第65話 王都(3)
王都ヴォルビリスは円形に構築された二重の城壁によって守られている。城壁は、それぞれが高さ20マール程あり、外側の城壁と内側の城壁の間で市街地が区切られている。
そのうち内側の城壁に囲まれているのが旧市街地で、中心部の王宮の南側が貴族街。貴族街の更に南側に上層市民が暮らす地区がある。一般市民の暮らす地域はこの更に外側に広がっている。
王宮の東側と北側は軍の施設があり、軍関係者が暮らす。二つの城壁の間が新市街地で一般市民の居住区や貧民街が広がる。
城門は東西と南の3つ。このうち、東門に続く大通り一帯に商家が立ち並び、商人街をつくっていた。
莉紗は、2カ月前に馬車の車窓から見えたわずかな記憶を頼りに、東門を目指した。東門に続く大通りには商人街が広がり、大小の商店が立ち並んでいる。
商家の朝は流石に早い。
既に多くの商店で下働きや丁稚たちが忙しなく開店の準備を進めている。
莉紗は、ここへ来て自分の恰好が目立つことを再認識する。全身を包む純白のローブは、裾の部分に青の差し色が施され、しかも一部、金糸の刺繡まで施してある。
これを着てきたのは、与えられた衣類の中ではそれでも最も抑えたデザインであったことと、布が上等なだけに丈夫であり、旅装にするにはこれが良いと判断したからだ。
この世界に召喚されたときに来ていた制服は、女官たちによって、とっくに処分されていた。
商人街におよそ不釣り合いなこの恰好。客観的に見て、目立たないわけがなかった。追跡者が迫れば、直ぐに見つかることだろう。
しかし、莉紗はまったく慌てなかった。
それは、このローブが光教の高位聖職者の法衣でもあるからだ。
莉紗は、商人街と民家のに挟まれた辺りにある光教の聖堂を目指した。この聖堂の存在は、女教皇としての知識を学ぶ中で、教わったものだった。
光教徒は旭日を神聖視する。太陽神を主神とする光教は、夜明け前から一部の熱心な信徒が聖堂に集まる。そして、黎明の日の光を合図に、主神への祈りを捧げるのだ。
既に夜明けの祈りの儀式が始まっているころだが、早朝に悠然と神殿に向かう莉紗の姿は、王都の民には光教の高位聖職者にしか見えない。
莉紗は、神殿のすぐ側まで近づくと路地裏に入る。
——これで、少しでも陽動になればいい。ここで人目を引いた分、後で光教の神殿は必ず調べられるはず……。
そもそも莉紗は、碧を説得して二人で逃亡するつもりでいた。
土地勘が無く、誰の手引きもない状況だ。そんな状況で、女二人、目立たぬように隠密行動をとって、王都を脱出するというのは極めて難しいと考えていた。
よって莉紗の元々の計画では、二人でクラリオン率いる近衛軍に素早く移動し、兵站輸送を手伝っていた点を利用して、物資の中に碧を隠して王都を脱出する。その後、移動中の隙を見て二人で戦列から離れる。こんな考えでいた。
だが、今は自分一人だ……。
——自分一人なら何とでもなる。この純白の法衣は、私を守ってくれる!
莉紗は周囲を見渡し、誰もいないことを確認すると、集中力を高め、魔力を自らに纏う。
「光魔法澄明!」
詠唱が引き金となり、淡い光が純白の法衣を纏った莉紗の体を包む。
その身に淡い光を放つ莉紗は、朝日に照らされた大通りに出ていく。莉紗の体を包んだ光は太陽光を変化させ、その姿を周囲に溶け込ませていく。
すぐに莉紗の姿は周囲から全く見えなくなった。
この魔法の存在こそが、王都脱出を可能にする力だった。そして、光魔法澄明の存在は、女官たちですら知らない。
光魔法は、元々選ばれし術者にしか顕現できない希少性の高いものだ。まして、その最高位階のものは、大昔の魔導書に概念が記されているのみ。
魔導書自体は一定の教育を受けた者なら誰でも読めるが、書いてある内容を本気で理解しようとする者はほぼ皆無だった。なぜなら、仮に読んで理解したとしても、その力を発揮することができないからだ。
莉紗が理解した魔法というこの世界固有の力は、結局のところ、特訓などで身に付けた集中力や魔力制御を基礎に、自らに備わった魔力を操ること。その上で自分の魔力の色、適合性と言っても良いが、それが合えば特定の魔法を使うことができるというものだった。
そして、高い適合性を有し、固有の概念を理解した者だけが高位階以上の魔法を使うことができる。
莉紗がこの2か月の間、特訓を繰り返してきたのは、低位階から中位階の光魔法だった。莉紗の先生役の女官ですら中位階の光魔法を唱えるのがやっとで、しかも精度は極めて低かった。
この点で、莉紗はすぐに先生役の女官を凌駕した。魔力の扱いや魔法顕現の精度は女教皇の天職を有する彼女に比肩する者は誰も居ない。
この特訓とは別に、莉紗は高位階や最高位階の光魔法を独学で学んだ。魔導書に書かれていた光魔法の概念を理解できたからだ。
光魔法の極意を、現代日本人の莉紗は、科学的な思考から解明した。
こうして、彼女は強大無比な光魔法を、密かに幾つも手に入れたが、光魔法澄明もその一つだった。
この魔法が発動している間、太陽の光が降り注いでいる場所では、魔力が続く限り透明な存在でいられる。
日が昇り、徐々に人通りが増えてきた大通りを、莉紗は東門目指して歩いていく。その姿を誰にも見咎められることはない。
やがて、高さ20マールの巨大な城壁が眼前を覆うが、東の方角から差し込む朝日は、開かれた東城門をくぐり抜け、莉紗を照らし続ける。
旧市街地と新市街地を隔てる東城門の前には何人もの番兵がいて、通行する商人や王都の住民を見張っているが、通り過ぎる莉紗を誰も気づかない。
冬晴れの澄んだ空気の中を東へ向け莉紗は進む。
30万都市の王都は広い。1時間ほど歩き、ようやく二重の城壁の外門に到達した。
東外門では、兵士たちが王都から西へ向けて旅立つ商人の荷馬車を検問していた。商人に許可証を提出させ、満載された積み荷を入念に調べる。そんな検問待ちの荷馬車が数台並んでいた。それぞれに4、5名の護衛を付けているのは、金本が率いる盗賊団への備えであろう。
莉紗がそれらを横目に東外門をすり抜けた直ぐ後、早馬が来て城門は閉じられた。
本当に間一髪だった。
城門の向こう側では、今頃、莉紗を探して大騒動になっていることだろう。
——だけど、本当に大変なのはこれから。
莉紗は、一息つきたい気持ちをグッと押さえる。
陽動が上手く働けば、暫くは時間が稼げるかもしれないが、やがて追手も方々へ差し向けられるだろう。それまでに、あの召喚された神殿に辿り着くのだ。
そして必ず彼に会う。
サーゲイルは、彼が死んだと言ったが、彼が生きていることに不思議と全く疑いの気持ちが湧いてこない。
神谷惣治と再会する。これが莉紗のこれからの旅の目標となった。




