190 心が紡ぐ詩
真幸side
「はぁ、顔が熱い。手のひらが真っ赤だ」
「うむ……熱によって毛細血管が開いているのじゃ。件の勾玉を飲んでもすぐには作用せぬな」
「そうなの?こんなの初めてだな」
「〝預言の声〟は大いなる力……神にもなかなか持ち得ないのじゃよ。それを持つ件は死んでしまうのが常だった……しばらくは熱が下がらぬな。ワシは其方の役に立てないようじゃの。すまぬ」
「そんなの、魚彦のせいじゃないだろ」
「それでも、其方が苦しむ姿は見とうない。声が聞けるようになったのはとても良いがのう。ワシは、大切な真幸をいつも安らけくしてやるのが使命なのじゃから悔しい。
わかってくれるじゃろう?」
「……うん」
ぼやける視界の中で久しぶりに姿を現した魚彦に手を伸ばす。自重に負けてろくに動かない手のひらは、魚彦にそっと包まれた。
俺は件との与賞契約をして、その声を借りたことで発熱し、お布団で横になっている。
今までの契約で熱だけ出たことは無かったな。しかも、霊力も神力もすっからかんにはならず全く消費されてないんだ。
ククノチさんとの契約時は多少減ったはずなんだが……原理がわからない。
原理といえば、熱自体もなぜ出てるのかがわからん。件の声は俺の体に直接作用しているから、生体防衛反応でも出たか?とりあえず暫くは体調不良に悩まされそうな感じだ。
件が一生懸命俺の喉を摩ってくれているのを感じる。あまりにも真剣な顔が可愛くて、俺はにやけてしまう。
借りた声の音自体は以前の俺と変わらないはずだが、余韻に揺らぎが出ている。これがなくなれば預言の声が体に馴染んだと言うことになるだろう。
本当にこれで良かったのかも、わからない。俺はただ、累と件をなくしたくなかっただけなんだ。
そういえば、また装飾品が増えたな。赤黒は相変わらず左耳に金色ピアスとしてぶら下がってるけど、最初と違って軽量型になった。細い札状の四角いプレートはい、つのまにかまっすぐな円柱に変化した。『楊枝みたいな形だ』と言ったら颯人が微妙な顔してたけど……そっくりだと思う。
ようやく見つけた累はいつもの真白毛玉で胸元にいるし、件は首に巻き付いた組紐チョーカーになっている。
平将門さんにもらった手首の神ゴムは相変わらずキラキラしてるけど、これも赤黒のピアスと同じく細くなった。……進化すると細くなるのか?
組紐のチョーカーは黒一色で充電器の線くらいの細さ。先端は房状になっていて、両端に小指の先ほどの金色鈴がついている。
リボン状に結ばれてるんだが……ちょっと動くとチリチリ音がする。首輪をつけたニャンコみたいだ。
颯人だけは喜んでたな。『これでもう見失わずに済む』って。
お揃いの水晶かんざしに、神器の指輪に……こんなにたくさんのものを身につけるようになったのは不思議な気持ちだ。
颯人とお揃いの指輪だけは、少しすれば本物になる。……これは細くなってほしくないな。存在感が薄れるのは嫌なんだ。
「真幸や、また颯人のことを考えておるじゃろう?ワシにも少し眼差しをくれぬか」
切ない声色で尋ねられて、慌てて頭の中に浮かんだ颯人を追いやる。
魚彦はお布団の横に座って、手を握ったまま俺をじっと見つめていた。優しい微笑みを浮かべているけど、目が少し潤んでる。
そうだよな、ここは俺たちの部屋だし。気を張ることもない。ようやく再会できたんだからちょっとだけ、いいかな。
「ごめんな、寂しい思いさせて。……魚彦に会いたかったよ」
「んむ……ワシもじゃ。魂が共にあったとして、お前さんの顔を見れぬのは堪えるのう。恋しくて仕方なかったわい」
「ふふ……それも俺と一緒だな。なぁ、みんなもくっついてくれよ。寒くて凍えそうなんだ」
