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189 新たな契約


鬼一side


「では失せ物を探しに行く。留守居の者達は家から出るでないぞ、これ以上真幸の逆鱗に触れたくなければ」


「……ハイ。一同お帰りをお待ちしております」

「伏見は首も洗っておくがよい。……鬼一、清音、白石を供に申しつける」


「「「ハイ」」」



 苦笑いを浮かべた颯人様は、俺たちに背を向けた真幸の肩に手を添える。今日はスーツ姿ではなく友人の遺した巫女服、颯人様は出会った頃によく着ていた黒の着物だ。鈴村曰くあれは『初期装備』らしい。

 

 繊細な刺繍が入った黒の着物は颯人様の正装なのかもしれん。気合い十分で漂わせている神気は、傍にいると総毛立つほどに強い気配だ。


 テーブルについたままの仲間達は浮かない顔で玄関から出る俺たちを見守っている。伏見だけが不満げな顔をしてるが、後で散々怒られるんだぞ……知らんからな。



 


「――」

「応」


 真幸と颯人様が手を繋ぎ、颯人様は俺に手を差し伸べてくる。大きな手のひらにお供の三人は手を重ねた。


 瞼を閉じるとすぐに転移が始まる。真幸の転移術がいかに優しいのか、久しぶりに思い知ることとなった。強すぎる神力に脳みそが揺られて、三半規管が悲鳴をあげている。

 

 いくら強くなっても颯人様の術には太刀打ちできねぇな……。目眩と共に瞼を上げると、優しい月明かりが俺たちを包んでいた。

喉まで競り上がったものを気合いで飲み下し、小さな嘆息を落とす。相変わらず清音はケロッとしてるが、白石も眉根を寄せていた。……やっぱキツイよな?




「真幸、そろそろ目を合わせてやれぬのか?清音が泣きそうだぞ」

 

「――」

「ん?」

 

「――――」

「ふ……あぁ、そうだな。白石が口止めをしたのだから。清音には怒りを向けたくないそうだ。落ち着くまでしばし待ってやってやれ」

 

「は、はい」



 夜の黒に染まった港を歩き、街灯のない道を真幸は迷いなく進んでいく。白石は俯き、清音はあわあわしている。

俺はどうしたらいいんだ。



 

 真幸の背中は散々見てきたが、今回は気配が薄くて何を思っているのかわからん。颯人様がさっき言っていた通り、強力な結界を張っている影響だろう。

 振り向いてくれないから唇の動きも読めないし。いいよな、颯人様は声が聞こえるんだから。俺もしばらく聞いてないが、柔らかくて優しい声で名前を呼ばれたい。

 死ぬ前に、それが叶えばいいとさえ思うほどに恋しい音だ。




『ごめんな、俺が怒る資格なんかないのはわかってる。全部気づかなかった自分の責任だ』

「ま、真幸さん……違うんです。白石さんは」

 

『わかってるよ、俺のためだって。でも、この前〝こう言う事は二度とするな〟って言った。それを白石に無視されたんだから、今回は簡単に許す気はない。俺自身も、白石もだ』

 

「…………」




 翻訳している颯人様は真幸の背中を撫でているが、怒りが全然鎮まる気配がないセリフだな。白石がしょんぼりしちまってるが慰めても仕方ねぇし、それは俺の役じゃないだろう。

 奴の着物の袖をつい、と摘んだ清音が気遣わしそうに目線を漂わせると白石の顔に苦笑いが浮かぶ。

 

 2人の間に交わされるあたたかな眼差しに、俺はさらに生暖かい目線を送るしかなくなった。




「どこ行くんだ?ここは……淡路島だよな」

『うん、絵島に行く』

「絵島、おのころ島とも言われてるな。日本発祥の地ってやつか」

 

『そうだね。卜占では〝失せ物は清き水が流れ着く地、それが留まり揺蕩う……国の始まりに在り〟って出たんだ。それから、必要な道具は天沼矛(あめのぬぼこ)だって。俺が読みで惑わされた〝源流〟は〝原初〟の間違えだったな』

