第54話 激突(2)
テザから北西へ3セルマールほど行ったところに、岩場におおわれた深い峡谷がある。垂直に落ち込んだ谷底までは200マール程もあり、かつては底に小さな川が流れていたようだが、今は涸れている。
峡谷のこちら側の幅は狭く、背後の絶壁と前方の断崖の間は20マール程しかない。
峡谷の向こう側まで70マール程の幅があり、一本の吊り橋で結ばれてはいるが、普段はここを通る者も殆どなく、吊り橋の状態もとても頼りない。
いつ切れ落ちてもおかしくない状況なのだ。
吊り橋を渡る者には、断崖の底は、まるですべてを飲み込む奈落の王の口のように感じられるだろう。
このほとんど度胸試しのために存在するかのような場所に向けて、一人の人影が向かってくる。
やや遅れてもうもうと土煙を上げて、赤い走竜を先頭に異形の集団がこれを追いかける。
「いたぞ‼」
赤い走竜は乗り手の昂りによってさらに拍車をかけられ、速度を上げる。
追われる人影は、峡谷の崖に行く手を遮られ、吊り橋の手前で追い詰められた形になった。
両者の距離は15マールほどあり、崖を背にした人物に、赤い走竜はジリジリと間合いを詰める。
赤い走竜に跨るレリックはニヤリと勝ち誇った表情をした。
少し遅れて、峡谷に到着したシルバーシャーク以下の三獣士は、吊り橋の手前でこちらを伺う人物を凝視する。
外套のフードを目深く被り、マスクをしているので、三獣士からは、その容貌を見ることはできない。
「ついに見つけたぞファラリス! 顔を隠しても無駄なことよ、私から逃れることはできんぞ! さあ、大人しく、我がものとなるがよい! そうすれば、その罪を許してやる‼」
レリックの興奮した声が峡谷に響き渡る。
「はて、私に何の罪があるというのだ。参考までに聞かせてもらいものだ」
ファラリスはフードを脱ぎ、マスクを外した。
その声には侮蔑の響きがあった。
——‼ 三獣士や獣騎兵たちに電流が走ったような感覚が過った。
ファラリスの美貌に一瞬にして心を奪われたのだ。
すぐに視線は、嘗め回すようなねちっこさで、顔やその悩ましい肢体を何度も這い回り、自らの下半身を強く刺激する。
先ほど、女奴隷たちを抱けずに欲望を滾らせたままの獣騎兵たちにとって、ファラリスの姿は、オスの本能を刺激せずにはおかない、魔力的な魅力があった。
それは、レリックとて同じ、いや、レリックはファラリスに恋焦がれ、その魅惑の肢体を想像の中で何度も犯し、蹂躙してきた分、その粘着度は一際強かった。
「王子のこの私に望まれながら、その身を委ねず、逃げ回るとは不義不忠であろう! その罪は重大である。お前の故郷、テレムセンを焼き払ってもよいほどのな! それを許してやろうというのだ、私は寛大だからな。さあ、分かったなら、大人しくこちらへ来るのだ!」
レリックは、吊り橋の近くまで走竜を進ませると、ファラリスにむけて手招きする。
「なるほど、良い参考になった。噂にたがわぬ愚か者だな。せっかくのお誘いだが、もう一度ハッキリお断りする!」
「なんだと、この女!!」
レリックは、かつてテレムセンでファラリスにダンスの相手を求め、素気無く断られたことがあった。その時の屈辱がフラッシュバックし、一気に激高する。
ファラリスは、吊り橋に足を掛けると素早く渡り始め、一方、レリックは、それを追って走竜を吊り橋に突進させる。
「殿下、危ない‼」
ミンシオの大声で、レリックは走竜を吊り橋の直前で止めた。
「それ以上、進めば二人して谷底に落ちますぞ!」
ミンシオは、必死でレリックに自制を促す。
吊り橋に走竜の巨体を支えることはできない。一歩でも踏み入れれば、間違いなく吊り橋は切れ落ちることになる。
「それで逃げ切れると思うなよ! 者ども、走竜から降りて、ファラリスを捕まえろ!」
三獣士を除く獣騎兵たちは、レリックの命令で走竜から降り、ファラリスを追って吊り橋に向かう。
その時、それは起こった。
突然、数名の獣騎兵が崖下へ転落したのだ。
——は?
