猫又踊り
世の中には昔から、猫又というものがありまして。ネコが五十年ばかり生きると、尻尾が二本になってこんなあやかしに成り果てるのでした。とはいえ彼らはあやかしである前にネコですから、普段は野良としてそれはそれはもう、随分有意義かつ自由に生きておるのでした。さて、これはそんな猫又たちの定期的な集まり。通称「ネコ会議」での一幕のお話でございます。
「ぐろぉ、何だって?」
年かさの一匹がひっくり返りながら言いました。ゴロゴロ、グルグル、にゅーんにゃん。一円のネコたち大合唱。みんなが話題の中心にいるぶちの言うことに興味津々でした。
「ですからね」
それを受けてそいつは神妙な顔で前足を振ります。彼はここいらでも一番年若い奴で、まだ百年も生きていやしません。その分思考が柔らかくてか、仲間内では珍しいことに人間の家に居候しておるのでした。その家人から聞いてきた話だというのです。
「どうも昨今じゃあ『ぐろーばりずむ』ってやつが流行りだというんです。時代はそれなんだって」
するとすかさず年寄り衆が口を開きました。彼らは八百才にもなろうかという大御所です。
「なんだい、ぐろーばりずむって。小洒落てやがる」
「やあ、どうもよく分らんことを言うじゃないか」
「全くだ。若いののおかぶれはいつでもあることだよ」
しかし、そこに三百と少しばかりの若い茶色いのが言いました。
「ぐろーばりずむ、ぐろーばりずむ。聞いたことがあるきがするや」
「ええ、何でも外国から来た方々と仲良くしろってことらしくて」
「外国?」
と、そこでそれまで黙ってことの成り行きを聞いていた黒猫、名前はそのまんまの「クロ」はピクリと耳を動かしました。彼は丁度五百年ほどまえの生まれですから、外つ国については一家言ある時代のネコでございます。
「外国人って、異人かい?」
「うらんだ」やら「かすてぃりゃ」やら、クロが生まれた頃はそんな人々が丁度盛んに来ていたのでした。異人と呼ばれる彼らは確か、天竺よりももっと遠い遠い南蛮だとかから来たのだとか。
「ええ、でも今は外国人って呼ぶんです。そういう時代なんだそうで」
「時代ねえ。そういえば私の子供の頃にもそんな話を聞いたかしら」
白猫が口を挟みます。そこで年かさのものは皆二百年ほど生きる彼女もまた同じことを言っていた時期があったことを思い出しました。
「「えげれす」だの「めりけん」だのが黒いお船に乗って来て、お江戸の幕府の時代が終わっちまった話かい?」
「ええ、そうそう。その時にもずいぶん言ったわよね。『時代は文明開化』だって」
すると茶色いのが言いました。
「随分言ったとありゃあ、これもその頃随分聞いたことだけどね。異人ってのは天狗だって話だよ。遠い国の生まれの天狗だって」
天狗……? ゴロゴロ、グルグル、にゃーんにゃん。ネコたち揃ってざわつきます。というのも天狗の使いはカラスなのですが、このカラスときたらくわせもの。ネコたちにとってはもはや天敵とも言うべき存在なのでした。せっかく人間達が道ばたにごちそうを置いておいてくれる月曜日と木曜日だと言うのに、どちらも奴らが幅をきかせているのです。
「家の四隅に魚の頭を置いてくれる特別な日だって、ともすりゃみんな奪われっちまう!」
「そうともさ。我々がどんなにほくほくしながら二月三日を待っているのか、その辺りきちんとわきまえてほしいものだね」
さて、ともかく話がぐろーばりずむに戻ります。
「つまりなんだい、ぐろーばりずむってのはよその国の天狗と仲良くするってことなのかい?」
皆目を見合わせました。自分の国の天狗と仲良くしていくのだって一苦労なのに、そんなことができるでしょうか。
「いやしかしだよ、皆。考えてもごらん」
茶色いのが言いました。
「もしできたらだけどね、とっても素敵だと思わないかい?」
ゴロゴロ、グルグル、にゃーにゃん。一同その通りだと拍手喝采満場一致。どうにも猫又は新しい物好きなのです。ので、早速取りかかろうじゃないかと言うことと相成りました。
さて、そうと決まれば大変です。何せ仲良くするには会話ができなくっちゃなりません。大急ぎで外国の言葉を覚えなくてはならないのでした。しかし先生役はどうしましょう。