 

「ほぉ……そういやイザナギ・イザナミ二柱に矛を渡されてたな?出雲で」

『拒否権がなかったから仕方ないの。あれは俺の神社に結局象徴として飾られてるよ。嫌だって言ったのに、伏見さんと真子さんが反対意見を全部ねじ伏せたせいでね』


 

 

「クニツクリの神が渡したいと言うなら、受け取るべきだろ?」

 

『はぁ……鬼一さんまでそんなこと言わないで。

 あれは保護すべき文化財だろ。俺の象徴にしてどうするんだよ。俺はクニツクリに関わっていないのに』

「それこそ象徴なんじゃねぇか?お前に後を任せる、って。今の平和を作ったのはお前さんだろ」


『任せるなっての……後であの二柱にも話を聞かなきゃなんだ『もしかして、常世に行くのか』って。そのために矛を渡した可能性があると気づいた』

 

「そういえば最近見てねぇな」

 

『うん。颯人があんまり来るなって言ったのもあるけどね、俺は二柱が常世に行く準備をしてるんじゃないかと思ってる。最近、身の回りのものを整理したい欲求に駆られる事が多いんだ。――誰かさんみたいに』

 

「…………そうか」


 

 

 今度はこっちに矢が向けられたぞ。俺は真幸相手には下手に取り繕えないから、口を噤む。静かになった俺を振り返り、小さな背中はため息を吐いた。


〝失せ物は清き水が流れ着く地、それが留まり揺蕩う国の始まりに在り〟か。それで絵島に辿り着いたのはすげえな。

 

 

 絵島は淡路島の北東に在し、岩屋港という港に囲まれている。橋があるから簡単に徒歩で渡れるが……今、目の前には『立ち入り禁止』の看板が掲げられた黒い鉄柵が行手を阻んでいた。

 

 全土が淡路島の一部だったが、波や風によって切り離された。

この島自体は砂岩でできた岩礁で、3500万年前に堆積した灰と緋色の地層が見える。名勝地に指定された後立ち入り禁止となって、保護されてるんだ。柔らかい島だから風化しやすいらしい。

 

 歴史的にも愛されていた場所で『月の名所』として平家物語にも記され、古事記の最初の翻訳本を作った本居宣長(もとおりのりなが)の書にはここが『おのころ島』だと書かれていた。



 

 淡路島本体とは地層が根本的に違うらしいが、地学者でもなければわからん。

 イザナギ・イザナミが日本という国を産んだ最初の地、おのころ島。そこに失せ物がある。……俺はその失せ物が何なのか、思い出そうとしても小さい毛玉しか頭に浮かんでこない。

 そいつにあまり関わっていなかったのか、それともかけられた記憶操作術が強すぎるのか。


 白石も清音から話を聞いて術が解けたらしいが、同じ話を聞いても俺には記憶が戻らなかった。

 真幸はもう、思い出しているようだ……チラッと見えた横顔は悲しみの色が強く見える。



『ここからは隠り世に行くよ。颯人』

「応」


 颯人様の懐からにゅっと赤い棒が現れる。それを手繰り寄せて引っ張り出すと、やたら長い矛が現れた。

出雲で真幸に継承された天沼矛は、月光を反射して白銀の輝きを纏う。




「矛先ではなく、根本の石突(いしづき)に力を込めるのだ。精霊を喚ぼう」

「――――」


 両手で持った長い矛を颯人様に預け、真幸は髪を解いて風に遊ばせる。流れる黒絹の糸は闇に広がり、ほのかに星影を宿している。

 簪を手にし、そこに口付けて……石突を突くとそこから鈴の音が〝シャン〟と鳴る。


 髪を飾っていた星たちはカラフルな色を宿して石突に吸い込まれ、周囲に再び闇の帷が落ちた。


 



