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第61話 近衛隊



 橘莉紗たちばなりさがこの世界に来て2か月が過ぎた。



 2か月前のあの日、放課後通っていた英会話スクールからの帰宅途中、交差点で信号待ちをしていた莉紗の前に、親友の原野碧が偶然通りかかった。


 地方都市にある同じ有名進学校に通う者どうしだ、何かの拍子にこうして街でバッタリ会うことなど別に珍しいことではない。


 辺りは既に暗くなっており、大人しい性格の碧が、こんな時間に一人で出歩いていることが珍しく思えたが。


 莉紗と碧が親しく会話を始めた直後、どこからともなく一匹の黒猫が現れた。


 人間を恐れもせず、悠々と近づいて来たのには少し驚いたが、多分、どこかの飼い猫だろうと二人ともすぐに警戒心を解く。


 良く見ればとても毛並みの美しい上品な黒猫で、莉紗は思わずしゃがみこんで頭を撫でようとした。

 次に瞬間、黒猫の青い瞳が妖しく輝き、それを最後に莉紗は意識を失った。そして、気が付くと二人ともこの世界へとやって来ていた。




 それからの日々は、莉紗にとって重苦しいものだった。王宮の別館に監禁状態に置かれ、碧とも遠ざけられていった……。


 別館へ頻繁に訪れる、サーゲイルの存在も憂鬱の種だった。この男の露骨な下心を持った好意をうまく躱しながら、それでいて周囲を囲む女官たちの敵意を買わぬように立ち回らねばならない。

 

 莉紗はこの世界にセクハラという概念が無いことが本当に腹立たしかった。

 

 それだけでも、ストレスがたまるのに、睡眠以外のほぼ全ての時間を、自らに与えられた女教皇ハイプリエステスという役割に見合う実力を身に付けるために使わなければならなかった。


 それは光魔法の訓練だけではない。挨拶の仕方から食事まで女官たちによって、ほぼすべてのことについてミスラ教の作法を仕込まれる。

 入浴の時でも浴室の傍らに女官が控え、どんなに断っても身支度の手伝いと称して傍を離れてくれない……。


 全く気の休まらぬ日々。

 自分はこんなところで何をやっているのだろうと思わぬ日は無かった。


 挙句に訪れたのが、碧との仲違なかたがいだった。

 碧は、莉紗とサーゲイルの仲を誤解して、『しばらくここへは来ない』と言い放ったが、実際あれから一度もこの王宮の別館には姿を見せてくれない……。



 


 碧たちが、南方の平原で魔物を討伐することに成功したという話を女官より聞いた時、莉紗は何より、碧の無事を知ってホッとした。


 碧が戻ったら、必ず誤解を解いて仲直りしたいと心に決める。



 ところが、その後やってきたサーゲイルは、これまでとまったくようすが違っていた。

 明らかに憔悴しており、それまでの自信満々の態度が消え失せている。

 その日は、さり気無さを装って手を握ったり、肩や髪に触れてくることもなかった。


 何があったかしらないが、莉紗にしてみれば、正直大歓迎だった。

 いい加減、この男のセクハラ行為にうんざりしていたからだ。

 

 サーゲイルが追い詰められた原因の金本紫苑の話を聞いた時には少し驚いたが、正直に言って金本に嫌悪感を抱いていた莉紗は、金本が転移者の力を使って村々を襲っているという話に怒りが湧いてきた。


 さらに、サーゲイルは苦しそうな顔をして莉紗に近衛隊のクラリオン将軍の元へ向かうようにとの命令を告げてきた。


 話している途中、声はかすれ、ほとんど絞り出すような調子だった。


 話し終わると、サーゲイルは()()()()()()()()()()()()()を見せたが、これを聞いた莉紗の内心は全く逆で、久しぶりの嬉しい知らせに手を叩きたいくらいだった。


——もしかしたら、やっとここの生活から抜け出せるかもしれない。あの人の消息を探ることもできるかも。


 莉紗の中に、唐突に神谷惣治の姿が浮かんだ。

 なぜかは分からなかったが、浮かんできたのだ。


——なんでだろう……。でも、あの人だけが転移者の中で、私と同じ感覚を持っていた……。


 ほんの短い時間しか一緒に行動しなかったが、莉紗にはそう感じられたのだ。

 これまでも何度かサーゲイルに神谷惣治の行方について尋ねたことがある。ただ、いつも返事は曖昧で、なぜか途中で苛立った感じを見せるのだった。

 

 莉紗は周囲の女官たちのサーゲイルへ向ける表情を察して、この話題を深追いすることは避けてきた。


 とにかく、ようやく何かが動き出したのだ。この2カ月の間感じてきた、自分の周りに漂う、嘘やごまかしの正体を探りたい。これが莉紗の内心に溜まってきた思いだった。





■■■■■■■■





 王宮の周囲にめぐらされた堀の東側のエリアに近衛隊の広大な訓練施設がある。

 訓練施設に併設された隊舎の3階、ここに近衛隊の司令部が置かれている。


 近衛隊の司令官で将軍のフロリゼル・クラリオンは、当年34歳のいまだ少壮の軍人である。


 引き締まった肢体に小麦色の日焼けした健康的な肌、短く切りそろえたブラウンの髪。一見して若い男性だとみられるが、男にしては整いすぎた顔立ちや声が、元は美しい女性だったことを想像させる。