甘えた声を出すと、みんなが集まって手を差し伸べて……俺のほっぺをかわるがわる撫でてくれる。時々体の不死から生まれる寒気や震えを暖かい手が抑えてくれて、ホッとした。
「真幸はまだ熱が上がるのか?どうにかならねぇのかな。首まで赤くなって……俺の手はあっちいから冷えねぇよな?氷で冷やすか?」
「冷やすでない。少しでも楽になるよう摩ってあたためるのじゃ。熱が上がる時に肉が震えて寒くなり、節が痛むのじゃ……真幸が儂に出会った時と同じにしてやればよい」
「そ、そうか……わかった。真幸……大丈夫か?」
「暉人はそんな心配しなくていいの。病気じゃないんだから。……ククノチさんもずっと閉じ込められてたから、どこにもいけなくて退屈だったよね。ごめんな」
「主人が大変な時に退屈などと思うものか。しばらく見ぬうちに愛らしい顔をするようになったものじゃ……恋の力かのう?これでようやく颯人に伝えられるな、其方の心を」
ククノチさんに言われた途端、心臓がドクリと音を立てる。
今、颯人と天照、陽向は高天原で俺の熱を下げる薬材を探してくれている。珍しい薬草ばかりだから少し時間がかかるだろう。まあ、その……そう言うことは体調が戻ってからにするとして。今のうちに色々済ませておかないとだ。でも、少し気になるな。
「あのさ、ククノチさんから見て前と違う顔に見えるのか?」
「あぁ。なんと言うか……こう、うーむ」
「色気が増したぜ。俺がつまみ食いしたくなる位いい女だ」
「暉人!これっ!お前はどうしてそうあけすけなのじゃ……」
「本当の事なんだから仕方ねえだろ?じーさんだって顔赤くしてたじゃねぇか」
「くっ……それについては黙秘させていただこう」
「オイラもドギマギするなァ。元々雰囲気ってのがあったが、それが増したんじゃないのかァ?颯人も気づいてるだろうが、突っ込めないだけだろォ?なァ、ヤト」
「わふ……真幸が食われちまう。その気配はしまった方がイイ。とても危険ダ」
「な……何言ってんの!?食われるってなんだよ!?俺は別に何かを狙って色気を出そうとしてるわけじゃないんですけど!しまうって言ったって、どうやるんだ?ヤトはやり方知ってる?」
「わふん……しらんナ」
「そもそも色気とは、しまえるもんなのかァ?オイラは無理だと思うがなァ」
「ラキの言う通り無理じゃ。これは勝手に周りが感じるもので、本人にどうこう出来るものではない。ワシらが戻ったのじゃから、守ってやればよい」
「だけどよぉ、魚彦。真幸はそれでもいいんじゃねーの?熱っぽい目で大将を見てたんだから、いつでもバッチ来いだよな?俺が誘い方教えてやろうか?」
「「「暉人!!」」」
「な、なんだよ!じーさんだけじゃなく魚彦も真幸も怒るなっての」
「怒ってないけど!そう言うのは……もうちょっと時間が欲しいです。
とりあえず熱に乗じてお説教を済ませなきゃだ。暉人、対象を連行してきてくれるか?」
「おう。誰からだ?」
………………さてな、誰からにしよう。累の件に関しては既に解決したから白石には意識を変えてもらうようにしなきゃ。今回の事で俺は本気で怒ってるんだぞ。
富士山以降の清音さんの依代具合も確認が必要だから、二人は最後のハッピーセットにしよう。
――となれば。
「まずは伏見さんからだな」
「いきなり本命に行くんだな」
「うん、全部把握してるだろうなー、とは思う。ただ……次は鬼一さんの担当事件だろ?本当に嫌な予感がしてるから、他のメンツよりも優先して話すべきだろう」
「そうじゃのう。あ奴に聞くのが一番じゃろうて。全てをそこで聞けば良い。時間短縮して早う真幸に休んでもらうしかない……はぁ」
「ごめんて。そんなに長引かせないようにするからさ」
魚彦のため息を皮切りに、眷属たちはみんな心配そうな顔になってしまった。俺は相変わらず心配かけてばっかりだな……本当にごめんよ。