「魔法使いみたいです……」

「こりゃ陰陽術じゃねぇな」


「ふ、面白いだろう?これは真幸と精霊の契約によって成された新しい術だ。

 西洋の魔法に近いやも知れぬ。精霊の力を分けてもらい、本神の力を引き出している」

「……本当に魔法かもしれませんね、それは」



 真幸は髪を耳にかけて苦笑いし、矛の根でトン、と地面を叩く。そこから広がっていく透明な気配に体が包まれ、ふわりと(ほど)けた。

 思わず目を瞑り、そして開くと足元一面が海に変わっている。夜に訪れたはずが青い空には陽が登り、春の風が吹いて暖かい。


 

 呆然としながら柵のなくなった島へと歩をすすめ、砂岩の柔らかい地面を踏みながら歩く。

 

 ……タイムスリップでもしたのか、これは。

港がないからおそらくそうだろうとは思うが、明らかに島の大きさが違う。テトラポッドとコンクリートの防波堤に囲まれていたそこは、大半が陸地になっている。



 

 そのまま歩き続けて島のてっぺんにある社に頭を下げ、さらに奥に進むと浜辺が現れた。三日月型に湾が形作られて、明石海峡と鳴門海峡に挟まれることによって生まれる荒波を防ぎ、わずかな風に揺蕩う海水がキラキラと陽光を返して輝いている。


 水は恐ろしいほどに透き通り、海の中が丸見えだ。砂岩の灰色と緋色が美しいマーブル模様を作り上げ、静謐な清庭となっている。




「あれは……月の兄か」

「――――――!!」



 颯人様が駆け出し、真幸がその後を追う。三日月湾の弓張、頂点部分に誰かが倒れている。


「クソ……月読!」

「えっ」

「行くぞ、清音」

「はひっ!」

 

 白石と清音までが走り出し、俺も後を追う。

体の半分までを海水に浸し、白銀の髪を砂浜に広げた彼は確かに月読殿だった。




「兄上、ご無事か」

「……あぁ、颯人だぁ。真幸くんも来たの?ごめんね、見つけたまでは良かったんだけど、閉じ込められちゃったんだ」

 

「――――」

「ううん、平気だよ。きっとここに来てくれると思って力を温存していただけ。心配しないで」

「――……」



 颯人様に体を起こされて、月読殿は青い顔のままで微かに微笑む。彼の頬に触れた真幸は眉を顰めていた。


「月読……」

「直人、遅かったね」

「すまん」

 

「いいよ。少し神力を分けてくれる?……真幸くん。〝(かさね)ちゃん〟は海の中だよ。迎えに行ってあげて」




 『累』という名前を聞き、頭の中に記憶が蘇る。……俺の記憶は合っていたようだ。

 いつも毛玉姿で真幸の胸元にいて、蘆屋道満と安倍晴明、妖狐の子供である累。千葉の香取神宮で出会ったと言う少女。

 

 その身に十二天将を宿した人神だけの守護精霊だ。


「ゆこう、真幸」

「――」

「あぁ、わかっている。無茶はせぬ……鬼一、ここを任せるぞ」

「は、はい!」



 

 月読殿の支えを代わり、白石が彼の胸に手を当てて神力を補充し始めた。清音は微妙な顔してるな……そうだよな、コイツらはまだアリスを依代としたマガツヒノカミの片割れって肩書きだ。

 まぁ……どうにか誤魔化せる範囲だろう。


 俺は砂浜に木の楔を打ち込み、簡易的な結界を張る。気配隠しの術だ。



 砂浜に立つ二人はそのまま海の中へ進んでいく。水の抵抗を受けずにするすると歩み、やがて頭の先まで浸かってその姿を消した。




「…………だ、大丈夫なんですか?」

「あぁ、問題ねぇよ。颯人さんは海の神もやってんだから」

「そういえばそうでしたね……」


「俺たちはついていけねぇ。海の上を歩く術だって、出来るようになるまで時間がかかったんだ。……帰りを待とう」

「はい」




 波の音と、風が緩やかに靡いて空中で絡まる音……そして、月読殿の荒い息だけが場を支配していた。



 ━━━━━━

 

