第64話 王都(2)
王宮の石橋を渡った先に、堀に沿って豪奢な館が立ち並ぶ。王宮に勤める宮廷貴族や、領地を与えられ、地方に暮らす領主貴族の王都での滞在用の館である。
貴族街の巨大な館の群れが途切れると、続いて、やや規模や作りが小さくなるが、その分洗練された建物が姿を現す。
上層市民の暮らす高級住宅街に入ったのだ。
この地域に館や住居を手に入れられるのは、一部特権階級に連なる者か、豪商の類、或いは王宮に勤務する官僚たちに限られている。この一角に、碧たちが宿舎として与えられている建物がある。
莉紗は、この辺りに一度も来たことがない。必死に碧との会話を思い出しながら、言葉と目の前の情景を重ねる。
日の出が近づき、徐々に明るくなっては来たが、目指す建物は容易に判定できない。ようやく何人かの住人が外へ姿を現し始めてきたが、話しかけて聞くわけにもいかない。
第一、何と言って説明するのか。
——私たちのことは、基本限られた人しか存在を知らない。下手に話しかけたら、不審に思われてしまう。
だからこそ、自分の記憶だけが頼りだった。
——!? ……あの黄色の建物は!
高級住宅街の館や住宅は、白色の外壁に青い屋根という外観でほぼ統一されている。鎧戸の色やデザイン、外壁に飾り付けられた彫刻などによって建物の差異が作られているが、全体の統一感によって、より洗練された印象を醸し出している。
なのに、一棟だけ黄色の外壁に赤銅色の屋根という主張の強い奇抜な豪邸がある。
それが、莉紗の記憶を刺激した。
——たしか碧は、目立つ色をした建物の裏にある3階建ての集合住宅の3階の一番奥に部屋があるって!
碧の話では、その目立つ建物の主は、有名な商会の主人で、たしか、奴隷を扱っているとか言っていたように記憶しているが、今はそんなことは関係ない。
——あの黄色の豪邸の裏に行けば!
莉紗ははやる心を押さえて、目立たぬように周囲を伺いながら黄色の館を左に見つつ裏通りに回った。
——あった! 確かに3階建ての集合住宅。
他の建物と同じ配色で作り自体は瀟洒だが、この街の中では個性が乏しいともいえる集合住宅が目指す建物だった。
1階の入り口から男が出てきた。良いタイミングだ。入り口に鍵でも掛けられていたらと不安もあったが、これで中に入ることが出来る。
莉紗は男が遠ざかるのを待って、建物の中へと入っていった。
3階の奥の部屋の前に着いた。ここが目指す碧の部屋かもしれない……。莉紗は、部屋の前に来て急に不安になった。自分の記憶だけを頼りにここまで来たのだ。他の情報は無い。
自分の記憶違いということもある。……もし間違っていたら。そんな考えが強くなっていく。
だが反対に、
——何のためにここへ来たの。……もちろん碧を救うため。だったら、もっと勇気をださなきゃ!
と心の声がそれをかき消していった。「よしっ」と短く自分に激を飛ばすと、莉紗は扉を強くノックした。
間隔を置きながら3度ほどノックした。だが、返事はない。
——碧、お願いだから出てきて!
莉紗の思いも空しく、4度目のノックに対しても部屋の中から返事はなかった。
莉紗は一気に絶望的な気分になる。
やはり、部屋を間違えていたのかもしれない。あるいは、偶然留守にしていたのか……。いずれにしても、碧と会うことは出来なかった。
莉紗の中で膨らんでいた風船が萎んでいくような気持がした。
碧を説得して、二人で王都を脱出する。ついさっきまであった使命感にも似た感覚が薄まっていく。
このまま、ここに居たら近くの部屋の住人が出てくるかもしれない。それが、他の転移者たちならまだ良いが、全く無関係の住人に今、莉紗の姿を見られるわけにはいかなかった。
莉紗は、諦めて階段を降りると、集合住宅を出た。行く時とは明らかに足取りが違う。
俯いたまま、通りへ出た時、突然声を掛けられた。
「莉紗!!どうしてここに居るの!」
会いたかった原野碧が目の前に居たのである。
「——!? 碧! 良かった! 会いたかった!」
偶然の再会に感極まった莉紗の目に涙が浮かぶ。会わなくなって1か月は経つ。莉紗は碧を抱きしめたくなった。
「莉紗、どうしてここに居るの、答えて!」
碧の低く冷たい響きの言葉に、盛り上がった莉紗の気持ちは冷や水を浴びせられたようになる。碧は、莉紗を不審者を見るような怪しんだ表情をしている。
メイクを施して美しい毛皮のコートを身に纏った碧の姿は、1か月前、莉紗が最後に会った碧とは別人のような雰囲気を醸し出している。
原野碧は、日本にいた頃は17歳という年齢よりはずっと幼く見えた。学校では、親友の莉紗といつも一緒だったが、同い年の莉紗が大人びて見えるのに対して、碧の可愛い系の外見がより幼く見えたということもある。
しかし、今の碧は大人の女の雰囲気を醸し出している。自信というか女として充実しているような、そんな感覚だ。
それを、感じるからこそ、莉紗は戸惑うのだ。自分の知っている碧はどこかへ行ってしまった……。
「み、碧……。私、どうしても碧に会いたくて、話したいことがあるの、ううん、どうしても聞いてもらい事が——」
「そんなことは、聞いてない! 莉紗、答えて! どうしてここに居るの? まだこんな早い時間だよ。許可をもらったの? ねぇ、答えてよ!」