暉人はしょんぼりしたまま部屋から出ていき、俺はククノチさんと魚彦に支えられて布団の上に起き上がる。
「よっこいせっと、ありがとな。鬼一さんが次の事件に呼ばれてソワソワし出す前に一度現状を度整理しておこう。気になることが山ほどあるんだ」
「ワシもじゃ。……終わったら休むのじゃな?」
「うん。魚彦、今日は一緒に寝る?」
「何を言っておる。其方は颯人に早う気持ちを伝えて仕舞え。そして布団に入れば万事解決となるじゃろう」
「…………それはそれでちょっと困るけど、嬉し……!!」
慌てて口を押さえるが、神様たちはみんな生暖かい笑顔になってしまう。
自分の口から出てくる声は、僅かに上擦ってあからさまな感情を現している。件に借りた声は、嘘は言えないし勝手に感情が乗ってしまうんだ。
今後は以前よりもずっと、頭を働かせないとダメだ。最新の注意をもって喋らないといけない。
決意を新たにして胸のうるさい鼓動を抑え込むと、軽やかな足音が聞こえてくる。身のうちに宿った精霊たちが『伏見だよ』と囁いた。
やがてドアを開けた伏見さんは青い顔をして、慌てて部屋に上がってくる。
「ちょっ……なぜ起きてるんですか!預言の声を使うようになったのですよ!?体が悲鳴をあげているでしょう!」
「……うん、そうだな。正直熱でぼーっとしてる。でもこの具合の悪さで伏見さんは俺の言葉をちゃんと聞いてくれるはずだ。今までもそうだったから」
「は……ぁ、あの」
「件の声は勝手に感情を乗せてしまうんだ。嘘も言えない。……怖い声でも我慢してくれ。俺はこれから全部を聞かせてもらうからな」
「ハイ」
苦笑いで伝えても、怒りの感情を乗せてしまったからには誤魔化せない。前よりももっと厄介になってしまった自分にため息を落とし、俺はメモを片手に伏見さんのしょんぼりした顔を見つめた。
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「富士本宮、廃寺で捕まえた龍については問題なく清音さんを依代と定めました」
「俺の担当龍?は摩那斯だと聞いた。なんか納得いかないけど」
「そうですか?ぴったりでしょう。黒龍というのがまたよろしいですよ、黒の色は他の龍とは次元が違う強さです。
清音さんが依代となった瞬間の消耗も一番激しかったですが、富士の清水が輔けました」
「水が……?そうか、富士霊水って言うし富士山が助けてくれたようなもんだな。そういえば、真神陰陽寮の神水を納めくれている水源地はどうなった?」
「全て復活を遂げています。さらに魔法陣を清音さんが書き換えた事で、以降数千年に渡る守護を得ました。富士周辺は磐石でしょう」
「そりゃ良かったよ。白石とは……んむ。何でもない」
「いいんですよ?今話を聞いてるのは口の堅い僕ですから、好き放題喋ってください」
「……くそぉ、自分の意思を誤魔化せなくなったのが本当にキツイな」
「ほほぉ、それは最高ですね」
伏見さんの笑顔を見てるとイラッとするんだが。いや、そんな事考えてたらアリスの『繁殖ターゲット』になった事までぺろっと喋りそうで怖い。
妃菜と星野さんには『喋るな』と何度も念を押されたからしっかりしなきゃ……早く確認を終わらせよう。
「白石と清音さんは仲良くできてるのか?絵島で神力を月読に分けてたから、なんか勘付かれたりしてないかな」
「清音さんも成長されていますから、口にしてはならないとご理解されていますよ。
清音さんがどこまで何を思い出したか、今後は聞かぬ方がよろしいでしょう。現在龍を五柱と八房も宿しているのですから、霊力も十分育って危険もありません」
「なるほど……自分でそのあたりは見極めてもらうしかないか。要観察だね。
えっと、次は……アリスの龍はなんだった?」