訳が分からないうちにさらに何人かの獣騎兵も、崖下へ転落していった。
「「「「「「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ~」」」」」」
恐ろしい断末魔の悲鳴が渓谷に木霊する。瞬く間に12名の獣騎兵がなすすべなく崖下へ転落していった。
岩陰に身を潜めていた黒い影が、背後から突風のような速度で迫ると、獣騎兵たちを次々に谷底に突き落としていったのだ。
吊り橋を渡るため、狭い崖の傍で密集したのがいけなかった。
そもそも、走竜から降りていなければ、簡単に崖下に突き落とされずに済んだのだ。
更に黒い影は速度を落とすことなく突き進み、後方にいた獣騎兵たちが、呆気に取られて態勢が整わぬうちに、次々に切り刻んでいく。
乗り捨てられた形の走竜が逃げ去るのが障害物となって、黒い影のレリックたちへの突進は食い止められた。
この死を呼ぶ『黒き一陣の風』がようやく凪いだ時、三獣士とレリックを除く獣騎兵は全滅していた。
「こ、こいつは何だ!? 何者なんだ! お、お前たち、こいつを殺せ!」
レリックは、困惑しつつも三獣士の背後に回り込み、身の安全をはかった。
状況は吊り橋を中ほどに挟んで黒頭巾と相対する形に変化していた。
黒頭巾を突破せねば、吊り橋の上のファラリスに近づくことができなくなったのだ。
「……謀られましたな殿下。この場所は我々を殺すための罠。あの女は、自ら囮となって、我らをこの場所に誘導したのです」
「お、おのれ、淫売女が! 絶対に許さん! 死ぬまで犯してやる」
「隊長、ここは一旦引くことを提案します。この場所では、我らの力は発揮できない」
罵詈雑言を吐きながらもまだファラリスに強い未練があるようすのレリックを尻目に、ミンシオは、シルバーシャークに撤退を要求する。
「なんだと! 許さん! そんなことはこの私が許さん!」
シルバーシャークが何か言う前に、レリックは、ミンシオの撤退要求を断固としてはねのける。
「……そうだ! よし。 ヴェンチアよ、あの黒頭巾を殺せば、ファラリスの味見をさせてやろう。性根の腐った女だが、あの体だ。男を喜ばすことは得意だろうからな」
「ヒャッホー!! いいね~! やっとやる気が出てきたぜ~! 王子様よ、二言はねぇな!」
「むろんだ、この私が最初をいただいてから、お前らにしばらく貸してやろう。気のすむまで楽しめばいいだろう」
「殿下! 何を言うのです。ヴェンチア、お前もここは引くのだ」
「ミンシオよ~、素直になれよ。テメェだって、あの女は欲しいだろがよ~。黒頭巾は俺がキッチリ殺してやる。で、今夜はあの女をひん剥いて、朝までヤリまくってやんよ!」
言い終わるのと同時にヴェンチアは背中の長剣を引き抜き、跨る走竜に拍車をかけ黒頭巾に向けてを突進させる。
スピードに乗った走竜の圧倒的な質量とヴェンチアの剛力が長剣に加えられ、必殺の一撃が振り下ろされる。
黒頭巾は、間一髪で相手の左側に避け、そのままヴェンチアの腕に逆撃を繰り出そうとした。
しかし、次の瞬間、走竜は左足で踏ん張って急旋回し、黒頭巾の逆撃を回避する。
更に大口を開け、その巨大な牙を突き立てようと噛みつく。
それをまたしてもギリギリで避けた黒頭巾に、ヴェンチアの避けられて空を切った長剣がⅤ字に方向を変えて斬り返される。
ズバン! という音を出して斬り返された長剣は、黒頭巾の腕を切り裂き、頭巾を吹き飛ばした。
「アステル‼」
吊り橋の上から、ファラリスの悲痛な叫びが辺りに木霊した。
——‼ 「なんだと!?」
ヴェンチアや他の三獣士、レリックにも、今日最大の衝撃が走った。
黒頭巾が吹き飛ばされると、女神とも表現すべき神々しさを放つ美貌が現れたからだ。
次の攻撃を避けるべく、後方へ宙返りして距離をとると、美しい白銀の髪が柔らかに揺れた。
■■■■■■■■
「うぐぅっ!」
灼けるような熱さを感じた後、気を失うほどの激痛が襲う。
アステルは、吊り橋の前まで跳躍して、ヴェンチアと距離を取る。
右手の肘か先は、ギリギリで繋がっているだけの状態で、ぶらぶらしていた。それを左手で押さえる。
淡いエメラルドグリーンの発光が傷口を覆い、傷口は徐々に元通りに回復する。
アステル以外のその場にいた全員が、目の前で起きる奇跡に目を奪われる。
「——!? 上級回復魔法……、いや、あれは完全回復魔法だ!」
ミンシオは、驚愕の色を浮かべて叫んだ。
——くそっ、やっぱり少しフラッとするな。俺の回復魔法は、傷の状況で魔力の消費が段違いだ。欠損しかけた腕を治すとなると、かなりの魔力を使うようだ。同じ程度のダメージならあと1回が限界だろう。2回目は、前回の時みたく気を失うかもしれん。
そうなれば少なくとも、ファラリスは奪い去られるだろう。
それはアステルにとって死を意味した。
——伊達に獣騎兵なんて、名乗ってねーな。あの走竜は厄介だぜ。
……ちょっとばかり、本気を出すしかないな。
アステルは、一気に加速し、ヴェンチアに突進する。
「——!? 早ぇ!」
ヴェンチアはその圧倒的なスピードに気圧されるが、長剣を横薙ぎの姿勢で構え、迎え撃つ。
走竜の右上から猛烈な剣速の横薙ぎが繰り出され、ビュッ! と短く空気を切り裂く音がほぼ同時におこる。
アステルは、それを躱し、またしても相手の右側から逆撃を繰り出そうとする。
「同じことよ!」
走竜は左足で踏ん張って急旋回し、逆撃を逸らす。
ヴェンチアの長剣も再びV字に斬り返される。
圧倒的な剣速が空気を切り裂く音をたて、アステルを切り裂いた!?