そんな方へ話が行くと、言い出しっぺのぶちは得意そうに尻尾をパタパタさせました。
「ご心配無用!その点ならお任せください。うちの真希ちゃんが『英会話教室』ってのに行っていましてね、そこで習ったことを教えてくれましたから。お茶の子さいさいって奴です」
「ほう」
誰も彼も興味津々。ぶちの尾っぽはいよいよもって上機嫌になりました。
「まずね、こんにちはにあたる挨拶です。『はろ』と言うんです、『はろ』と。ありがとうは『さんくす』と、こんな風。何かを求めるときは『ぷりず』。そして一番大切なことですがね。お腹がすいたは『あいんはんぐり』!」
「「「あいんはんぐり!」」」
なるほどそれは重要な言葉だと老いも若いも神妙に頷きました。あいんはんぐり、あいんはんぐり、何を忘れてもこれを忘れちゃあいけません。何せ野良で生きるのに一番大切なことはごはんをちゃんと食べることですから。さあもう一回、あいんはんぐり!
「うん、うん、すこぶる順調です。この『あいん』が私は、と言う意味なんです。だからこの言葉の後に自分のことを言えば簡単に自己紹介ができると、まあそういう塩梅です」
順調だと言われると気持ちよくなってしまって、ゴロゴロ、グルグルにゃーんにゃん。講習会は昼過ぎまで続いたのでございましたとさ。
さて、翌日のことです。クロは人間に化け、ご満悦で町を歩いておりました。口の中では繰り返すことにはあいんはんぐり、あいんはんぐり。外国の人とおしゃべりができるなんてとその素晴らしさをかみしめておるのでした。夜行性が随分昼ふかしをしてしまったせいでとにかく眠いったらありゃしませんが気分は晴れやかです。今なら野良猫と見たら一目散に追いかけ回してくる子供にだって腹を見せてやったって良いくらいでした。たとえが分りにくい? とにかく世間にある大抵の嫌なことには寛容になってやろうというくらいの気分だったのです。
「Excuse me?」
と、その時クロは一人の男性に声をかけられました。ビビットブルーのタンクトップに豊満な体を包んだ男性です。ですがそんなことよりクロは彼の顔にびっくり。高い鼻、赤らんだ白い肌、おひげ!何と、男は外国の方だったのです。
「は、ははははははは、はろ!」
クロはたいそう慌てました。しかし何とか気持ちを立て直します。何を恐れることがある、ぐろーばりずむは勉強した!そう自分によくよく言い聞かせました。それに何よりこちらには伝家の宝刀、「あいんはんぐり」があります。意識して随分高い男性の顔を見つめ返しました。そう、今こそ練習の成果を果たすとき!
「あいん、くろ!」
「Oh! Hallo, Kuro. My name is Jack D White. Nice to meet you!」
クロが挨拶をしてみるとどうでしょう、男性は何事か言うじゃありませんか。その顔はとかく喜色満面ですが言葉の方はさっぱりです。早口言葉かしらん?クロは目を白黒させました。昨日覚えたばっかりなのに早口言葉だなんて、そんなのできっこありません。
「Can you understand me, Kuro? Would I speak slowly??」
よかった、何とか『すろう』が聞き取れました!たしかこれは遅いという意味の単語であったはずです。いちもにもなく頷きました。しかしすぐさま思い出します。確か外国では逆の意味になってしまうという、恐ろしい仕草があるというじゃあありませんか。せっかく遅くしてくれようと先方が言ってくれているのに断るなんてとんでもありません。とにかくなるだけ遅く言ってくれという願いをこめてクロは叫びました。
「すろう、すろうぷりず!」
「Ok! Thanks to your said. Do you have a time?」
よかった、伝わったみたいです。彼のおしゃべりがちょっとゆっくりになりました。そう、それで良いんです。クロはそう思って頷きました。するとホワイト氏はまた何かを話し出します。
「Kuro, please tell me about you. Ah , What’s do you Like?」
「らいく?」
らいくって、何でしょう。雷句?楽生?
