第73話 再会(1)
『フェズ大神殿』に神谷惣治は帰ってきた。
あの日、バイト帰りに突然この世界に召喚されてから2カ月余りが経過している。
何気なく過ごせば、2カ月などあっという間に過ぎ去るが、この間に起きたできごとの濃密さ故に、遥か昔のことのように感じられた。
他の転移者が王都へ向けて出発する中、一人この神殿に残され、代わりにやってきたナスル・ウーラによって残虐な人体実験の被験体にされ、果ては、悪魔召喚の材料として供された。辛酸を舐めつくしたその先が、この魔神アスターテの体である。
周囲を見下ろすような威容を放つ大神殿の前に立ち、アステルはここへ来るまで何度か繰り返した反芻思考にまたも陥っていた。
「何を、そんなに浸っているんだ。この神殿に来るのは初めてではないのだろう」
ファラリスは揶揄うように言った。殊更、明るい調子で話しかけるのは、アステルがこの場所に忌まわしい記憶を有していることを良く理解した上でのことだ。
「いや、違うんだ。この神殿を外から見るのは初めてでな。こんなにスゲー外観しているとは知らなかったぜ」
それが分かっているから、アステルもまた、軽い調子で返す。
ここへ来るまでの道中、何度か繰り返された軽いノリの会話。会話が途切れる度に訪れる重い沈黙を、ファラリスが懸命に救ってくれた。
これまでの旅の途中とは真逆の立場。本来、ポジティブでやや天邪鬼な性格のアステルは、生真面目なファラリスを会話でもリードしてきた。少しでも気持ちをほぐしてもらうために揶揄うこともしばしばだった。
それが、大神殿に近づくにつれ、アステルの口数は目に見えて減り、時折激しい怒りの表情を浮かべることもあった。
それ程、アステルにとってこの場所の記憶は苦いものだったのだ。
何度か、ファラリスは引き返すことを口に出そうとした。
しかし、出来なかった。
アステルの望みを知っており、その邪魔だけはしたくなかったから……。
だから、せめて気持ちが沈まぬように、努めて明るく語り掛けるのだ。
「なら、余計にこれからの行動は慎重にやらないとな」
「だな。やり過ぎてここをぶち壊すって展開は避けたいぜ。そのために下調べを入念にやってきたんだ。俺は遺跡の破壊をしたいわけじゃないし」
「頼むぞ。この場所は、我が国における光神教の聖地でもある。そんなことになったら、我々は狂信者だけでなく、全信徒を敵に回すことになるからな」
「分かってる。……だが、誰か知らないが、よくもこの遺跡の秘密に気が付いたものだ。その上、この遺跡の地下に流れる強力なエネルギーを召喚術に利用しようなんて、こう言っちゃなんだが、サーゲイルの野郎が考えついたとはとても思えない。」
「……例の宮廷魔術師の男か。私はどんな人物か知らないから、何とも言いようがないが」
「俺も、奴とは僅かな接点しかなかったが、何か大きな仕事を成し遂げるようなタイプには見えなかったぜ」
「だとすれば、誰か他の者が考案したものを、実行したのがその男というのだな」
「ああ、俺はそう考えている。この場所は、強力なエネルギーが交差するパワースポットの上に作られた古代遺跡を、後の時代に光神教の聖地としたらしいな」
「そうだ。そのパワースポットといのは、知らなかったが、ここが古代遺跡を改修して神殿に作り替えたことは、私を含め光神教徒なら誰でも知っていることだ」
「地下に流れるエネルギーだけでは足りなかった分を、住民を生贄にして補ったとは、召喚ってやつは、それほどの利益が望めることだったのか……」
「仮に、お前のような力と知識を持った者を何人も支配下に置くことができるとしたら、権力者には十分な魅力があるのだろう。少なくともファーガスにはその価値があると判断したから実行した」
「それで、俺のように支配できずに復讐を考える奴が出てくるってことは、想定外の事態だったてことか」
「それは分からんが、転移させた者たちを操って何か大掛かりなことをしようとしていることは間違いないだろう。通常の戦力で事足りるのならば、わざわざ召喚などしないだろうからな。或いは……」
