステルの全身からオーラが立ち昇る。凄まじい力が爆発寸前にまで高まっていく。迸る魔力によって部屋中が振動する。
「ア、アステル、オマエにはまだそんな途方もない力が秘められていたのか!?」
傍にいるだけで突風のような圧力を感じるのだ。気を抜けば吹き飛ばされてしまいそうになる。
「悪いがファラリス、早く部屋から出てくれ。それから、暫く目を瞑ってこっちを見ないようにしてくれ」
「ど、どうするんだ、アステル!?」
「大掃除だぜ。この神殿に相応しくない汚物はキレイに浄化してやらないとな!」
ファラリスは言われるまま、廊下に出ると距離を取り、言われた通り目を瞑ると風魔法、風障壁を全力で展開する。
アステルは、ファラリスが魔法を展開したことを察知すると練りに練った魔力エネルギーを手刀で十字に切り裂くようなモーションで、斜め上に向かって解き放つ!
「天破神槍!!」
眩い光が周囲を覆い、次の瞬間、圧倒的な光量が示された方向へ向かって収束しながら放たれる。
ファラリスは、不安だった。静かだったからだ。一瞬だけ瞑った瞼の向こうで閃光が走ったが、その後に予想される破壊音や振動などがない。
程なくアステルの声が聞こえた。恐る恐る目を開けるが、地下通路に変化はない。そのまま、鉄の扉を開け部屋に入る。
部屋の中は……、いや、もはやここは部屋と呼べるような空間ではなくなっていた。アステルを中心に球形にスパッと壁が抉られ、禍々しい器具の数々も何もかもサッパリと消失していた。しかも、斜め上方に、神殿の地下から地上へと直系2マール程のトンネル状の穴がキレイに空いていた。
これだけの状況が作り出されているのに、破壊音や振動は一切なかった。少なくとも少しだけ離れた場所に居たファラリスにはそれを感じることができなかった。
これは、壊したのではなく、蒸発させた、或いはこの空間ごと抉り取って、何処かへやった、そんな感じだ。それほどの滑らかな切断面だった。
「こ、これをオマエがやったのか、アステル……」
「詳しい話は後だ。とりあえず、このトンネルを通ってズラかるぜ」
同時刻 上空へと放たれた閃光を神殿の近くで見ていた者がいた。
「何、あの光は……」
次回の更新も少し先になります。しばらくお待ちください。
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