累side


 ――あぁ……もう、見つかっててしまった。


 私は小さく心の中でつぶやいて、大好きで大好きでたまらないあの人の顔を思い浮かべる。海水に触れた瞬間、すぐに誰が来たか分かった。

 

 叫び出したいほどに恋しい、私に無償の愛をくれた人。


 冷たい海の荒波は彼方まで凪ぎ、彼女を歓迎している。私は海の底に作った磐座(いわくら)の上で件を抱きしめてその時を待つ。



 

「はじめるよ」

 

「はい、準備は整いました。とても良かったです」 

「死ぬのは怖い?」

 

「怖くありません。お母さまのお声になるならば、わたしはあの方の一部です。件の中でも一番の誉となるでしょう」 

「…………うん」


 

「累は嫌われない。わたしが保証します」

 

「心強いね、すごく。でも、これは(まぶい)移しと同じだよ。無理やりだから、累も無事ではいられない」

 

「………………」

「死ぬなら、それでもいいの。でも、それよりも真幸に嫌われたくないの」

「おかあ様は、あなたを嫌いになりません」

「……うん」



 

 件の言葉には嘘がない。予見できないことは言わないから、私の死については言及しない。

 死ぬなんて、何も怖くない。魂だけになっても、ずうっと真幸を守ってみせるから。

 

 精霊たちは私を連れて行ってくれる。そうすることができる場所へ……。霊力も神力も封じられた場合、精霊に力を借りて術を使うのは、二人ならきっと思いつくだろうと思っていた。

 西洋ではよくあるやり方だし、精霊たちが教えてくれるだろう。



 私は作られた魂だ。だから人でもあり、妖怪でもあり、式神でもあり……そしてそのどれにも該当しない。

何者でもない私は、蘆屋道満の命により海を彷徨っていた。

 

 そこをトメさんに拾われて、そして真幸に手渡された。




 あの時人の姿を選んだのは、真幸が人を模していたから。初めて暖かい手のひらに包まれた時、わたしはもう大好きになっていた。

 どこまでも深く、どこまでも広く、どこまでも優しい心。そして、冷たい水温のような厳しさと荒波のように激しい熱情。それはこの星を包む海のようだった。


 聞き慣れた足音と共に鈴の音が近づいてくる。颯人が術を弾く結界を張っているみたい。……今の世で一番強い神様たちに私が太刀打ちできるだろうか。ううん、しなければならないの。




 私は磐座(いわくら)の上に立ち、件は微笑んだまま横たわる。手刀をそっと件の首に添えた。

 

 手が……震えてしまう。一緒に抱きしめられた暖かい日々が頭の中をよぎり、目から涙が溢れる。

 私が凶器を振りかぶり、刃となった霊力を振り下ろし……ぴたりと動きが止められる。


『だめだよ、累』

「…………」

 

『鈴の音はまやかしだ。累にバレバレのままでここに来る訳ないだろ?件を殺させない』





 優しい、音がする。颯人にしか聞こえないはずの声は彼が作り上げた結界によって、真幸の声となり私の胸の中に響いた。


 でも……それもわかっていたの。


 件が私の下から這い出して、海の中をスイスイと泳いで天沼矛のてっぺんを目指す。私は真幸の手を掴み、颯人の袖を掴む。


 その瞬間、真幸は目を細めてわたしの頬を指先で撫でる。その姿はかすかに揺らぎ、霞のように姿を消してしまった。



 

「うそ……うそ!!」

「嘘ではない、それは精霊の作る幻だ。魂移しではうまくゆかぬ。真幸は件の命が犠牲になろうと声を受け取らぬぞ」

 

「ど、どうして!!この先声がなくちゃ大変なのに!!!誰かと戦えないよ……颯人だって怖いでしょう!?」

 

「あぁ、怖い」



 