「純白の優鉢羅でした。龍神としての大意は麗しい目、純粋に見る、精錬潔癖、優美です。
里見八犬伝の宝玉は『信』。犬飼現八信道の珠ですね」
「安房州崎で、漁師の子として生まれた人だな。確か捕物名人だったはず……」
「えぇ、その通りです。アリスは悪霊堕ちした怨霊たちや堕ち神のなれ果てを捉え、吸収して浄化していましたから……こちらも違和感ありません。
彼女は素晴らしい成長を遂げましたね、僕もとても嬉しいです」
「じゃあアリスは問題なしだな。後でゆっくり話をしたいけど……あ!今回捕まえたおさん狐はどうしてるの?」
「はい、あれはどうやら太古の昔、うちの大社に位を求めたおさん狐のようです。そのような話を直前に浄真殿としていましたが……今回は真神陰陽寮に連行せず浄真殿の預かりで、山寺行きとなりました」
「えっ?な、なんで?」
「おさん狐の子が閉じ込められていた呪具があるそうで。アリスの祓いで清められて正気に戻っていましたから、今頃再会を果たしているでしょう」
そう言うこともあるのか……おさん狐と言うのは中国地方に伝わる妖怪の話なんだけど。『この女狐め!』という言葉で使われる『女狐』の語源となる。
争い事が好きで、喧嘩を好むらしく妻帯者を誑かしては悪さをすることで有名なんだ。とんち話でも人を騙して殺してしまう位には悪性を持っていた。
だが一方で、伏見さんちに『階位』を求めるほど利他行を施す慈愛に溢れた賢いとも聞いている。
もしかしたら、あのおさん狐は神様にも近いのかも知れんな。
「じゃあ狐さんは放っておいても良いか……念の為真さんに伝えて、定時連絡できるようにしとく?」
「いいえ、あれは真神陰陽寮と浄真殿に任せます。芦屋さんは忘れてください」
「むぅ……何でだよぉ。真さんが心配だろ」
「浄真殿への心配は必要ありませんよ。……少し横になりませんか、瞳に揺らぎが見えます。他の者たちへは僕が引き継ぎますから、ここで全部終わらせましょう」
「……ん、そうするしかないか」
「はい、そうするしかありません。あなたがこんなに力を蓄えているのにフラフラしているなんて未経験なんですから、手加減してください」
「わかったよ」
伏見さんが掛け布団を持ち上げて、魚彦とククノチさんが横に寝かせてくれる。瞼を下ろすと、ぐるりと世界が回るような眩暈がした。
熱がだいぶ上がっているようで、体がだるい。
「清音さんとアリスも寝込んでる?依代になったのもそうだけど、アリスの共鳴の熱が……」
「えぇ、アリスは熱をもろともせず鬼一と働いてますよ。寝かせるのは無理なので諦めました」
「タフだなぁ…」
「清音さんはと言うと、どうやら霊力値が上がっているから自身で熱を操作しているようです。事件が終わってから熱を解放したのでしょうが、やはり末恐ろしい方ですね」
「あは、そっか。心配しなくても大丈夫そうだね……じゃあ次は、この後の事件について、伏見さんの予測を聞きたいんだけど」
「…………」
「伏見さんが完璧に予測を立てたってわかってる。残りの宝玉も、龍も三つだから占うのは簡単だ。これは俺との答え合わせだよ。
鬼一さんの話は、颯人が戻ってからにしよう」
「はい」
目を伏せた伏見さんは胸元から印字された紙を取り出し、俺の目の前に掲げる。指差しながら説明してくれるようだ。俺が言うだろうと完璧に予測していた伏見さんは、どこまで行っても伏見さんだな。
今後の事件予測は以下の通り。
鬼一さんの事件は――該当予測の龍神が跋難陀、龍の大意は《共に戦う・協調・支える》。
珠は『義』で犬士は犬川壮助義任。彼は戦で心の傷を負っている設定だ。その部分が鬼一さんの親友を亡くした過去と重なるだろう。
清音さんの事件の龍神は阿那娑達多、大意は《清涼・徳が高い・人を潤す正しい判断・大局からみた結論・宇宙の法に則った結論》珠は孝。犬士は大塚信乃成考。
