年の始めの初春の。御年神様は、少し不機嫌。
お正月っぽいのが書きたくて。
町中に響いていた除夜の鐘は、もう聞こえない。
時刻が午前零時を過ぎた頃には、伯池神社にも、いい一年になりますようにと願う参拝者が訪れていた。
けれど、今の時刻は午前三時。
神社の斜向かいに位置する自宅に戻って巫女装束からウールの着物に着替え、染めの羽織りを羽織って首にマフラーを巻いた真那は、白い息を弾ませていた。
神職である伯父の手伝いと直会を終え、これから神様の所へ挨拶へ向かうのである。
店じまいした出店が、石造りの鳥居の内側と外側に数件並ぶ。例年より出店は少なく、例年どおりの繁盛とまではいかなかったかもしれないけれど、午前零時前後の人出を思えば売上は上々だろう。
真那は門松が飾られ、新しい注連縄から弊が揺れる鳥居の前に立つと、本殿に鎮座する神様を想いながら、静かに礼をする。顔を上げて、鳥居越しの夜空を見上げた。
いつもと変わらない星の瞬きと、肺が冷たくなる空気。鼻までマフラーを被ってはぁ〜と息を吐けば、顔の周りが温かな空気に包まれた。
(一年って、早いなぁ……)
ついこないだ、あけましておめでとうと、みんなに新年の挨拶をした気がする。一年三百六十五日。閏日があったから、三百六十六日か。過ぎてしまうと、あっという間だ。
誰も居なくなり、常夜燈のみが灯る参道を一人で歩く。
伯父も伯母も朝が早いから、すでに自宅に戻って布団の中に入っているだろう。
昔の時間で言えば、寅の刻が近い頃だろうか。静まり返った境内に真那一人。
不思議と、怖いという感覚はない。それは、神という存在を近くに感じているからだろうか。
拝殿に到着し、賽銭箱の前に立ち止まる。深く2回礼をして柏手を打てば、周囲に白い霧が立ち込め、神様の屋敷へ続く白木の門が現れた。
伯池神社の御神紋が彫られている白木の門が、独りでに開く。中に足を踏み入れると、外の寒さが嘘のように暖かい。
首に巻いていたマフラーを取って、神様達が作業をしている部屋を目指した。
「こんばんは」
御簾を暖簾のように押し、中の様子を窺うべく顔を覗かせる。中で作業をしていた神様と目が合った。
『やぁ、真那』
『おぉ〜真那ちゃん! よく来たね』
伯池神社の御祭神であるフシミハヤテヒノミコト。通称神様と、大年神が作業する手を止めて声をかけてくれた。
『真那ちゃん。会いたかったよ』
大年神の子供である御年神も笑顔を向けてくれる。
「大年神様、御年神様。お久しぶりです」
真那は挨拶をしつつ御簾を潜り、すぐに正座をして両手をついた。
「神様。大年神様。御年神様。一年間お守りいただき、いろいろあったけど……昨年も、無事に過ごすことができました。ありがとうございました。本年も、宜しくお願い申し上げます」
深くお辞儀をすれば、神様達が笑む気配を感じる。顔を上げれば、神様達は揃って嬉しそうな表情を浮かべていた。
『お礼を言ってもらうと、また頑張ろうという気力になりますな。伯池殿』
『はい。大年神様。少し休憩してから、また願いの振り分けを頑張りましょう』
「春祭りや夏祭りや秋祭りも凄いけど、やっぱりお正月の願いの光は群を抜いてるね」
今この空間に御座す三柱の神様達は、初詣に参拝した人達の願いの光に囲まれている。
心から祈った願いは光となり、神様の元へ届くのだ。
「みんな、いい年になってほしいのよね」
十二ヶ月の中に区切りとなる節目の行事はいくつもあるが、正月という一年の始まりは、一番の区切りとなる。干支も変わり、十干も変わり、九星も変わるのだから、文字どおり新たな年の幕開けなのだ。
年末である十二月には、十三日から煤払いを始め、新しい年を迎えるための準備が始まる。
穢れが嫌いな大年神と御年神のために行う掃除が終われば、各家に来訪する大年神と御年神の目印となるように門松を用意し、鏡餅を飾って注連縄を張ると準備は整う。
今頃は各家に、今年を担当するそれぞれの大年神と御年神が到着していることだろう。
ここに居る大年神と御年神は、願いの整理が終わったら、敷地内の社務所の裏手にある伯父と伯母の家に向かうことになっている。
大年神と御年神は、それぞれ担当した家を一年間守り統べるのだ。
正月の装いでいつもより豪華な衣装を身につけている神様に、真那は申し訳なさそうに声をかけた。
「神様。大年神様と御年神様にもご挨拶できたから、今日は私もう失礼するね」
『おや? 今年は早いね。いつもは、もう少しゆっくりしていくのに』
残念そうな御年神に、神様が答えた。
『御年神様。真那には、愛しい人ができたんですよ』