「だったら……」

 

「我が怖いのは、真幸の光が失われる事だ。外法によって件の声を手に入れた後どのような心地になる?そして、困ったことに累はこの陣に命を賭けているようだ」

 

「…………」

 

「其方はいま少し自覚してくれぬか。道満に殺されかけたあの時刀となり、我の命を救ったのだぞ。それは真幸を救ったのと同じ事だ。

 累は我らの命の恩人であり、真幸の心の奥底に住まう者なのだから」

 

「…………わたしなんか……」


「其方を失えば、我を失った時と同じ事が起きる。あれに深淵を再び見せたいか」



 

 

 諭すように颯人に言われて、頭上を見上げると……矛の先を握った真幸は件をすでに捕まえて抱きしめている。

 

 潮の流れに乗って、赤い血潮が漂う。真幸の血が私を包んで完全に拘束されてしまった。血で作った結界……血界術まで使えるようになっていたんだね。

 

 胸がズキズキ痛くなって、それが指の先までびりびり伝わる。喉に熱が集まり、鼻がツンとして来た。




「ひっく……ひっく……ど、して。わたし、真幸が行っちゃうの、やだ。ずうっと一緒にいたいのに。真幸がいいのに、居なくなったら、そんな世界なんていらない」

 

「言いたいことは痛いほどわかるが、それを許してはくれぬのだ。我らの女神は」


 

 颯人に抱きしめられて、後から後から涙が出てきて止まらなくなった。海中だからすぐに涙は溶けて泡になるけれど、その泡を辿って……優しい女神が磐座に降り立つ。件も顔を真っ赤にして泣き、私の大好きな人にしがみついていた。


『かさね――……』

「うー、うっ……うぇ……ひっく」

『おいで、累を抱き締めたいんだ』


「う、う……真幸、まさき……」


 私は耐えきれなくなって、件のように抱きついた。ふわふわで柔らかい体はとくとくと脈打ち、優しい体温で私を包んでくれる。




『寒かっただろ?こんなに冷たくなって。ごめんな、迎えが遅くなった』

「まさき、わたし……」

 

『うん、大丈夫。ちゃんと方法を考えてあるから。まずは累の命を吸いとる厄介なお絵描きを消そうな』


「…………」

 

『俺にとって祝詞は生命線だし、依代として命を預けてくれた神様たちを顕現できないのは嫌だから、声は欲しい。

 だから、件の声を借りるんだ。累がヒントをくれたんだよ』

 

「借りる……?」

 

『そう。それから……累を置いて行く訳ないだろ?俺は颯人の言う通り、大切で可愛い累を失くしたらどうなるかわからない。この胸をずっと預けられるのは累だよ』

「………ほんとう?わたしでいいの?」




 巫女服の襟に縋りつき、重たい頭を持ち上げて間近にある笑顔を見つめる。

どこまでも深い深い瞳の黒は、泣きじゃくるわたしを映し出していた。


『うん、俺は累がいい。累じゃなきゃ駄目なんだ』




 唇が勝手に震えて、それが全身に伝わって行く。真幸の優しい言葉が胸の奥の冷え切った場所まで温めて、幸せで甘い感触を指先まで広げる。

 何も言葉が出なくなり、私は件と隣り合ってふくよかな胸に顔を埋め……全部考えるのをやめた。




「では陣を作り変えよう」

『うん。颯人、頼む』

「応」


 二人が磐座に腰を下ろし、颯人は指先でくるくると海中に漂う血液を巻き取り……私の作った陣をなぞる。

 黒い色に染められた文字たちは颯人によって金色の輝く文字となり、件を包み込む。


 驚いた彼は私と目を合わせ、真幸を仰ぎ見た。

 


「おかあ様」

『うん?』

「ぼ、僕の依代になってくださるのですか?」

 

