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底辺魔女と魔獣わんこ、時々おっさんの仲良し物語〜コーヒーを巡る冒険

作者: レイチェル
掲載日:2023/12/15




ある日の午後のこと、レジーナは先日覚えたばかりのレモンハーブクッキーを教会用にたくさん焼いていた。


教会の礼拝で配るレジーナのお菓子は早くも評判になり、レジーナがおやつ当番の日は信者が先を争って教会へやって来る。


たちまちレジーナは教会の婦人会のマッカーシー女史のお気に入りになった。


折しも、レジーナが金色に焼けたクッキーをオーブンから出そうというところへ、マッカーシー女史はアーミテージ家の玄関に立ち、ドアを叩いた。


「これはこれは、ミス・マッカーシー、ようこそおいで下さいました。」


アーミテージは甘い香りの立ちこめた居間にマッカーシー女史を招き入れた。


愛娘のお菓子を高く評価して、礼拝の後に配るおやつ係に抜擢してくれたマッカーシー女史にたいへん好意的なのだ。


レジーナも台所から声をかける。


「わざわざお越しいただいてすみません。今、クッキーをオーブンから出したところです。すぐにお茶をお持ちしますから、召し上がりながらクッキーが冷めるのをお待ちになっていて下さいな。」


レジーナは裏庭のカモミールとミントをひと摑み摘んでくると、マッカーシー女史の為にお茶を淹れ、ティー・ソーサーに焼き立てのクッキーを添えてテーブルに置いた。


「クッキーのお味も見て下さいな。」


「ありがとうございます。いただきますわ。」


レモンハーブクッキーの甘酸っぱい香りと、ハーブのお茶の爽やかな香りで部屋中いっぱいになる。


マッカーシー女史はお茶をひと口、口に含み、ほうっ、と息を吐いた。


「ふう、全く、落ち着きますわ。それに、頭がすっきりします。このお茶のハーブは、どこか有名な薬店のハーブなの?」


「違いますけど、薬草園の近くの森に生えていたのを少しもらって来たんです。もしかしたら薬草園から種が飛んで来たのかも。よければ少し株分けしますわ。」


「まあ、よろしいの? お言葉に甘えてぜひお願いしますわ。」


「とって来ますね。」


レジーナは庭いじり用のエプロンを着け、裏庭へ出て行った。


「本当に親切な、良いお嬢さんですこと。」


マッカーシー女史は居間の窓からスコップを片手に裏庭を横切るレジーナを感心して見守っている。


そんなマッカーシー女史にアーミテージはにじり寄った。


「ミス・マッカーシー、それで、今日いらっしゃったのは、本当にクッキーの為だけ?」


「さあ、どうかしら? ああ、本当に美味しいクッキーですこと。」


「意地悪を言わんで下さい。」


焦らすようなマッカーシー女史の素振りにアーミテージは鼻息も荒く、そわそわと揉み手までしている。


マッカーシー女史は、ふふふ、と、笑みを漏らすと、持参した小さなハンドバッグから何やら筒状の缶をスルスルと取り出した。


「貴方のお目当てはコレでしょう?」


「おおおおっ!」


おっさんの目の色が変わり、缶筒に飛びついた。


「これはこれは、貴重なものを。お礼の言葉もありません。」


「何をおっしゃるの? レジーナさんのクッキーに比べたら大した事ありませんわ。」


「いえいえ、当然のことをしたまで……はっ!」


裏庭から戻ったレジーナが台所へ入って来たので、アーミテージは慌てて缶筒を懐へ隠し、トイレの横の自室へ引っ込んだ。


「ふっふっふっ……!」


そして、まるっきり悪者のような笑みをたたえ、謎の缶筒にうっとりと頬擦りをする。


見るに堪えないおぞましさだが、誰も見ていないから良いのだ。


と、思ったら……。


じーっ……。


ドアの隙間から視線を感じ、ハッと顔をそちらへ向けると、スクートが首を傾げてアーミテージを見つめていた。


「おわあっ!」


アーミテージは飛び上がって缶筒を後ろに隠した。


「ス、スクート殿! ひとの部屋を覗くなんてお行儀が悪いですよ。」


「何してるの? それ、なぁに?」


「は、はあ? 何のことですか? それより、スクート殿はクッキーは食べないのかな? ミス・マッカーシーが全部持って行こうとしてるよ。」


「ええっ。食べる! レジーナ、全部あげちゃダメ!」


台所へ走って行ったスクートを見送ったアーミテージは、ふう、と汗を拭う。


夜が更けてからと思ったが、スクートは油断ならない。


どうしたものか……?


