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第63話 王都(1)



 早朝、本格的な冬を迎えた王都は、深い朝霧に包まれていた。


 まだ薄暗く、白いヴェールに覆われて視界が狭い。わずか20マールほど先を見通すのさえも苦労する。

 この時間、王都の住民はようやく起きだして、寒さに震えながら朝の支度を始めだしたころだ。今朝は冷え込みも厳しく、いくつかの家の煙突から煙が立ち始めていた。

 人通りのない大通りを、白い靄の向こうから細いシルエットがこちらへ走ってくる。

 近づいて徐々に輪郭がハッキリしてくると、くるぶし近くまで丈がある白いローブを身に纏った若い女だと分かる。スラリと背が高く、ポニーテールにした長い黒髪が左右に揺れる。


 ハッハッと白い息を吐きながら、白いローブを身に纏った橘莉紗が走り去っていく。


 可愛いとキレイが見事に調和した美貌の持ち主の彼女だが、今のその姿は悲壮感にあふれている。


——碧、待ってて、今すぐ助けるから!




■■■■■■■■

 



 昨夜、莉紗はサーゲイルから渡された宝飾品など、換金性のありそうなものをかき集めると、肩掛けカバンにそれらを押し込み、身支度を整えた。正直、一度も身に付けたことはない品ばかりだった。


 今回の遠征に持っていくはずだった魔獣の革製の大きな袋には、着替えが詰め込まれていたが、それを背負って逃走することは、女の身には難しいと諦め、中身をほとんどクローゼットに戻し、最低限の荷物に絞り込む。


 まだ真っ暗の朝方の4時ごろに王宮の別館を抜け出す。

 自らにかしずいたふりをする監視役の女官たちが起きだす前に、動き出せばよい。

 ここまでは、さして難しいことではない。その気になればいつでもできた。


 問題は、ここからだった。


 王宮と市街地の間は一本の石橋で繋がれているが、夜間はもちろん城門が閉じられ、交代で守衛が見張っている。


 王宮の守衛だけあって、近衛隊出身者の精兵によって固められている。

 よって油断や隙は微塵もない。


 莉紗は、この一週間近衛隊に接して、その練度の高さを素人ながら十分感じていた。


 だが、今回は()()()()()だ。侵入しようとする者に対しては厳重な警戒を持っていても、出ていこうとする者にはそれが緩むはず。


 まして、今回は近衛隊が中心となっての賊徒討伐だ。それに莉紗が参加することは王宮の内外に知れ渡っている。


 それでも、これまで近衛隊の練兵場への行き来は馬車での送迎だった。それを当日の、しかも夜も明けない早朝に徒歩で出ていくことは不審に思われて当然。


 10名ほどの当直の守衛が、篝火を焚いて城門前に待機しており、旅装を身に纏った莉紗を呼び止める。


「これは、莉紗殿このような時間にどうしたというのです。出発の時間まではまだ大分あるはず」


 守衛の隊長格の若い将校が声を掛けてきた。これまでも何度か会話を交わしており、相手の表情からこちらへの好意が伝わる。


「はい。言われる通り、まだ数時間はあります。ですが、私は早く練兵場へ向かって出発前の最後の作業に加わりたいのです。どうか、ここを通る許可を下さい」


「それは、良いお考えです。小官はこれまで莉紗殿のお姿を見てまいりましたが、任務に対する真摯な態度は若い兵どもにも良い手本となります。分かりました。今から、馬車の手配を行いますので今しばらくお待ちください」


 若い将校は、感心した様子だった。しかし、これもまた想定の範囲。


「本日の馬車の送迎は辞退させてください。私の勝手な予定変更で御者や馬丁の方に大変ご迷惑をお掛けします。何よりも、私はクラリオンの近くでお役に立ちたいと考えています。あの方は、何より特別扱いを嫌うお方です。そもそも、私の馬車での送迎に対しても、快く思っておられませんでした。私も、それは良く分かっておりましたが、周りの方々が絶対に認めてくれませんでした」


「……なるほど」


 クラリオンの名前を出され、若い将校は考える。クラリオンの為人ひととなりを、近衛隊で知らぬものはいない。


 莉紗は、若い将校が自分の考えに同調しそうだと見て取ると、一気に言葉を重ねる。


「今朝の早出のことは、部屋に書置きを残してまいりました。みな様がもしこのことを別館の女官の方々のお伝えになったら、必ず反対されてしまいます。

 出発直前に馬車で送迎されて来た私を、クラリオン様はどう見るでしょうか。相変わらずの特別扱いに慣れた自惚れの強い女としか見てくれないと思います。そうなれば、今回の遠征でも、当たり障りのない役目しか貰えないと思います。私は、クラリオン様に少しでも認めていただき、皆さんのお役に立ちたいのです」 


 莉紗の言葉は、昨晩までは本気でそう考えていたものだった。サーゲイルが現れるまでは……。

 

 若い将校も莉紗の言葉に心を動かされ、表情に思案の色が濃くなっていった。

 莉紗は、今が勝負と最後の一押しを行う。将校の手を両手で握ると、


「どうか、このまま行かせて下さい。私を、皆さんの本当の仲間に加えて下さい」


 と懇願する。


「……分かりました。そこまで言われては、お通ししない訳にはまいりません。是非、武勲をお立てになって下さい」


 若い将校は、そう言って照れた様子で部下に王宮の門を少しだけ開けることを命じる。上官の指示に従って、内側からの開錠作業が行われ、鋼鉄製の門扉がギギッと音をたて、人が一人出られる幅が開かれる。


 莉紗は、丁寧にお礼をすると、門を出ていく。はやる気持ちを必死で抑えて、橋を渡るまでは、ゆっくりと歩いた。もちろん、最後まで不審に思われないためである。


 王宮から、十分に離れたところで、莉紗は近衛隊の訓練施設の方向とは逆方向へ走り出す。以前、碧から聞いた転移者たちの宿舎を目指したのだ。


 王宮に近い上層市民が暮らす市街地の一角に宿舎があり、転移者たちは個室を与えられていると聞いた。まだ、碧と喧嘩別れする前に、その宿舎の場所やそこでの暮らしについてあれこれと話したことがある。


 碧は、訓練は大変だが、宿舎には比較的自由があり、転移者は皆それなりに異世界の暮らしに慣れてきていると言っていた。


 窮屈な自分の環境と比較して、随分羨ましいと思ったものだ。だが、今となっては、その話自体、どうだったのか疑わしいと思える。何かの暗示によって、そう思い込まされていたのかもしれない……。


 だが、その可能性があったとしても、今は碧の話を信じて教えてもらった宿舎を目指すしかない。そこにいるはずの碧を救い、一緒にこの王都から逃げるのだ。

 



 ————————————————————————————————


 明日、もう一話投稿します。


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