「何ィィィー!?」
次の瞬間、宙を舞ったのは長剣を握ったままのヴェンチアの両手だった。
確かにヴェンチアの剛剣はアステルを切り裂いた……ように見えた。
しかし、それは残像だった。
右側からの逆撃はフリだった。そこから一挙に加速して踏み込み、ヴェンチアの両腕に手刀を叩き込んだのだ。
『後の先をとった』 否 『カウンターのカウンター返し』とも言うべきものだった。
ヴェンチアは、走竜から転げ落ちると痛みでのた打ち回る。
「あぎゃぁぁああぁあぁ!! お、俺様の腕がぁぁー!」
ヴェンチアの悲鳴が峡谷に響き渡った。
「ヴェンチア!! き、きさま!やってくれたな!」
止めを刺そうとするアステルに向けて、ミンシオは氷刃を唱えて牽制する。
アステルに向け、氷の刃が散弾銃のように撒き散らされる。
アステルは、苦しむヴェンチアの背後に回り込むと、その体を氷刃の刃に向けて盾にした。
ズダダダダッ!! 「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ」
悲鳴と同時に、ヴェンチアは無数の氷の刃に貫かれる。
アステルは盾にしたヴェンチアの首を手刀で刎ね飛ばすと、更にヴェンチアの走竜の首も容赦なく切り落とす。
その場にいた全員が戦慄に包まれる。
圧倒的! 圧倒的な速度なのだ。
最後の、ミンシオの魔法を避けたことにしても、予め魔法の発動を知っていたかのような動きだった。
ミンシオはもちろん、後方のレリックにも、さすがに恐怖の顔が浮かぶ。
アステルは、ヴェンチアを手加減できない相手とみて全力を振るった。
走竜の首を刎ねたのも、背後を脅かされないための必要な措置だった。
だが、その冷徹さがこの場を震え上がらせ、レリックを逃げ腰にさせてしまったのだ。
——拙い、ちとやり過ぎたか。今、撤退なんかされたら、また振り出しだ。まだ計画の半ばなんだぜ。しかたない、気が進まんが、ちょっとアイツらを煽って撤退する気をなくしてやるか。
「あれ、王子様、まさか逃げるんですか? 愛しのファラリスは、すぐそこですよ。自分のモノにした後、部下に貸し与えるんじゃなかったんですか? あー、そうか!嘘だったんですね。さっきの方、俺と戦わせて、相打ちにでもしようって魂胆だったんですね。あちゃ~捨て駒にされたんですね」
「だ、だ黙れ!!——」「殿下、ここはお引きを!」
恐怖から一転、怒りに震えるレリックを、ミンシオが抑えようとする。が、
「あーあ、キミも逃げるんだ。そういえばキミ、大事な味方を撃ってしまって、恥ずかしくないの? いや、そうか! キミは最初から狙っていたんだね。どうも、さっきの方は問題児みたいだし、この際、キッチリ処分したんだね。いやー、そうか、そういうことか!」
「黙れ! 悪魔が! 必ず殺して仇を取ってやる!」
ミンシオもワナワナと震え両手に魔力を高め始める。
「………よせ、ミンシオ」
これまで終始無言で戦況を見つめてきたシルバーシャークが、猛り狂う二人に冷静な声でいう。
「隊長、ここまでコケにされて引き下がれば、我らの名声は地に墜ちます!」
「そうだ、シルバーシャーク、何としてもあの悪魔を討ち、ファラリスをわが手にするのだ。そのための貴様ら獣騎兵だ」
「………我は、撤退するとは言っておらん。バラバラで戦うことを止めたのだ。あの銀髪の悪魔は、我ら全員で戦わねばならぬ相手よ」
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