アーミテージは眉間に皺を寄せ真剣に思案するが


「そうだ!」


程なく名案に思い当たり


「ふふふふふふ……。」


再び笑みを漏らした。


本当に、まるっきり悪役顔である。




「ときにミス・マッカーシー、お宅の猫は元気ですか?」


自室から出てきたアーミテージは猫なで声でマッカーシー女史に尋ねた。


「ええ、おかげさまで。」


「猫? ミス・マッカーシーのお宅には猫ちゃんがいるの?」


おっさんの目論見どおり、レジーナは顔を輝かせた。


「そうよ。ミセス・キルクオイクが先月五匹も産んだのよ。黒いのが二匹に、シルバーと白の縞のが三匹よ。」


「わあ、仔猫ちゃん!」


「良かったら見にいらっしゃいな。抱っこさせてあげる。」


「ええーっ! 行きたい! いい? お母さん?」


「行って来なさい。くれぐれも失礼の無いようにね。」


おっさんは必要以上に勿体ぶって言う。


「やったー! ありがとうお母さん! ミス・マッカーシー!」


レジーナはぴょんぴょん跳ねながら居間をくるくる回った。


「スクートちゃんもぜひいらして。どうぞ猫達の名付け親になって下さいな。ほら、魔獣に名前をもらったら魔力が宿るって言うじゃないですか。」


「うーん、どうしようかなあー。」


スクートは疑わしげにアーミテージを見る。


なぜそうまでして自分とレジーナを外出させたがるのだろう。


さっきの缶と何か関係があるのだろうか?


「もちろんお礼はするわ。レジーナさんにタモシャンター帽の型紙を貸してあげる。最新流行のデザインよ。」


これは殺し文句だ。


レジーナが最新流行のタモシャンター帽をカッコよく斜めに傾げて被った姿を是非とも見たい。


「……じゃあ、ちょっとだけ。」


こうして、焼き立てのクッキーと共にマッカーシー女史の自宅へ出かけたレジーナとスクートを見送ったアーミテージは、二人の姿が見えなくなるのを確認すると、またもや


「ふっふっふっふっ……。」


不気味な笑みを漏らし、先ほどマッカーシー女史が持ってきた缶筒の蓋をきゅぽん、と開けた。


缶筒の中には、マッカーシー女史の手によりじっくり焙煎された、



コーヒー豆。



「二人には悪いが、お子ちゃまやわんこには刺激が強過ぎるからな。」


相変わらず独り言のクセの抜けないおっさんは、いそいそとパントリーの戸棚の奥からコーヒー・ミルとコーヒー・サイフォンを取り出した。


コーヒー・ミルで豆は挽かれ、コーヒー・サイフォンのアルコール・ランプが灯され、程なくクッキーの甘い香りに、ほんのり蜜柑の風味のある香ばしい香りが混ざり合った何とも言えない魅惑的な空間が居間を支配する。