彼は里見八犬伝では第二期あたりの主人公だったし、男だけど女の子として育てられてたらしい。逆に清音さんは男の子として受けるはずの武家の教育を受けてきたから、逆該当でこれにあたると予測される。
逆該当と言うのは表裏一体の原理でよく言われるが……無理矢理感は否めない。でも、残りの選択肢としてはこれ以外ないだろうなとも思う。
白石は龍が徳叉迦、大意は《大多舌・毒視・怒りで命がつきる・自己再生・新しい始まり・急変・突発》。
悌の珠で犬士は犬田小文吾悌順。悌は文字にある通り兄弟、家族の絆などを主に示す文字だ。
弟がいるのは白石だけだし、小文吾は『義侠の殺し』をした人だ。スクープを撮ることで腐った政財界の人間を……そうしようとは思っていなくても、死に追いやった彼に当て嵌まるだろう。
「こうしてみると、珠と犬士は連動してるな。やや苦しいけど龍の大意も合ってるし」
「はい。芦屋さんはピッタリですね。毛野は犬士一の美貌の持ち主で『旦開野』と名乗っていました。元旦にも使われるように『旦に開く』の意味です。関東大戦では軍師を務めた知略家ですし」
「はぁ……伏見さんは本当に褒め上手だな。まぁそれは置いといて。確かに清音さんと言う、新しい時代の担い手を開いたのは俺だった」
「ほう。里見家に何か手を出しましたか?」
「そうだね、計画したことではなかったけど。本当に偶然お世話になって、偶然魚彦の本を里見家に忘れて、祝福を残しただけだったが……陽向の子孫がそこに引き寄せられたんだ」
「八犬伝では信乃の親が伏姫と言う女神から犬士の珠を授かって、それを取りこぼしたのがその章の始まりでしたね」
「そう、それも同じだな。女神の加護を持った珠がうっかりさんの紡いだ運命によって各地に散らばり、この世を支える〝龍の依代〟に仕立て上げ……俺たち陰陽師異端者の血を、全て持つ主人公を仕立て上げてしまった。
もう間違いないな、俺の占い結果も伏見さんの立てた予測と同じだ」
「清音さんについても占ったのですね」
「あぁ、そうだよ。彼女は俺の全てを継ぐ人だ」
「…………そう、ですか」
「ねぇ、伏見さんはどう思う?俺たちはいつからこのレールに乗せられていたんだろう。どこから大いなる意志の……不文律を犯したゆえに生まれた修正力の思うがままだったんだろう」
「僕たちは、あなたは……精一杯抗ってやるべき善をして来ました。そして、アリスの事件で逆襲の一手は打てたはずです」
「それも計算だったら?俺は結局預言の声を持ち得てしまっただろ」
伏見さんが俺の手を握ってくる。冷たくなった手のひらは、汗を滲ませている た。
「必ずあなたの意思に沿うように致します。哀しい思いなどさせません」
「俺は俺自身の意思が正直わからないままだ。それでも、そうしてくれるの?」
「はい。命をかけて誓います」
「……伏見さんは違うことにも命をかけてるよな?まだ賭ける気なの?」
顔色を変えない彼は、もう一度頷く。 やはりか……鬼一さんの事で全員が『誓い』を立てたんだ。こんなのもう、彼が狙われるのが〝心臓〟だと言っているようなものじゃないか。
胸の痛みと共に、頭まで痛みが引き出される。眩暈がひどくて、目を閉じていても世界はぐるぐる回っているような気がした。
あー、腹が立つなぁ……。誰かがこんな事やらせてるなら、もっと楽にしてくれよ。どうして毎回こんなに苦しまなきゃならんのだ。流石に良い加減にして欲しいぞ。
自分が苦しいのは何とも思わないけど、仲間が胸を痛めるだろ。俺はそれが一番苦しい。大切な人たちの笑顔を曇らせるのが嫌なんだよ。
今回はみんなの体の一部を奪って……鬼一さんは心臓を狙われてる。命のエンジンである心臓をとったら、神様だって死んじゃうんだよ。