『うん、そうだよ。久しぶりの契約だから、しばらくぐったりしそうだけど』


「…………ぼ、く……あなたの、おそばに居られるのですか?」

『ふふ……そうだね。この世で最後の件は死なない。だから、この先他の子は生まれなくなる。預言の通りになるだけだ。俺の声になってくれるか?』


「はい」

『ん、じゃあ契約だな』


 


 私は陣を上書きし終えた颯人の膝に乗り、真幸の膝の上で目をキラキラ輝かせた件を眺める。

 あぁ、そうか。預言って受け取る人によって意味が変わるものなんだ。

真幸はこんな風に、誰も傷つけなくてもちゃんと解決方法を見つけてくれたんだ。


 でも、そうだった……。この人は、いつもそうしてくれた。

蘆屋道満のスパイだった私を愛して、式神の(さが)を剥き出しにした私を見ても、裏切るだなんてつゆほどにも思っていなかった。


 それを見て呆気に取られた私はいつの間にか傀儡を脱し、真幸を主人として定めた。

 

 何者でもないわたしを疑うことは一度もなく、裏切ることも、傷つけることもなかった。ただひたすらに愛されて、わたしはしあわせだった。

どうしてその事実を置き去りにしたんだろう。いつも守ってもらっていたのに。




「其方の陣は契約の補助に使わせてもらう。体内に入れると破裂してしまうからな、首にでも巻き付けば良いだろう」

 

「うん!そうだね、喉にあれば声になりやすいと思う」

 

「あぁ。累よ……次からは、我とだけでも相談してくれるか?強力な陣を書き換えて、文字通り骨が折れた」




 目の前に差し出された颯人の指は、皮膚が裂け、骨が露出していて痛そう。顔色ひとつ変えていないけど、私の陣を書き換えて指先だけで代償が済んだなら御の字だよ。


「真幸に治してもらおうね」

「それがよいな」




『よし、覚えたか?』

「はい」

『じゃあ始めよう』

「は、はい」


 背筋を伸ばした件は凛とした顔で……真幸にそっくりな顔で彼女を見つめている。陽向がやきもち焼きそうなくらいに似ている二人は見つめ合い、微笑みあった。


「真名を芦屋真幸(あしやまさき)、ぼ、僕の……僕の……おかあ様」

 

『うん』


「大好きです」

『お、おう?俺もだけど……あれ?』


「む……」

『颯人、静かにして』

「ぬぅ……」


「お母様を依代として、僕は守っていただく対価に声をお貸しします。ずーっと、ずーっとおそばに居させてください」

『え、えと。それはいいんだが、契約の文言がおかしくなっちゃったぞ?颯人、大丈夫かな』



 眉を下げた真幸に問いかけられて、私を抱えたまま颯人は唸る。件とそっくりな、「むぅ……」と言う声で。

 

「問題ないだろう。与賞(よしょう)契約ならば真幸が声を取り戻した時、自由にしてやれる」

 

『あ、そうか。じゃあそれで行こう。これからもよろしくな、件』

「はいっ!」



 真幸と件が触れ合って、そこから七色の光が広がっていく。

 

 やがてそれは海の中にも輝きを宿し、星を降らせて伝説の霊獣は真幸を依代とした。


 姿を変えた件は黒い組紐となり、女神の細い首に巻き付く。先端に金色の小さな小さな鈴がついていて、微かに澄んだ音色を奏でた。




「……ゴクリ。な、何か言うてみよ」

「あの、どう?声出してみて真幸」

 

「…………すぅ……――――」

 

 


 私たちは手を握り合い、生唾を飲み込んでその時を待った。

 だけど、彼女はふらりと体の軸を失って……咄嗟に飛び出したわたしと颯人に寄りかかり、目を瞑った。


 

「……気絶しちゃった」

 

「やはり一筋縄ではゆかぬな。まずは自宅に戻り、眷属たちと作戦会議だ。それまで声を聞くのはお預けだ。供に我慢しよう」

「うん!」



 颯人と二人で微笑み合い、わたしは幸せな気持ちで真幸を抱きしめた。

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