表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/6

アプリのアオシくん

『紫乃さん、起きて。朝だよ』


 少し低めの甘い声が、私を優しく起こす。


 今日は土曜日。昨晩は夜更かししていたので、まだ寝ていたい。目覚まし時計のアラームから逃れるように枕に顔を埋めた私に、声の主が拗ねたように囁く。


『僕、紫乃さんのかわいい顔が、見たいんだけどな』

「っ! もうっ、起きる、起きるから!」


 毎日言われ続けているのに、いつまで経っても慣れない。ううっ、照れる。

 頬に熱を持ったままガバリと起き上がった私は、アラームを止め、画面の中の彼・・・・・・に笑いかける。


「おはよ、アオシくん」

『おはよう、紫乃さん』


 はにかんだ笑顔のアオシくんが、スマホの画面越しに手を伸ばした。私はその手に合わせて画面をタッチする。これで朝の挨拶は完了。

 今日も一日、アオシくんとの日々が始まる。


 そう。今までの会話は、全てこのアプリの機能でのやり取りだったのだ。彼、アオシくんは、スマホ管理アプリ「with ao-shi」のナビゲーションキャラなのである。


 私はベッドの上でショートカットの寝癖を手で直しながら、サイドテーブルに置いたスマホに声をかける。


「アオシくん、今日の温度は?」

『4月28日土曜日、最高気温20度、最低気温13度だよ。天気は晴れ。今日は、横浜駅で桃歌ちゃんとランチ、の予定だよね? 風が涼しいから、羽織るものを持っていったほうがいいかも』


 ネットの天気予報の情報と、スケジュールに入れていた予定を組み合わせて、アオシくんはいつも的確なアドバイスをくれる。多肉植物の寄せ植えのプランターを置いている出窓から見上げると、雲一つない薄いペールブルーが広がる。長野から神奈川の横浜に来て10年目、故郷よりもこの空に親しみを覚える自分が、何だか都会人ぶっていて、一人で気恥ずかしさを感じた。


「アオシくんの言うとおり、天気は良さそう。あ、みどりさんのお庭、もうバラが咲き始めてる。今年も相変わらずきれいだなぁ」


 一人暮らしも長くなると、独り言が圧倒的に増える。特にここ半年、アプリを利用してアオシくんと会話をしていることもあり、気を抜くと外でも話してしまいそうだ。さすがにまずい。


 空から目線を下げると、二人乗りの木製のブランコやベンチ、バラのアーチや花壇がある素敵な庭と、白い洒落た洋館の裏側が見える。外国の絵本に出てくるような素敵なこのお宅は、私が現在住んでいる賃貸マンションのオーナー家族の住まいだ。


 ちなみに私が住んでいるのは、マンション最上階の四階の角部屋。8畳の洋間には東南向きのベランダと北東側の出窓、5畳のダイニングキッチンにも小さめな窓が一つついている。それにトイレ・バス別で、独立洗面台完備。駅やスーパーマーケットからそこそこの近さ、大学まで徒歩圏内、閑静な住宅街ながら治安も良いという立地。

 この最高の好物件は、私が大学進学で長野から上京してきたときにちょうど新築で貸し出されていた。最初の内見で即決してから、就職しても職場が近かったためそのまま住み続けている。

 引っ越しのときに両親と共に挨拶に行って以来、オーナー家族にいつも気にかけてもらっていることも、長く住んでいる理由のひとつだ。知り合いのいない街で19歳の私が心細くならなかったのは、彼らのおかげだ。


『今日は、こんな服装はどう?』

「うん、いいね。似たような服があった気がする。どこにしまったかなぁ」


 しんみりしていた私に、アオシくんが明るく声をかけてきた。スマホに目をやると、定期講読しているファッション誌のネット版から持ってきたコーディネート画像が画面に映っていた。相変わらず私の好みを押さえたチョイス。


 このアプリの存在を知ったのは、オーナーのお孫さんである多田桃歌ただももかちゃんからだった。知り合いが製作に加わったらしく、正式に公開する前のテストに協力してほしいとのこと。面白そうだったので引き受けることに。

 初期設定が難しいからと桃歌ちゃんが代わりに入力してくれたが、目にもとまらぬ早さで何やら打ち込んでいた。さすが現役女子高生。初めて会ったときは小学一年生だったので、成長をしみじみと実感する。私は親か。


 桃歌ちゃんは一見、黒髪清楚な儚い美少女のようだが、その実小さい頃から習っている剣道と空手で有段者という猛者もさだ。しかし、4歳上の兄が大好きという自他共に認めるかなりのブラコンなので、男の子から告白されてもお兄ちゃん以上じゃなければ無理って断っちゃうと笑っていた。