「ほわあー。これこれ、この香り。」


おっさんは顔中の筋肉を緩め、うっとりとした。


年頃の女の子にわんこの面倒、父親役と母親役を同時にこなし子育てに追われる毎日だから、このくらいの息抜きは許されるだろう。


昔、昔、まだアーミテージが駆け出しの頃、東の国からやって来たお姫様の護衛の褒美に初めてこの不思議な香りと味わいの豆のお茶を口にした。


ひと口含めば疲れも癒え、五感は冴え渡り、普段耳にする事のできない草木やもの言わぬ生き物の囁きが聞こえた気がしたものだ。


魔法を封じる剣『暗黒の剣』を継承し、剣の欲するままに様々な土地をを旅したのも昔のこと。


「俺ももうトシだからな。コーヒーなんか飲んだらトイレが近くなって旅どころではない。」


アーミテージは大伯母のものだった家宝のコーヒーカップを手に優雅なひと時を楽しんだ。




教会の婦人会の中心人物、才色兼備で有名なマッカーシー女史だが、家事はからっきしと見える。


彼女の部屋は脱いだままの服や食べ残した食事がそのままになっており、足の踏み場も、腰を下ろす場所もなかった。


部屋に一歩足を踏み入れたレジーナはそのカオスっぷりに愕然としたが、必死に何食わぬ顔を装った。


反面、納屋の猫達の住まいはきれい好きの母猫ミセス・キルクオイクにより、ネズミ一匹いない過ごしやすい空間になっていた。


「絶対、絶対、絶対におかしい。」


スクートは背中で飛び跳ねている五匹の仔猫達を落っことさないように気をつけながら難しい顔をしている。


「おじさんは何かボク達に隠してる。あの缶かんは一体何?」


「スクートったら、考えすぎよ。お母さんは何でもないって言ってたんでしょう?」


レジーナは片耳がギザギザの、ぼってりとした金色のミセス・キルクオイクを膝に乗せてブラッシングをしてあげていた。


「あれはご主人様特製のコーヒー豆ごろにゃん。」


ミセス・キルクオイクは喉を鳴らしながら言った。


「コーヒー豆?」


「お豆?」


スクートもレジーナも怪訝な顔をする。


「大人の飲み物だからお子ちゃまやわんこは飲めないにゃん。刺激が強すぎてごろごろにゃにゃん。」


「あら、私はお子ちゃまじゃないわ、大人の女よ!」


大きな胸を披露して証明せんばかりの勢いでレジーナは反論する。


「ボクはわんこじゃなくて魔獣だよ! 刺激には慣れっこだよ!」


仔猫を落とさないように気をつけながら、高い魔力と知能を有する誇り高きブラックウルフ種も猛抗議をする。


「どうでも良いにゃん。それよりレジーナ、耳の後ろをもうちょっと頼むごろにゃん。」


「はいはい。」


貫禄のある母猫ミセス・キルクオイクはお客に対しても横柄なのである。



「なーに? みんなで仲良く噂話に花を咲かせてるの?」


マッカーシー女史がひょいっと顔を出した。


「ごめんなさいね、レジーナさん。型紙が見つからなくて。絶対どこかにあるからもう少し待ってちょうだいな。」


「ご主人様の部屋にはブラック・ホールが存在しているにゃん。一度見失ったが最後、絶対に見つからないにゃん。」


「い、急ぎませんから。猫ちゃん達と遊んでいます。」


恐れを知らぬミセス・キルクオイクの言葉に、レジーナは笑顔を引きつらせ応えた。


「ゆっくりしてね。」


マッカーシー女史は優しく微笑むと、再びタモシャンター帽の型紙を探しに母屋のカオス部屋へ戻って行った。



「もしかして、ミス・マッカーシーは、ミセス・キルクオイクの言葉が解らないの?」


レジーナは声をひそめた。


「ご主人様とお話できたのはずっと昔のことにゃん。ご主人様がまだレジーナくらいだった頃にゃん。」


「どうして話せなくなっちゃったの?」


「そんなの決まってるよ。」


スクートがミセス・キルクオイクの代わりに答えた。


「女の子は恋をしたら猫と話ができなくなるんだ。」


「大人の階段を登ってしまったにゃん。」


「そうだったのね……。」


世の中には二種類の女がいる。


猫と話せる女、猫と話せない女。


老若や貧富の差、社会的地位とは関係ないようだ。


何がふたつを分けるのか、理由があるだろうとは思っていたが、そんな理由だったとは。


レジーナは妙に感心してしまった。


「だからレジーナはお子ちゃまにゃん。恋もしたことがないクセに、おっぱいだけで大人になれるわけないにゃん。」