碧の口調は問い詰めるようなものへと変わっていく。それを言うなら、なぜ碧もこんな早朝に部屋へと戻ろうとしていたのか……。碧の恰好は、とても朝の散歩といういで立ちではない……。
「碧、聞いて! 私たち転移者は、あいつらに変な暗示を掛けられて洗脳された状態なの。ね、信じて! お願いだからもう少し私の話を——」
「なんの話があるの? 言ってみてよ。聞いてあげるから」
腰に手をあてて言い放つ碧の姿は、完全に敵意を向けてきている。実際の碧の背は莉紗よりだいぶ低いのだが、なぜか上から見下ろされているような感覚を受けた。
「——!? 碧、そんな! 私、碧を助けたくてここまで来たんだよ。碧、やっぱりあなたはあの男に操られているよ。……大丈夫、きっとここから離れれば、元の碧に戻れるよ。ねぇ、ここから逃げよう! 碧、とにかく今は私を信じて!」
とても上手く説明できたとは言えない。用意したセリフとは全く違う。だが、予想しなかった展開と、変わってしまった碧の姿に圧倒されてこんな言葉しか出てこなかった……。
「やっぱり、勝手に抜け出して来たんだね……。サーゲイル様に迷惑ばかりかけて、ホント最低な女……」
「碧! お願い、私の話を——」
「サーゲイル様はね、いつもオマエの事ばかり気にしているの! 今朝だって、オマエの出発を見送るために、早くに私に帰るように言ったの! それを……」
——!? 碧、あなた、あの男に……。
想像した中で最悪のシナリオだった。碧は既にサーゲイルのものになってしまっている。あんな最低の男に親友が弄ばれていると知って、絶望的な気持ちになる。
「……碧、あの男はあなたを洗脳して弄んでるのよ! お願い、目を覚ま——」
「だまれ! 莉紗、やっぱりアンタは最低の女だった。裏切者はここで死んで!」
碧は、体中から一挙に魔力のオーラを滾らせて両手を莉紗に向けると、躊躇なく魔力を解放する。
「碧、止めて!」
「聖輝矢!!」「魔力反射!」
白く発光するレーザーのような光線が莉紗を襲う。殆ど同時に莉紗は、身を護るための光魔法を展開する。
パキンと渇いた金属音をたて、莉紗の魔力反射が、碧の放った聖輝矢を拡散する。散らばった光線はバスッ、バスッと道路や建物など辺りに小さな穴を無数に開けた。
この瞬間、莉紗は一人だけの逃亡者となった。
碧の次の攻撃から身を護るため、莉紗は走る。
後を追うように碧の聖輝矢が再び放たれるが、射程外に出た莉紗の纏う魔力反射によって完全に打ち消される。今度は、光線が周囲に飛び散ることもない。
市街地を走り去りながら、莉紗は泣いていた。
なんでこんなことになってしまったのか。どうして、私はこの世界に居るのか。
答えの出せないことが頭の中をグルグルと渦を巻き、混乱が大きくなる一方だった。もう、どこを目指して走っているのかさえ、分からない状態。
やがて、何かに躓いた莉紗は激しく転んだ。石畳に打ち付けられた痛みで、ふっと我に返る。
——これから、どうするの……。
莉紗は、周囲を見渡す。霧に包まれた市街地に、ようやく城壁を越えて日差しが差し込もうとしていた。
ここは、一般市民が住む住宅街だろう。もちろん来たことはないが、建物の雰囲気でそうと察することが出来る。
周囲を見渡していた莉紗を朝日が照らしだした。
朝日に照らされる中で、莉紗の中に今まで感じたことのない激しい感情が沸き起こってきた。
怒り。怒りである。
莉紗は、これまで生きてきて怒りの感情に心が染まったことはない。何か、自分にとって辛いことがあっても、仕方ないと諦めたり、相手にも色々あるんだろうと、物事を相対化することで我慢してきた。
親友だった碧を奪い、自分たちを操って都合の良い道具として使おうとする、サーゲイルたち。
自分のことだけなら、こんな気持ちにはならなかっただろう。大切な友人を洗脳して弄んでいる。そのことだけでも決して許せないが、あまつさえ、心優しかった友に、人殺しを躊躇なくさせるまでに変えてしまった。
——絶対に許せない! いつか必ず復讐する!
莉紗の中の絶望が怒りに変わり、そして復讐心へと変貌を遂げたのだ。
——だけど、今は力を蓄えるしかない。
敵は強大だ。自分一人が突っ込んでいって、よしんばサーゲイルを討ったとして、それで何が残るのか。結局、自分は殺され、そして結局また召喚が行われるだろう。
それなら、最もよい復讐とは、二度と召喚などできないようにすることではないのか。そのためには、この王都を抜け出して、最初に召喚された神殿にもう一度戻ってみる必要がある。
莉紗は、そんなふうに思考を進めた。その思考の中で、ふとあの青年の顔が思い出されるのだった。
——神谷惣治さん……。彼が、私の考え通り、本当に生きているとしたら。彼なら、必ず力になってくれるはず……。
生きているという根拠はなかった。でも、死んでしまったという話に、なぜか全く信憑性を感じないのだ。
莉紗は、自分のカンに賭けてみたい気持ちになった。彼に会うためにもう一度あの神殿を目指す。それが、これからの目標だ。そう信じて行動すれば、一人でも何とかなるかもしれない。そんな気持ちが強くなっていく。
橘莉紗とは、そんな女だった。