「或いは、何だ」
話しながら、ファラリスは別の可能性が浮かんだ。極めて危険な可能性が。
言い淀むファラリスを見てアステルは続きを促す。
「……いや、何でもない」
想像が突飛なものに思え、ファラリスは何でもないと自分でそれを否定した。
だがアステルは、ファラリスが打ち消そうとした危険な可能性を既に考えついていた。
「……今回の召喚は、もっと大きなものを召喚するための予行演習かもしれないって可能性か」
「…………」
ファラリスは、無言でアステルの考えを肯定した。
「俺はその可能性が高いと考えるね。もっと言えば、俺たちを召喚した目的は、データを取ることと、そして、新たな生贄を確保するため引き起こす戦争のコマにしようとした。そんなところだろう」
「ファーガスは、そこまで考えて……。いや、その可能性を考える方が自然だな……。だったらなおのこと、この遺跡の召喚を司る部分は破壊しておかないとな」
「ああ、二度と召喚なんてやらせないぜ」
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二人は、神殿の正面に配置された守備兵たちの目を避け、右側面に回り込む。巨大な神殿の全周に兵士を配置するはずがないと考えたからだ。
こちらは正面を南方に向けている神殿の東側にあたり、木々がうっそうと生い茂り、林になっている。
案の定、兵士は街道に沿った正面に配置されているだけで、こちら側には誰も居ない。物音をたてぬように注意しながら、茂みの間を進み、神殿の東側へ近づく。
アステルが、なぜこちらへ向かったか。それは召喚されたあの日、ささやかな晩餐が開かれた食堂の大きな掃き出し窓から、二つの満月が見えたからだ。
ファラリスによれば、秋のW満月は、時間帯にもよるが、窓から見える低い位置なら、東の夜空に浮かぶのだという。ならば、食堂からテラスへ続くあの掃き出し窓は、こちらの側に設置されているはず。
やはりあった。
ほぼ全面を石組みで築かれている神殿の、侵入経路として申し分ない。警備の兵士が配置されそうなものだが、誰も居なかった。定期的に見回りには来るだろうが、普段から警戒されている場所ではないようだ。
それも無理ない。
地上から見てかなりの高さのテラスだ。掛ける足場もなければ、誰もここをよじ登ることはできないと考えての事だろう。
アステルは、素早く駆け寄ると全力でジャンプする。そして、神殿の壁を蹴って向きを変え、さらに高く飛び上がる。
次の瞬間、悠々とテラスの上に着地した。辺りを警戒した後、準備してきたロープを下へ垂らす。ファラリスがそれを腕に巻きつけて掴むと、一気に引き上げる。
二人がテラスの上に登るのに30秒もかかっていない。二人は、テラスから掃き出し窓に近づく。窓は内側から簡易的な打掛の錠で閉じられている。
こんなものは、二枚の扉の間から針金を差し込み押し上げれば簡単に開く。
「……何だか、盗賊をやっているようで、良い気分ではないな」
ファラリスは、手際よく侵入作業を進めるアステルに微妙な表情を浮かべる。
「……まあ、それが普通の感覚だぜ。俺だって正面から
堂々と殴り込みを掛けたいところだがな。どうせ騒ぎになるとしても、それまでは無用な殺生は避けたいからな。……さ、開いたぜ」
ファラリスは無言で頷くと、アステルに続いて食堂の中に入る。
食堂には誰も居ない。今は午前中だが、奥の調理場に料理人すら居ないのは、好都合ではあるが奇妙に感じた。普段ここは使われていないのかもしれない。
先に侵入したアステルは、あの晩のことを思い出していたが、今はそんな感慨に浸っている場合ではないと先を急ぐ。
二人は廊下に出ると、アステルの記憶を頼りにあの場所を目指す。召喚された後、初めて目覚めた大神殿の大広間を。
更新が遅れてしまいました。仕事が忙しくなり、次回も少し時間がかかるかもしれません。
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