『えぇ! そうなの? どんなヤツ?』
急に不機嫌になった御年神を大年神が笑い飛ばす。
『こら、荒ぶるな。伯池殿が許さねば、真那ちゃんにそういう相手はできぬだろう。祝福しておやり』
『そうは言っても、父上もご存知でしょう。真那ちゃんは、興味がある事柄にしか関心がない。よからぬ輩ならば、簡単に騙されてしまう』
「御年神様、そんな心配は不要ですよ」
苦笑を浮かべる真那に、御年神は詰め寄る。
『いいかい、真那ちゃん。一月一日は寝正月。二日からが事始めで焼き初めで、包丁なんかの刃物を使えるようになる。書き初めも二日だ。一年の計は元旦にあり。買い物などしてみろ。一年間散財してはかなわぬ。なにかあっては縁起が悪い。彼氏には出会わず、家でずっと寝ておくのがよい!』
『昔はそれでよかったが、今の世では……なかなかそうはいかぬであろう。なぁ、伯池殿』
『そうですね……。そういったしきたりを守る家もまだありますが、なかなか難しくなってきています』
「今は、元旦からお店が開いてるものね」
それこそ、真那の両親が子供の時代は、買い物のメインは地元のスーパーや個人商店。正月三が日は休業する店がほとんどだっただろう。遊ぶ場所も限られているから、出かけても行く所がない。
でも今は、福袋を求めてショッピングモールの開店前から人が列を成す時代だ。
それも人々の、暮らしのニーズに合わせて変化してきた新しい習慣。
『生活の様式は、変わりゆくものです』
少し寂しそうな神様を励ましたくて、真那は「でも」と声を上げた。
「変わらないこともあるわ。大晦日までに大掃除をするし、門松を飾って注連縄を張るわよ。年賀状だって出すし、繋がりのある住所の知らない人達にはSNSやメッセージアプリで新年の挨拶もする。初日の出の御来光を楽しみにしている人達も居るし……。それに、初詣は必ずするわ!」
そう、変わらないこともあるのだ。ずっと、ずーっと受け継がれてきたことが。少しの変化をつけつつも、それを行う精神は変わらない。
不意に、頭に重みを感じる。いつもの香の匂いが、フワリと鼻をくすぐった。初めて会った頃から変わらない、神様の匂い。
ところどころ鱗に覆われている神様の白い手が、幼い子供にするように、よしよしと真那の頭を撫でた。
『ありがとう。大丈夫だよ。悲しんでいるわけではないんだ』
『そうだよ真那ちゃん。ただ、ちょっと。ちょこっとだけ寂しいんだよな。なぁ? 御年神』
御年神は答えない。まだ少しだけ不貞腐れているみたいだ。
『涼介は、挨拶に来るのか?』
神様に問われ、真那は頷く。
「朝十時くらいに実乃里達と合流して、最初に伯池神社へ初詣する予定になっているわ」
『では、御年神様。そのときに、彼氏である柳楽涼介が真那に相応しいか、確かめてみるとよいでしょう』
『おぉ、儂も興味がある。見てみたいぞ』
神様の提案に、大年神は乗り気のようだ。
『よし。相応しくないと想えば、縁の糸を切る!』
意気込んでいる御年神に、真那は慌てた。
「あぁ、切らないでください! せっかく、出雲の会議を経て神様に結んでもらったご縁なので……」
慌てる真那を見て、御年神はまたシュンと落ち込む。すぐに、愉快そうな大年神の笑い声が上がった。呆れたように、神様も苦笑を浮かべている。
『さてさて、予定がある真那ちゃんをいつまでも引き止めていては悪かろう』
『そうですね。では、真那またな』
真那が帰りやすいように話を振ってくれた大年神と神様に「はい」と返事をし、拗ねて体育座りをしてしまった御年神に声をかけた。
「御年神様、では……また」
『……気を付けて、帰るのだぞ』
まだ名残惜しそうではあるが、御年神も真那が帰ることを許してくれたみたいだ。
安堵の笑みを浮かべ、神様に顔を向ける。露草色の瞳に真那を映し、微笑を浮かべた神様が頷くと、真那も頷き返して立ち上がった。
「それじゃ、また遊びに来ますね」
『あぁ、待っているよ』
いつでもおいで、と声をかけてくれる神様達に手を振り、真那は神様の屋敷をあとにする。
今年も神様達に挨拶をして、真那の新しい年の幕が開けた。
神社の境内に戻り、拝殿と本殿を仰ぎ見る。
(どんな一年になるか分からないけど、大事な人達と笑っていられる年であればいいな。そういう年でありますように……)
常夜燈の灯りでぼんやりと照らし出される参道を歩きながら、真那は胸の内で密かにそう願うのだった。
文芸社から出版の『神様とゆびきり』、なろう連載中の『神の使いのおキツネ様』のキャラクターでお送りしました(^^)
いい年になりますように。