清音さんに全て継がせるなら、もっと誰も悲しまないやり方があるだろ。
幸せになろうとしている俺への罰なのか何なのか知らんが、絶対に抗ってやるからな……。言うことなんか聞いてやらない。
俺が何よりも大切な身の回りの人を巻き込んだなら、屈する理由がない。
いつの間にか唇を無意識に噛み締めていたようで、血の味が滲む。魚彦の指がそっと触れて、その傷をあっという間に治してしまった。
魚彦にはいつもこんな役回りばかりさせているけど、これは彼にしかできない事だから甘えさせてもらおう。
「芦屋さん、もう休みましょう。顔色が良くありません」
「もう少しだけ話したい。俺は……もう嫌なんだ。鬼一さんもとても大切な人だよ。俺の身の回りに残した人たちは、残ってくれた人たちは誰もいなくなってほしくない」
「……はい」
「颯人にだって、どこにも行かないで欲しかった。今は取り戻したとしても、一度なくした事だけはずうっと心の中に傷を残している。颯人自身にもそれは治せない……傷口の上から一生懸命愛情で保護してくれてるけどね」
「はい」
「わかってるだろ、伏見さん。簡単に命をかけないでくれ。俺は伏見さんを失うのだって、無理なんだよ」
「…………はい。申し訳ありません」
俺の手を両手で握り、甲に額を当てた伏見さんは細い目をさらに細くして静かにつぶやく。
「今までのお説教の中で、一番心に沁みました」
「そりゃ良かったよ、珍しいね」
「あなたの言葉は全部染みてますよ。ただ、僕もそこは、無傷ではありません。あなたにいただくものはとても鋭くて、熱くて、優しいものですから」
「うん……」
「謝らないでくださいね、僕はこの傷が愛おしいんです。他には持たせません」
「くっさ……いつからそんなこと言うようになったのさ。妃菜もキザだって言ってたぞ」
「さて、誰のせいでしょう?人は唯一無二を知れたら、詩人になる。胸の奥から溢れ出る音は、口が勝手に紡ぎ出すんです。受け取っていただかなくても構いやしません」
「本当にクサイ……伏見さんがおかしくなっちゃった」
「ふふふ……」
頬を撫でる彼の冷たさが気持ちいい。俺は重たい瞼を開けて、伏見さんの顔を見つめた。
あと……何を聞けばいいんだったか。えぇと、ええと……。
「道満・晴明と妖狐の誓で出来たのが累さんです」
「あっ……それ聞こうと思ってた。また俺の頭の中覗いたな?」
「顔に書いてあったんです」
「何だよ……ちぇっ。じゃあ累は本当に俺の妹だったのか。すっごく嬉しい。どうりで可愛くて仕方ないはずだ」
「ふ……それから、月読殿は無事です。あとは、あなたの眷属が姿を表せなかった意味も突き止めています。
いまいち納得できてない『大いなる意志』もしくは『不文律』については熱が下がってからお話ししましょう」
「すごいなぁ、さすが伏見さんだ。
……これからもずっと頼りにしてる。鬼一さんのことは、言葉にできないだろうからさ。もう少し頭の回転が戻ってから話そうね」
「はい。鬼一に何か言いたいのなら、僕が代わります。芦屋さんはもう限界ですよ……休んでください」
伏見さんの声がだんだんぼやけて、エコーがかかったように響きだす。
あー、こりゃ睡眠の術をかけられたな……熱が出てて無防備すぎたし、疲労困憊な俺には効果覿面だろうな。
結局してやられてしまった。
「ちゃんと……起こしてくれる?」
「えぇ、お約束します」
「信用ならない……約束だな……」
完全に睡魔にやられる一瞬前に、優しい優しい声が聞こえる。
「僕の約束は、あなたにとって良いものは破られません。あなたが望むままの世界にして見せますから……僕の全てをかけて」
そこからはもう、ぷつりと糸が切れたように真っ暗闇に包まれて、ただただ暖かいそこで丸くなり、休むしかなくなってしまった。