「んひゃっ!」


ミセス・キルクオイクの手厳しい指摘に二の句のつげないレジーナだった。


「ミス・マッカーシーの好きな人ってどんな方?」


お子ちゃまでも年頃のレジーナは恋バナにも興味深々だ。


「何でもレジーナくらいの時にドブ川にハマったご主人様を助けてくれたらしいにゃん。」


「まあ、ロマンチックねぇ。」


娘時代の美しいマッカーシー女史が貴公子に抱き抱えられている姿を想像してうっとりとする。


「キタナイおっさんにゃん。」


ミセス・キルクオイクはふん、と鼻を鳴らした。


「けど、まだここで猫達と暮らしてるってことは、そのキタナイおっさんと結ばれなかったってことだね。」


スクートは背中に仔猫を乗せたまま同情気味に言った。


「ご主人様はまだ諦めてないにゃん。」


「昔と変わらず思いを胸に秘めているのね。いじらしいわ。」


レジーナは益々うっとりした。


「相手の殿方は今どこに? まだ独り身なの?」


「故郷を離れて旅をしてたらしいにゃん。結婚したって話は聞かないにゃん。最近、ふらっと戻ってきたにゃん。」


「恋の予感がするわ! 貸本屋さんの小説みたい。」


「けど、キタナイおっさんはなぜか子持ちになっていたにゃん。」


「まあ嫌だ、破廉恥ね。」


「キタナイだけじゃなく最低なおっさんだね! ボクなら急所に噛みついてやる!」


レジーナもスクートもマッカーシー女史を想って憤慨した。


「ま、人生なんてそんなものごろにゃん。」


お子ちゃまなふたりと違って達観したミセス・キルクオイクは喉を鳴らしながら言った。



マッカーシー女史が部屋中を引っ掻き回してくれたがタモシャンター帽の型紙は見つからなかったので、レジーナとスクートは猫達にお別れをして帰途についた。


「せっかくレジーナが可愛い帽子を被ってる姿が見られると思ったのに。」


結局、仔猫達のお守りをしただけだった。


スクートはボサボサになった背中を見て溜め息をついた。


「新しい帽子なんて贅沢よ。それより、ミス・マッカーシーが可哀想。汚らしいおじさんって人のせいでミセス・キルクオイクともお話しできなくなっちゃって。猫ちゃん達とお話しできなくなるなら、私は一生、恋なんかしなくていいわ。」


「レジーナはボクの恋人になれば良いんだよ。」


「恋人なんてまだ早いってお母さんに言われるに決まってるわ。大人の飲み物のお豆のお茶も飲ませてくれないんだもの。」


レジーナはほっぺたを膨らませた。


過保護なお母さんに子供扱いされてちょっぴり傷ついている。


「コーヒーに恋人は関係ないよ。おじさんだって恋人はいないんだから。」


「そう言えばそうね。」


「ねぇねぇ、ボク達って、そんなにお子ちゃまかな?」


「もちろん、私は大人の女よ。」


レジーナは胸を反らした。


「ボクだって。そもそも、魔獣なんだから人間の尺度で大人とか子供とか判断するのはおかしいよ。」


「つまり、二人ともちゃんとした大人ってことね。」


「意義なし! ね、おじさんが寝たら例のコーヒーとやらをこっそり飲んじゃおうよ。」


しかし、スクートの提案に小心者のレジーナはすくみ上がる。


「そんなことして、もしバレたらお母さんにデコピンされちゃうわ。」


デコピン……。


普段は優しいアーミテージだが、一度怒らせると大変なことになる。


「れ、レジーナ、で、デコピンが怖いなんて、お、お、お子ちゃまだね。」


「スクートったら、無理しないの。足が震えてるじゃないの。」


しかし、スクートだって誇り高きブラックウルフ種だ。


人間ごときのデコピンにびびっているようでは立派な大人とは言えない。


「じゃ、良いよ。ボクだけ飲むから。告げ口したければどうぞ。告げ口なんてお子ちゃまのやることだけど。」


「……!」


こうまで言われてはレジーナも後には引けない。


ふたりは一心同体なのだ。



「今夜は静かだし、あまり食べないね。お腹でも痛いの?」


夕食にて、俯いてあまり食の進まないレジーナをアーミテージは心配そうに覗き込んだ。


お腹いっぱい食べてしまってはアーミテージより先に寝てしまうだろうし、嘘の苦手なレジーナはなるべくアーミテージとは目を合わさず、努めて話しをしないようにしているのだ。