すると彼はスケッチブックを一冊取り出して、そこに何事か書き始めました。クロはのぞき込みます。「Jack D White」彼の名前でしょうか?そしてその隣にはあらまあ、お魚の絵!
「あいん、魚好き!」
差し出されたペンで○を書き足しました。次に男が書いた犬にはバツ、可愛い小鳥には二重丸!
「Do you like bird?」
「旨いから好き!」
どうやら食べ物の話みたいです。クロは意気揚々、一等の好物をしたためました。行灯、これも二重丸!中の油がたまらんのです。
「Hmm……How old are you?」
……おーるど?すると彼は指で五と二を作りました。なるほど、年齢!五、○、○!
それからもしばらく絵や身振り手振りを使ってあれこれ話しました。大半はクロが聞かれて答えるというようなものでしたけれども、初めて外国の方と喋れているのだという高揚にワクワクしっぱなし。しかも彼ときたらとっても良い人で、何とお菓子を買ってくれたのでした。その名も「ちゅーる」。それがあんまり嬉しかったものですから、クロは特別の特別に彼に猫又の踊りを教えてやるのでした。これは本来人間に見られてはならない秘技でして、もし見られたら見た人間を呪い殺さなくっちゃあいけないほどの大切なもの。勿論そうとは教えませんでしたけれども、猫又とも名乗りませんでしたけれども、クロなりに最大限の贈り物でありました。
さて、そんな男とさようならをしてそれから少し……五十年ばかり経った頃のこと。クロは相変わらず猫生を存分に謳歌しておりました。いいえ、正確には猫又生を。この頃には英語も随分とこなれたもので、今じゃあもう「I’m hungry!」なんて流暢に言えるようにまで成長を遂げています。I’m hungry! I‘m hungry! よし完璧。
「ですからね」
以前より五十年ばかし年を取ったぶちが前足で地面をポンポン叩きながら言いました。手には一冊の本。器用な彼はまたどこかの家へ失敬して悠々家猫ライフにいそしんでおるようでした。どうやらその書斎から拝借してきたもののようです。
「今時は喋れるだけじゃあなくて読んで書いてもできなくっちゃあならないんです。だって時代はさいばーなんですから!ぷろぐらみんぐってものをするのには、英語が読めなくっちゃあいけないんです。今日からそのお勉強をしようじゃありませんか」
どうやら持ってきたものは教材代わりのようでした。ぶちの示す表紙に皆注目します。これは『じぇー』これは『えー』こっちが『ぴー』。一体全体いくつまであるんでしょう?クロはちょっとうんざり気味に目を滑らせました。猫は新しい物好きですが、同時におんなじくらい飽きっぽいのです。
「あれ?」
と、その時でした。著者でしょうか、一番下……そこに書かれていた文字に見覚えがありました。「Jack D White」。
クロはびっくり、それこそ半ばひったくるようにその本を手に取ります。文字の方はちんぷんかんぷんですけれども、どうやらこれは日本のあやかしについての本のようでした。そこには見慣れた姿が。ろくろっ首、唐傘お化け、河童に雪女、家鳴、犬神、子泣き爺に小豆研ぎ。ページをめくって、めくって、めくって、ああ最後の挿絵!
そこには二本足で踊る、満面の笑みをした真っ黒な猫又の姿がありましたとさ。
とっぴんぱらりのぷーう。