 だが、本日の彼女の表情は厳しく、また極めて威圧的だった。


 「貴様が噂の転移者の女か、陛下の命であれば臣として従うほかないが、我らえある近衛隊に、本来貴様のような異物は入る余地はない。今まで王宮で特別扱いを受けてきたようだが、ここへ来た以上、われはそんな扱いはしない。精々、我々の足を引っ張らぬようにすることだ」 

 

 次の日に早速ここへ出向いた莉紗は、挨拶もそこそこにフロリゼルから突き放される。


 だが、莉紗は嬉しくて仕方ない。

 ここへ来るまで、馬車での送迎ではあったが、王都に来てから初めて王宮外へ出ることが許されたからだ。

 

 実は無理を承知で自分で歩いていきたいと何度も訴えたが、それが果たされなくても、外に出られたことが嬉しかった。


 何より、フロリゼルが放った『特別扱いしない』という言葉が新鮮で、感激だった。


「我々は、賊の討伐に準備が整い次第出発する。貴様と同じ異界の転移者が賊の首領だとか。まったくふざけた話だ! もし、貴様が賊の首領に情を通じ手心を加えるようなら、我は貴様も遠慮なく処分する。例え、それによって王から不興を買うともな!」


 気持ちよいほどの果断な態度だった。


 むろん莉紗に異論はない。金本紫苑かねもとしおんが、王国各地で行っている悪逆非道な行為について、莉紗は『話せば分かる』という段階をとっくに超えていることは承知しているからだ。


——凄い。こんなにもハッキリと自分の考えを主張できるなんて……。


 莉紗は、ハスキーな声で捲し立てる新しい上司? の態度に腹を立てるどころか、感心しきりだった。 



 フロリゼル・クラリオンの家は、2代前の当主が武勲によって男爵の爵位を得た新興貴族で、先代当主もまた、軍に人生を捧げ、その功績によって子爵へと陞爵しょうしゃく された。領地を保持しておらず、軍事を生業として王家より俸給を貰う典型的な宮廷貴族である。


 フロリゼルは、先代当主の姪にあたる。この人物のクラリオン家の継承は少々込み入っている。


 先代の当主は戦場での傷が原因で不能になり、子を成すことが出来なかった。

 このままクラリオン家が潰えることを惜しんだ先代当主は、老境に入る年齢になって年の離れた実妹の産んだフロリゼルを養子に迎え、婿を取らせることで後継ぎとしようと画策した。

 

 ところが、このフロリゼルが10歳で行われる『判定の儀』で『司令官レガトゥス』を引き当てたことから話が変わった。


 先代当主は、大喜びで姪のフロリゼルを正式な後継ぎとして当時の国王に申し出を行い、裁可を受けた。フロリゼルはそれまでの人生が急転し、裁縫や料理の手習いから、乗馬や武芸の鍛錬に切り替えられたのだった。


 以来二十数年、フロリゼルはクラリオン家が2代で創り上げた派閥と天職の恩恵に支えられ、軍の中枢を歩んできた。そして、今や、栄えある近衛隊の司令官という軍人なら誰もが憧れる要職を射止めたのである。


「何をしている! 早く倉庫へ行って遠征用の支給品を受け取ってこい! その後は、物資の搬出の手伝いだ、いいな!」


「はいっ!」


 莉紗は、思わず警察官がする敬礼の姿勢を取った。だが、それがいけなかった。


「なんだ、それは! 舐めているのか!」

「すいません! でも私、軍のことを何も知らなくて、私の知っている敬礼をしてみたんです……」


「知らないのなら、教えてやる。一回で覚えろ! わが軍の敬礼はこうやるんだ!」


 フロリゼルは、怒鳴りながらもイドリース王国軍の敬礼を教えてくれた。

 握りこぶしをつくった右手を水平に突き出し、スッと胸の前に引き寄せて構えるのだ。


 フロリゼルの敬礼は、莉紗から見ても実にカッコよく颯爽として見えた。


「覚えたか! では、やって見せろ!」

「はいっ!」


 莉紗は、見よう見まねでイドリース式の敬礼を行った。


「ふんっ、 まったくサマになっておらんな。まあいい、では、直ちに命令に従え!」

「はいっ!」


 今度は、もっとスムーズに体が動いた。

 司令部から退出し、軍の倉庫へ向かう莉紗の足取りは自分でも驚くほどに軽かった。


 莉紗には、何から何まで新鮮だった。



 

 ————————————————————————————————


 第4章を開始いたしました。次回は月曜日を予定しています。

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