「あ、あの……。」


レジーナは後ろめたさに耐えられず思わず顔を上げたが、


「レジーナにだって色々あるんだよ。()()()()()()んだから。」


慌ててスクートが遮った。


「そうか。今日はクッキー作りや何やらで疲れただろう。もう部屋でお休み。」


「は、はい。お休みなさい。」


レジーナは逃げるように部屋へ引っ込んだ。





「おじさん、やっと寝たみたい。」


部屋のドアに耳と鼻をぴったりくっつけていたスクートは囁いた。


「良かった。あと三分遅かったら、私が先に寝ちゃうところだったわ。」


レジーナが目を擦りながら言った。


二人はそっと部屋を出て、台所の横のパントリーへ忍び込んだ。


アーミテージがトイレに行っている隙にスクートがこっそり部屋に侵入し、コーヒー豆の缶を拝借してパントリーに隠しておいたのだ。


レジーナが缶の蓋をきゅぽん、と外すと、異国を思わせる不思議で濃厚な香りが立ち込めた。


「わあ、良い香り。」


二人はうっとりとする。


「おじさんがトイレに起きて来ないうちに早く飲んでみよう。」


「待って、お湯を沸かすわ。何分蒸らせば良いのかしらね。」


先ほどまで罪悪感の拭えなかったレジーナだが、コーヒーの魅惑的な香りを前にそんなもの吹っ飛んでしまった。


こんな素敵なお茶をアーミテージが独り占めして良いわけがないのだ。


そこへ、


「悪ガキども、お待ちにゃん。」


後ろから声がしたので二人は飛び上がった。


振り返ると、たっぷりした金色の髪を結い上げた、妙に貫禄のあるオバさんが立っていた。


頭には二つの尖った耳があり、ひとつはギザギザになっている。


「なんだ、脅かさないでよ、ミセス・キルクオイク」


鼻の良いスクートだが、コーヒーの香りに惑わされ、気配を感じることができなかったようだ。


人間のオバさんの姿をしたミセス・キルクオイクはレジーナの手にしているティー・ポットを見てせせら笑った。


「あんた達お子ちゃまだから、コーヒーの淹れ方も知らないにゃん。」


「う……。」


どうやらハーブのお茶とは違うらしい。


「あれとこれがいるにゃん。」


「あれとこれ?」


レジーナはティー・ポットを置いてミセス・キルクオイクに指さされた棚にあるコーヒー・ミルとコーヒー・サイフォンを取り出した。


ハンドルのついた奇妙な箱、不思議な形をしたデカンタに、アルコール・ランプ。


二人は息を潜めてコーヒー豆を挽くミセス・キルクオイクを見守った。


アルコール・ランプで温められたデカンタからこぽこぽと蒸気が上がり、飴色の粉と混ざっていく様子は、飲み物というよりも魔法の薬のようだ。


しばらくすると、夜のように真っ黒な液体がデカンタに落ちてきた。


「ふおーっ。」


レジーナとスクートは期待に目を輝かせ、デカンタの中のコーヒーを見つめる。


ミセス・キルクオイクはカップに注いで二人の前に置いてやった。


「召し上がれにゃん。」


ほんのり甘酸っぱい、ほんのり苦い、胸をくすぐる大人の香り。


「いただきます。」


「いただきます。」


レジーナとスクートはそっとカップに口をつけるも


「…………。」


「…………。」


たちまち泥水に顔を突っ込んだような顔になった。


「……苦ぁーー。」


「……それに酸っぱぁーー。本当に淹れ方これで合ってるの? でなきゃこの豆、腐ってるんだよ。」


「ご主人様特製のコーヒーに失礼なわんこにゃん。お子ちゃまにこの味はわからんにゃん。あー美味しいごろごろにゃん。」


ミセス・キルクオイクは勝ち誇ったようにコーヒーを味わっている。


「ボクはお子ちゃまじゃないけど大人でもないんだ。」


スクートは悔しそうだ。


「ミセス・キルクオイクに私の分もあげるわ。せっかくわざわざ来てくれたのにごめんなさい。」


レジーナも申し訳なさそうに言った。


「それはどうもごろごろにゃん。」


こうなることは予想していたのだろう、ミセス・キルクオイクは魔法瓶を取り出し残っているコーヒーを残らず入れた。


片付けられないご主人様だが、大切な人の為に腕によりをかけて焙煎したコーヒーは特別なのだ。


(あれだけヒントを出してやったのに、ご主人様の恋の相手に気がつかないんだから、こいつら本当にお子ちゃまにゃん。)