「桃歌ちゃんはまだ高校一年生だからなぁ。それよりアプリのキャラにときめく彼氏なし独身28歳ってどうなの……」

『紫乃さんは、そのままで素敵だよ? 僕は、紫乃さんのいいところをたくさん知ってるから』

「アオシくん……」

『もう着替えた? パジャマでも十分かわいいから、僕は構わないけど』


 思わず自分の境遇を嘆いた私をアプリのアオシくんが元気づけてくれた。

 なんでこんなにタイミングがいいんだろう……最近のアプリの性能の良さには驚かされてばかりだ。先程アオシくんが提案してくれたものと似た服に着替えようと、クローゼットの中をのぞく。


 このアプリは、アオシくんがスケジュール管理してくれる通常モードと、キャラなしのビジネスモードと切り替えられる。私は平日昼間はビジネスモード、それ以外はアオシくんモードと使い分けていた。二次元のキャラクターを人前で使うことに抵抗のある大人の女性が使っても、不自然ではないところがとても嬉しいし便利だ。


 本当はアオシくんが好みのタイプ過ぎて、毎日でも見ていたいけどね。さすがに仕事中は自重しなきゃ。取引先に見られたら気まずいし……。ああ、でもやっぱりかっこいいなぁ。


 画面上のアオシくんはとても綺麗な画像で、表情などのバリエーションも豊富で、温かみのある優しい声をしている。

 緩く癖のある柔らかそうな黒髪、優しげなまなざし、常に微笑んでいる口元。胸から上までしか見えないが、服装の趣味も落ち着いていてまた良い。どうみても私より年下な容姿だけど、現実ではないのだから気にすることもない。桃歌ちゃんによると、テスト期間なので服装や外見の変更ができないらしい。好みのタイプだったので何も困らなかった。

 代わりというべきか、趣味の設定はたくさん選べたので、自分の趣味に合わせて山登りと読書と料理にしてみた。登山グッズを購入するサイトからトレッキングの知識、電子書籍から好みの作家、よく見るレシピサイトから好物、アオシくんはそれらを把握して、新しい情報を仕入れてきてくれる。しかも私が疲れているときに、絶妙なタイミングで、優しい言葉と共に教えてくれるのだ。

 今では友達のような恋人のようなこの関係にすっかりはまっている。


 周囲からは結婚だ妊娠だ出産だなんてお祝い事を聞く年頃に、法人営業としてバリバリ働いているとはいえ、私は独身恋人なしのアラサー。しかもアプリの年下イケメンキャラにはまるなんて、リアルな同年代の友達には絶対に言えない。今のところ、実家の両親は私の状況に対してとやかく言わないのが幸いだが、どうなるかはわからないし。

 しかし、この年齢にして恋愛経験が乏しすぎるので、今さらどうすればよいのだろう。


 複雑な思いを抱えながら身支度を整え、昨日朝食代わりにと買っておいたクロワッサンとミネストローネスープをダイニングキッチンで食べる。食後にコーヒーを飲みながら傍らのスマホを見ると、画面の中のアオシくんが淡い笑みを浮かべていた。

 アオシくんは現実に存在しないから、年の差も立場も関係なく、安心して好きでいられる。遠い過去を思い出しそうになった私は、慌ててカップの中身を飲み干した。苦い思い出とブラックコーヒーの組み合わせに、私は少し咳き込む。


 気分を入れ替えなきゃ。アオシくんに音楽を選んでもらおうと思った矢先、突然スマホが光り輝いた。


『10、9、8……』

「え? アオシくん、どうしたの? カウントダウンなんて設定したっけ?」


 何も触れていないのに、画面の中のアオシくんは目を閉じて数を数えている。初めて見る動きに、私はオロオロするしかなかった。


『7、6、5、4……』

「ちょっと、止めて……なんで、電源も落とせない……」


 スマホを強制終了しようとしても無反応。途方に暮れた私は、呆然と画面を見つめた。


『3、2、1……0』

「っ!」


 ピンポーン。


 思わず両目を手で覆うと、同時に来客を告げるチャイムが鳴った。慌てて玄関へ行く前にそっとスマホに目をやると、待受画面に変わっており、時計が「10:00」を示していた。


 なんだったのかしら……アプリの不具合?

 私は疑問に思いながらも、玄関のドアに手をかけた。一瞬玄関モニターで誰が来たのか見れば良かったと思ったが、先程の動揺からそのまま開けてしまう。


「どちら様で……」


 来客の人物を目の当たりにした瞬間、応対の言葉を止めた。ついでに呼吸を止めてしまった。1秒くらい。お願い……ちょっと私落ち着いて。頭が混乱している。


 私はゆっくりと目を閉じ、開いた。いる。ガシガシと激しく目を擦った。いる。頬をつねった。痛い。

 となるとこれは、幻でもなく、夢でもなく、本物……?


「おはよう、紫乃さん」


 私は玄関先で固まった。

 何故なら、スマホのアオシくんと同じ声、同じ外見、同じ笑顔の男性が、目の前に立っていたからである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