ミセス・キルクオイクはギザギザの耳をぴんと反らした。




ミセス・キルクオイクを見送り、アーミテージに気づかれないよう慎重に後片付けをした二人は、来た時と同じように足音を忍ばせ部屋へ戻り、ベッドへ滑りこんだ。


「でも、ちょっと面白かったね。」


二人はベッドの中で顔を見合わせてにっこりした。


スクートと一緒なら、冒険者ギルドにエントリーなんかしなくとも、世界は冒険で溢れている。


「さ、寝ましょう。」


「うん、お休みなさい、レジーナ。」




しかし……。




「……レジーナ、寝ちゃった?」


「起きてる。」


「何故かな? ちっとも眠れないや。」


「私もよ。」


眠れないだけではない。


布団の中でじっとしていると何だかイライラしてしまう。


二人は耐えかねて身体を起こした。


「夜風に当たれば眠れるかな?」


窓から見える黒緑色の裏庭は、薄暗い部屋の中よりずっと魅力的に映る。


星あかりに誘われ二人は裏庭へ出、銀色の玉になった夜露の散りばめられた草の上に腰を下ろした。


月は静かな優しい光を放ち、星たちは裏庭を吹き抜ける風の動きに合わせて躍るようにまたたいている。


この家は長い間空き家になっていたので、アーミテージの大伯母さんの植えたバラに何かが棲みついているようだ。


煉瓦の壁に蔓をたくさん這わせ、真ん中がオレンジ色の黄色いバラの花が無数に咲いているその花の中に、日中、彼らは影を潜めている。


しかし、夜になると裏庭で月光浴をするのだろうか、そこここからひそひそ話し声や、くすくす笑う声が漏れ聞こえて来た。


スクートにはそれらが見えるのだろう。


「何、何? 何の話?」


耳をぴんと立て、茂みに鼻を突っ込んで噂話に加わった。


下級魔女のレジーナには、普段は人でない生き物を見ることはおろか、気配を感じることもできない。


しかし、今夜は不思議と彼らの存在を身近に感じることができるのは、スクートが隣りにいるせいなのか、月の魔力の影響だろうか?



魔力を宿した生き物と会話をする魔法、


箒を使わなくとも空を自在に飛ぶことができる魔法、


自分だけの特別な星座を作る魔法、


呪文は誰もが知っていても、使いこなせるのは限られた者だけだ。


しかし、何だか今夜は自分にもその力があるような、奇妙な自信が湧いてきた。


"精霊の叡智を我が身に宿し、月の翼を授けたまえ、我を天空へと舞い上がらせんーー。"


「……なーんてね。」


小さな子じゃあるまいし、魔法使いごっこも無いものだ。


ごっこも何も、自分だって最下級とは言え魔女なのに。


つい口にしてしまってから、レジーナはひとり照れ笑いをした。



「レジーナ、もしかして浮かんでる⁉︎」


顔を上げたスクートがレジーナを見て驚いて叫んだ。


「え? えええ?」


レジーナがキョロキョロ周りを見てみると、確かに、さっきまでお尻や足に感じていたひんやりした草の感触もないし、何だかふわふわと船の上にいるようだ。


「本当だ! 浮かんで……きゃーーっ‼︎」


レジーナは宙に浮かんだまま独楽のようにクルクル回転をはじめた。


「レジーナ? 一体どうしちゃったの? 何してるの?」


スクートもオロオロとレジーナの周りを回り始めた。


「わからない! 止めて、止めて、お願いーっ!」



ちょん。



何かがレジーナの頭に触れると同時に、レジーナの回転は止まり、


どさっ。


「んひゃっ!」



と、地面に落ちた。


「レジーナ、だ、大丈夫?」


スクートは草の上に倒れたレジーナを鼻でくんくんとした。


「だ、大丈夫…。たぶん……。」




「実体はなくても暗黒の剣は有効みたいだな。」



レジーナは目を回しながらその声を聞いた。


「暗黒の剣? 魔法を無効にしたってこと? じゃ、今の魔法はレジーナが?」


「コーヒーを飲んだせいで、意識が覚醒しすぎて魔力が暴走したんだ。」


ようやく目と頭がはっきりしてきたレジーナが改めて声の主を見上げると、赤毛の短髪に切れ長の目、鼻筋の通った整った顔だちの青年が口の端を少しだけ上げて笑っていた。


まるで物語に出てくる戦士のようだ。


この人も月光浴にやって来た人外の生き物かしら?


「どちら様ですか?」


「母親を忘れるとは薄情な娘だ。」


赤毛の青年は前髪をかき上げ、ふっ、と笑った。


「ボク解るよ。おじさんでしょ?」


スクートは耳を寝かせてしっぽを垂れて、レジーナの後ろへ隠れた。


もちろん、小さなレジーナに大きなスクートを隠せるわけはない。


「お、お、お母さん⁉︎」


お母さんにはかき上げる前髪など無かったはずだ。


しかし、青年の右手には見覚えのある例の真っ黒な剣が握られている。


アーミテージを名乗る美麗の青年は言う。


「今の俺のこの姿は『眠っている俺』が見ている夢だよ。本体はトイレの横の部屋だ。」


「夢?」


「昼間に久しぶりにコーヒー飲んだからな。身体は寝ていても頭ん中はまだ覚醒してるんだろう。それがスクート殿の魔力に反応して、頭から出て来ちまったみたいだな。」


普段から頭に浮かんだことが独り言でダダ漏れになってしまうお年頃だ。


何かの弾みに夢まで漏れてしまったとしても不思議では無い。


しかし、それにしても、


「夢の中のお母さん、盛り盛り……。」


呆気に取られて見ていたレジーナがボソっと呟いた。


「娘よ、そりゃ、言いっこなしだ。」


アーミテージはきまり悪そうに言った。


確かに、レジーナだって夢の中では長身で美人の超級魔導士という設定だ。


色々ツッこむのは止めておこう。


「黙ってコーヒー飲んだから、ボク達デコピンされちゃう?」


昼間の勢いはどこへやら、スクートがレジーナの後ろから恐る恐る尋ねた。


「起きた時に覚えてたらね。」


青年アーミテージは口の端を少しだけ上げて悪戯っぽく笑った。


おっさんの夢の中の空想の人物だと解っていても、惚れ惚れするほどの男っぷりだ。


「おっと、本体が目覚めそうだ。コーヒー飲んだからな。どうもトイレが近くて。」


しかし、やっぱり中身はおっさんだ。


「じゃあな、お前達もさっさとベッドに戻らないと、俺が目覚めた時に裏庭なんかで遊んでたら問答無用でデコピンだぞ。」


皆まで言い終わらないうちに、アーミテージの姿は消えてしまい、程なくしてトイレの横の部屋の窓にランプの灯が灯った。


「大変、お母さんがトイレに行ってるうちに私達も部屋に戻りましょう。」


レジーナとスクートは慌てて台所の裏口へ走って行った。




「んもう、ご主人様がボヤボヤしてるからおっさん消えちゃったにゃん。」


壁一面につたうバラの枝の影から様子を伺っていた貫禄のあるギザギザ耳のオバさんが、隣りで息を潜めているマッカーシー女史を肘で突いた。


「例え夢の中でも私からあの方に話しかけるなんてできないわ。こうして遠くから見ているだけで充分よ。それに……。」


マッカーシー女史はミセス・キルクオイクの腕を組んだ。


「夢の中なら貴女とおしゃべりできるしね。」




翌日、珍しく朝寝坊をしたマッカーシー女史は、教会の礼拝では後ろから数えて二列目の席に座るという、才色兼備の婦人会会員にあるまじき屈辱を味わうこととなったが、とても幸せそうに見えたのは痩せ我慢だろうか?


レジーナとスクートも、司祭のお説教の最中に居眠りをして椅子から転がり落ちてしまい、後からアーミテージにこってりとお灸を据えられた。



✴︎おしまい✴︎





最後までお読みいただきありがとうございました。


もしも気に入って下さいましたら、連載中の本編「底辺魔女ですが魔獣に懐かれ甘やかされて毎日とっても幸せです。」も合わせてお読みいただけたら大変嬉しく思います。


これからもどうぞよろしくお願いいたします。




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